おっと、気がつけば二ヶ月近く更新してなかったのねん。
そういえば昨日深夜「パッチギ!」が放送されてました。僕は観ようとしてテレビつけっぱのまま寝てしまったのだけど、やっぱ前回と同じくカットされまくりだったのかな。あれ、冒頭のオックスの演奏シーンなど切られまくりで、あれで「パッチギ!」という作品を判断されてしまうのは何とも遺憾なのだけれど。
ところで「パッチギ!」に関してこんなウワサがネット上で流布しているのをご存知でしょうか?
・井筒は、映画「東方見聞録」撮影中にエキストラを事故で死なせてしまった。
・その遺族に対する賠償金を、映画会社シネカノンが肩代わりした。ちなみにシネカノンの社長李鳳宇は在日で、父親が朝鮮総連の幹部である。
・その結果井筒は総連に首根っこを掴まれ、反日・親北朝鮮プロパガンダ映画「パッチギ!」を撮った。 (注1)
この噂、どうも2ちゃんねるあたりから広まったらしい。んで、結構広まってて本気にしちゃってる人もいるらしい。
はい、この際だからはっきりくっきり清々しく言いますが、これ、デマです。
別に井筒監督を嫌うのは良い。好き嫌いは個人の自由だし、そもそも井筒監督のファンである自分も、テレビなどでの発言を聞いていて「おいおいもう少し言い方考えなよ」とか「あ~またそうやって、作らんでいい敵を作る・・・」と思うことがあるくらいだもの。
んでもね、2ちゃんねるから発信されたような悪意あるデマやあやふやな噂が鵜呑みにされ、広められ、その結果この作品を観ようとする人が減っちゃったり、あるいはこの作品を観て感動した人がそのことに罪悪感を持ったりしたとしたら、たまったもんではないのさ。ちゅーことで、今回はこの噂を検証してみます。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
まず、「東方見聞録」における事故に関しては事実。しかし「賠償金を映画会社シネカノンが肩代わり」というのは、確かな根拠のない、単なる噂に過ぎない。
そして、このデマの一番巧妙で悪質な部分はその次の「シネカノンの社長李鳳宇は在日で、父親が朝鮮総連の幹部である」という部分だ。ここだけ読むと、あたかも李鳳宇氏が朝鮮総連幹部の息子(いかにもボンボンのイメージやね)で、シネカノンと総連に太いつながりがあるかのような印象を持つ。
しかし、朝鮮総連の幹部だった(これは正しくない。正しくは京都・南支部の副委員長で、「幹部」と言えるような役職ではない)李鳳宇氏の父親は、70年代前半に総連を脱退している。その事情については「パッチギ!対談篇」(李鳳宇・四方田犬彦/朝日新聞社刊。ちなみにこの本は1998年に出版された「先に抜け、撃つのは俺だ」という本に新たな対談を加えたもの)に詳しいのだけれど、金日成に対する個人崇拝や独裁体制の強化など、理想からかけ離れていく北朝鮮、それに追随する総連に対して疑問を抱くようになったこと、沢山の寄付をしてきたにも関わらず、事業が苦しくなった時に融資をしてもらえなかったこと、韓国から来た親戚を総連幹部に会わせたためにその親戚がスパイ容疑で逮捕されてしまったことなど、理由はいくつかあったようだ。ちなみに彼は総連脱退後、事業に失敗し、多額の借金を抱えつつも地下鉄工事や鉄屑拾いなどの仕事で子供たちを育てあげ、87年に亡くなっている(注2)。
李プロデューサーはそういう経験から政治や組織に対して失望するようになり、それらから距離を置くようになったという(注3)。四方田犬彦は前掲書で、李プロデューサーが92年に映画祭参加のためにピョンヤンを訪れた際、金日成バッジを身に付けることを断固として拒否した(北朝鮮ではバッジをつけずに外出すると一般市民から監視・通報される、つまり行動が制限される)というエピソードを紹介している。
そのような人がプロデュースした映画が、どうして「朝鮮総連翼賛映画」になるというのだろう。
もうひとつ、映画「パッチギ!」と朝鮮総連に関して興味深い話がある。「パッチギ!」にはヒロインらが通う朝鮮高校が登場するのだが、このロケには滋賀県の比叡山高校が使われている。もしこの映画が総連のプロパガンダ映画ならロケ地として喜んで提供しそうなものだが、これに関して李プロデューサーは次のように述べている。
