よさこい鳴子踊り 作詞・作曲 武政英策
よっちょれよ よっちょれよ
よっちょれよっちょれ よっちょれよ
よっちょれよっちょれ よっちょれよ
高知の城下へ来てみいや
じんまもばんばも よう踊る *じんま…おじいさん ばんば…おばあさん
鳴子両手によう踊る よう踊る
土佐の (ヨイヤサノサノサノ)
高知の はりまや橋で (ヨイヤサノサノサノ)
坊さんかんざし 買うを見た
よさこい よさこい
はりまや橋でお坊さんがカンザシを買っていたという有名な歌詞です。江戸時代幕末期、竹林寺の僧純信と鋳掛屋の娘お馬との悲恋の物語が”よさこい節”に歌われ、昭和の時代に”よさこい鳴子踊り”の歌詞にもなりました。
この”はりまや橋”は江戸時代初期に縦堀に掛けられた橋です。元々は、播磨屋宗徳の播磨屋と堀の向かいの櫃屋道清の櫃屋の間に掛けられた私橋だったそうです。その後、公橋となります。敵の侵入を防ぐ為の堀に橋を掛けてしまうとはなんと大胆なことをするもんだと思います。この2人は豪商であって、城下町の総年寄役や藩札発行の札座の名義人となっていたといわれ、藩からの信頼も絶大なものがあったために出来たことでしょう。
さて純信はお馬のために、はりまや橋のどこでカンザシを買ったのでしょう。播磨屋でしょうか?それとも櫃屋でしょうか?元々はこの二つの店の間の利便性をはかり客の行き来を活発にするためでした。それから約200年ほど後になりますが、この”はりまや橋”での商売が許可されたとあります。橋の中央部三間を除いた東西の両側で商売が出来るようになったのです。20文未満の子供用玩具や小細工物・生菓子類を売ったとあります。このような店は”十九文屋”呼ばれました。その後このはりまや橋を中心に店が増え繁華街ができたとあります。橋の上にも周りにもたくさんの店があったわけです。
当初のはりまや橋の大きさ 長さ十六間 幅二間 一間は約1.8mとして 長さ約28.8m 幅約3.6mとなります。
貨幣について *当時の物価やレートは不明ですので、かなり強引な計算となります。
一両 = 4000文 と有りました 一両=37.5gの金と算出します
金は07年7月20日現在1g当たり2800円と想定します
2800×37.5÷4000=26.25 一文=26円25銭 26.25×20=525円
十九文屋は現在ならば約500円以下の商品を取り扱う店となります。
かなり強引な計算になりましたね。これでは、夢も希望もないというか、祭の情緒もなくなりますよね。申し訳ございません。
よっちょれよ よっちょれよ
よっちょれよっちょれ よっちょれよ
よっちょれよっちょれ よっちょれよ
高知の城下へ来てみいや
じんまもばんばも よう踊る *じんま…おじいさん ばんば…おばあさん
鳴子両手によう踊る よう踊る
土佐の (ヨイヤサノサノサノ)
高知の はりまや橋で (ヨイヤサノサノサノ)
坊さんかんざし 買うを見た
よさこい よさこい
はりまや橋でお坊さんがカンザシを買っていたという有名な歌詞です。江戸時代幕末期、竹林寺の僧純信と鋳掛屋の娘お馬との悲恋の物語が”よさこい節”に歌われ、昭和の時代に”よさこい鳴子踊り”の歌詞にもなりました。
この”はりまや橋”は江戸時代初期に縦堀に掛けられた橋です。元々は、播磨屋宗徳の播磨屋と堀の向かいの櫃屋道清の櫃屋の間に掛けられた私橋だったそうです。その後、公橋となります。敵の侵入を防ぐ為の堀に橋を掛けてしまうとはなんと大胆なことをするもんだと思います。この2人は豪商であって、城下町の総年寄役や藩札発行の札座の名義人となっていたといわれ、藩からの信頼も絶大なものがあったために出来たことでしょう。
さて純信はお馬のために、はりまや橋のどこでカンザシを買ったのでしょう。播磨屋でしょうか?それとも櫃屋でしょうか?元々はこの二つの店の間の利便性をはかり客の行き来を活発にするためでした。それから約200年ほど後になりますが、この”はりまや橋”での商売が許可されたとあります。橋の中央部三間を除いた東西の両側で商売が出来るようになったのです。20文未満の子供用玩具や小細工物・生菓子類を売ったとあります。このような店は”十九文屋”呼ばれました。その後このはりまや橋を中心に店が増え繁華街ができたとあります。橋の上にも周りにもたくさんの店があったわけです。
当初のはりまや橋の大きさ 長さ十六間 幅二間 一間は約1.8mとして 長さ約28.8m 幅約3.6mとなります。
貨幣について *当時の物価やレートは不明ですので、かなり強引な計算となります。
一両 = 4000文 と有りました 一両=37.5gの金と算出します
金は07年7月20日現在1g当たり2800円と想定します
2800×37.5÷4000=26.25 一文=26円25銭 26.25×20=525円
十九文屋は現在ならば約500円以下の商品を取り扱う店となります。
かなり強引な計算になりましたね。これでは、夢も希望もないというか、祭の情緒もなくなりますよね。申し訳ございません。
よさこい鳴子踊り 作詞・作曲 武政英策
よっちょれよ よっちょれよ
よっちょれよっちょれ よっちょれよ
よっちょれよっちょれ よっちょれよ
高知の城下へ来てみいや
じんまもばんばも よう踊る
鳴子両手によう踊る よう踊る
土佐の (ヨイヤサノサノサノ)
名物 サンゴに鯨 (ヨイヤサノサノサノ)
紙に生糸に 鰹節
よさこい よさこい
この歌詞は土佐弁を使うこともなく、高知の特産品・名物の紹介になっています。
曲全体のストーリーとしては、鏡川を下って土佐湾へ、お城下の話に続いて裏戸湾から桂浜へ、そして土佐湾の鯨の話となります。
”よさこい鳴子踊り”のルールに「曲のアレンジをしてもよいが”よさこい鳴子踊り”の曲を必ず入れる。」とあります。詳しくはよさこい祭振興会をご覧ください。
どんなにアレンジしてもよい、どこかに曲を入れればOKとくれば、著作権もなきに等しい自由な祭の曲に聞こえます。鳴子は持ちさえすればいいなどと解釈されることも耳にしますし。
裏を返せば、武政英策氏は『マニュアルがないと祭を楽しむこともできないの?今更ルールなんて細かい事そこまで言わなくてもいいですよね。楽曲もどこかに曲を入れれば自由にアレンジしてもいいですよ。私の曲を超えた良い曲にしてくださいね。』と言われているようにも思います。
まあ、祭の創成期から踊り歌い継がれてきた”正調よさこい鳴子踊り”があればこそなんでしょう。コアの部分と言うか根ざしている部分には、作り手・踊り手・支え手(私の造語:陰日なたで祭を支えてくれる人々)の境を越えて”正調よさこい鳴子踊り”があると