・・・どうしてもロケーションに使いたいもう一つの場所、朝鮮高校にも随分前から撮影の許可を申し出ていた。僕はこの学校の卒業生だし、現校長からその昔英語を教わったことを記憶している数少ない教え子だったので、内心許可は容易に下りるものと踏んでいた。事前に映画のシナリオを送って読んでもらっていたので、僕は手続きの問題だけという軽い気持ちで、二五年ぶりに母校に足を向けた。久しぶりに会った校長に、どんな映画を撮るのかと質問されたので正直に話の中身を説明すると、校長は苦虫を噛み潰した表情で、「困る」、「許可できない」を連発した。当時の朝鮮高校生たちが学校でタバコを吸ってたり、喧嘩に明け暮れていたという「間違った認識」を植えつける映画には協力できないと却下されてしまった。そんな戯言に反論して僕は、映画の主旨や当時の学生たちのリアルな姿や、心の叫びを熱く語ったが、いくら説明しても無駄だった。彼はおそらく事前に送ったシナリオを総連京都本部か総連中央の誰かに見せただろうし、彼自身、朝鮮総連の組織の中ではただの使いでしかなく、一人で英断を下せる人でもなかった。かなり粘った末、僕は母校を後にした。
結局、学校の撮影は滋賀県にある比叡山高校にお願いして、幸いにも許可を得ることができた。辛かったのは比叡山高校の先生に、「こんな有意義な映画を、なんで朝鮮高校は協力しないの?」と聞かれた時だった。
(「パッチギ!的―世界は映画で変えられる」李鳳宇/岩波書店、p22)(注4)
以上のことを踏まえれば、「パッチギ!」が北朝鮮擁護の総連プロパガンダ映画だなどという主張は単なるヨタ話としか思えないのだけれど、案外それを鵜呑みにしている人が多いので唖然としてしまう。
「パッチギ!」を観た上で「つまらない」と思うのは、これは仕方がない。また井筒監督のテレビなどでの言動に不快感を感じて「こんなやつの映画、観たくもない」と思われるのも、まあ自業自得だ(本音では「騙されたと思って観てみてよ」と思ってはいるのだけれど、無理強いしても仕方ないしね)。しかし、繰り返しになるけれど、ヘンな噂やデマを流されて、そのせいで多くの人がこの作品と出会う機会を奪われてしまうのは一ファンとして許せない。
以上のことは、前々からどこかで言いたかった(けど面倒臭くて先延ばしにしていた)ことなのだけれど、今回良い機会だったので長々と書かせて頂きやした。最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。m(_ _)m
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
(注1)浅川晃広は雑誌「諸君!」2005年4月号に「『パッチギ!』は朝鮮総連翼賛映画か」という批評文(PHP研究所「『在日』論の嘘――贖罪の呪縛を解く」に収録)を寄せていて、これが噂を補強する助けになったみたい。ちなみに浅川氏は元韓国籍で後に日本国籍を取得した人なのだが、この「パッチギ!」批判は的外れというかなんというか、、これについてはまたの機会に。
(注2)もひとつちなみに、李プロデューサーの父親は「パッチギ!LOVE&PEACE」のアンソンの父親のモデルにもなっている。さらにちなみに、名前は「リ・チャンス」、つまりアンソンの子供の名前はここから来ている。
(注3)「パッチギ!」ヒット後、李氏や井筒監督は朝鮮学校支援などの集会に呼ばれるようになった。これについて李氏は次のように語っている。
・・・昔だったら、枝川の朝鮮学校の存続を訴える集会に来て何かしゃべってくださいと言われても「映画は映画ですから」と避けていたと思うんです。『パッチギ!』で変わったとしたらそこかもしれません。
自分がなぜここにいるのかということを問う映画でしょう、『パッチギ!』というのは。そう考えると、自分がこれからどこに向かうのかなっていうことを考えていかないといけないんですよね。
まあ、僕が集会に出かけていったからって、別に何を応援できるわけじゃないんですけど、ただ、そういう気持ちがここ数年強くなってきました。そういう行動が「政治的」と言われると、政治の一端なのかもわからないけど、人間誰しも社会的存在ですからね。会社員であろうが個人商店であろうが。社会的存在であるからには、「還していく」ことを考えていこうと思い始めたんです。(「愛、平和、パッチギ!」井筒和幸・李鳳宇/講談社、p222)
(注4)しかし、このような頭の固い総連上層部に対して、朝鮮学校の現場レベルでは「パッチギ!」はかなり好意的に受け取られ、朝校の教師が生徒に勧めたりもしたらしい。そうした流れもあって「パッチギ!LOVE&PEACE」では枝川の朝鮮学校がロケ地に提供されたようだ。
そういえば昨日深夜「パッチギ!」が放送されてました。僕は観ようとしてテレビつけっぱのまま寝てしまったのだけど、やっぱ前回と同じくカットされまくりだったのかな。あれ、冒頭のオックスの演奏シーンなど切られまくりで、あれで「パッチギ!」という作品を判断されてしまうのは何とも遺憾なのだけれど。
ところで「パッチギ!」に関してこんなウワサがネット上で流布しているのをご存知でしょうか?
・井筒は、映画「東方見聞録」撮影中にエキストラを事故で死なせてしまった。
・その遺族に対する賠償金を、映画会社シネカノンが肩代わりした。ちなみにシネカノンの社長李鳳宇は在日で、父親が朝鮮総連の幹部である。
・その結果井筒は総連に首根っこを掴まれ、反日・親北朝鮮プロパガンダ映画「パッチギ!」を撮った。 (注1)
この噂、どうも2ちゃんねるあたりから広まったらしい。んで、結構広まってて本気にしちゃってる人もいるらしい。
はい、この際だからはっきりくっきり清々しく言いますが、これ、デマです。
別に井筒監督を嫌うのは良い。好き嫌いは個人の自由だし、そもそも井筒監督のファンである自分も、テレビなどでの発言を聞いていて「おいおいもう少し言い方考えなよ」とか「あ~またそうやって、作らんでいい敵を作る・・・」と思うことがあるくらいだもの。
んでもね、2ちゃんねるから発信されたような悪意あるデマやあやふやな噂が鵜呑みにされ、広められ、その結果この作品を観ようとする人が減っちゃったり、あるいはこの作品を観て感動した人がそのことに罪悪感を持ったりしたとしたら、たまったもんではないのさ。ちゅーことで、今回はこの噂を検証してみます。
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まず、「東方見聞録」における事故に関しては事実。しかし「賠償金を映画会社シネカノンが肩代わり」というのは、確かな根拠のない、単なる噂に過ぎない。
そして、このデマの一番巧妙で悪質な部分はその次の「シネカノンの社長李鳳宇は在日で、父親が朝鮮総連の幹部である」という部分だ。ここだけ読むと、あたかも李鳳宇氏が朝鮮総連幹部の息子(いかにもボンボンのイメージやね)で、シネカノンと総連に太いつながりがあるかのような印象を持つ。
しかし、朝鮮総連の幹部だった(これは正しくない。正しくは京都・南支部の副委員長で、「幹部」と言えるような役職ではない)李鳳宇氏の父親は、70年代前半に総連を脱退している。その事情については「パッチギ!対談篇」(李鳳宇・四方田犬彦/朝日新聞社刊。ちなみにこの本は1998年に出版された「先に抜け、撃つのは俺だ」という本に新たな対談を加えたもの)に詳しいのだけれど、金日成に対する個人崇拝や独裁体制の強化など、理想からかけ離れていく北朝鮮、それに追随する総連に対して疑問を抱くようになったこと、沢山の寄付をしてきたにも関わらず、事業が苦しくなった時に融資をしてもらえなかったこと、韓国から来た親戚を総連幹部に会わせたためにその親戚がスパイ容疑で逮捕されてしまったことなど、理由はいくつかあったようだ。ちなみに彼は総連脱退後、事業に失敗し、多額の借金を抱えつつも地下鉄工事や鉄屑拾いなどの仕事で子供たちを育てあげ、87年に亡くなっている(注2)。
李プロデューサーはそういう経験から政治や組織に対して失望するようになり、それらから距離を置くようになったという(注3)。四方田犬彦は前掲書で、李プロデューサーが92年に映画祭参加のためにピョンヤンを訪れた際、金日成バッジを身に付けることを断固として拒否した(北朝鮮ではバッジをつけずに外出すると一般市民から監視・通報される、つまり行動が制限される)というエピソードを紹介している。
そのような人がプロデュースした映画が、どうして「朝鮮総連翼賛映画」になるというのだろう。
もうひとつ、映画「パッチギ!」と朝鮮総連に関して興味深い話がある。「パッチギ!」にはヒロインらが通う朝鮮高校が登場するのだが、このロケには滋賀県の比叡山高校が使われている。もしこの映画が総連のプロパガンダ映画ならロケ地として喜んで提供しそうなものだが、これに関して李プロデューサーは次のように述べている。
・・・どうしてもロケーションに使いたいもう一つの場所、朝鮮高校にも随分前から撮影の許可を申し出ていた。僕はこの学校の卒業生だし、現校長からその昔英語を教わったことを記憶している数少ない教え子だったので、内心許可は容易に下りるものと踏んでいた。事前に映画のシナリオを送って読んでもらっていたので、僕は手続きの問題だけという軽い気持ちで、二五年ぶりに母校に足を向けた。久しぶりに会った校長に、どんな映画を撮るのかと質問されたので正直に話の中身を説明すると、校長は苦虫を噛み潰した表情で、「困る」、「許可できない」を連発した。当時の朝鮮高校生たちが学校でタバコを吸ってたり、喧嘩に明け暮れていたという「間違った認識」を植えつける映画には協力できないと却下されてしまった。そんな戯言に反論して僕は、映画の主旨や当時の学生たちのリアルな姿や、心の叫びを熱く語ったが、いくら説明しても無駄だった。彼はおそらく事前に送ったシナリオを総連京都本部か総連中央の誰かに見せただろうし、彼自身、朝鮮総連の組織の中ではただの使いでしかなく、一人で英断を下せる人でもなかった。かなり粘った末、僕は母校を後にした。
結局、学校の撮影は滋賀県にある比叡山高校にお願いして、幸いにも許可を得ることができた。辛かったのは比叡山高校の先生に、「こんな有意義な映画を、なんで朝鮮高校は協力しないの?」と聞かれた時だった。
(「パッチギ!的―世界は映画で変えられる」李鳳宇/岩波書店、p22)(注4)
以上のことを踏まえれば、「パッチギ!」が北朝鮮擁護の総連プロパガンダ映画だなどという主張は単なるヨタ話としか思えないのだけれど、案外それを鵜呑みにしている人が多いので唖然としてしまう。
「パッチギ!」を観た上で「つまらない」と思うのは、これは仕方がない。また井筒監督のテレビなどでの言動に不快感を感じて「こんなやつの映画、観たくもない」と思われるのも、まあ自業自得だ(本音では「騙されたと思って観てみてよ」と思ってはいるのだけれど、無理強いしても仕方ないしね)。しかし、繰り返しになるけれど、ヘンな噂やデマを流されて、そのせいで多くの人がこの作品と出会う機会を奪われてしまうのは一ファンとして許せない。
以上のことは、前々からどこかで言いたかった(けど面倒臭くて先延ばしにしていた)ことなのだけれど、今回良い機会だったので長々と書かせて頂きやした。最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。m(_ _)m
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
(注1)浅川晃広は雑誌「諸君!」2005年4月号に「『パッチギ!』は朝鮮総連翼賛映画か」という批評文(PHP研究所「『在日』論の嘘――贖罪の呪縛を解く」に収録)を寄せていて、これが噂を補強する助けになったみたい。ちなみに浅川氏は元韓国籍で後に日本国籍を取得した人なのだが、この「パッチギ!」批判は的外れというかなんというか、、これについてはまたの機会に。
(注2)もひとつちなみに、李プロデューサーの父親は「パッチギ!LOVE&PEACE」のアンソンの父親のモデルにもなっている。さらにちなみに、名前は「リ・チャンス」、つまりアンソンの子供の名前はここから来ている。
(注3)「パッチギ!」ヒット後、李氏や井筒監督は朝鮮学校支援などの集会に呼ばれるようになった。これについて李氏は次のように語っている。
・・・昔だったら、枝川の朝鮮学校の存続を訴える集会に来て何かしゃべってくださいと言われても「映画は映画ですから」と避けていたと思うんです。『パッチギ!』で変わったとしたらそこかもしれません。
自分がなぜここにいるのかということを問う映画でしょう、『パッチギ!』というのは。そう考えると、自分がこれからどこに向かうのかなっていうことを考えていかないといけないんですよね。
まあ、僕が集会に出かけていったからって、別に何を応援できるわけじゃないんですけど、ただ、そういう気持ちがここ数年強くなってきました。そういう行動が「政治的」と言われると、政治の一端なのかもわからないけど、人間誰しも社会的存在ですからね。会社員であろうが個人商店であろうが。社会的存在であるからには、「還していく」ことを考えていこうと思い始めたんです。(「愛、平和、パッチギ!」井筒和幸・李鳳宇/講談社、p222)
(注4)しかし、このような頭の固い総連上層部に対して、朝鮮学校の現場レベルでは「パッチギ!」はかなり好意的に受け取られ、朝校の教師が生徒に勧めたりもしたらしい。そうした流れもあって「パッチギ!LOVE&PEACE」では枝川の朝鮮学校がロケ地に提供されたようだ。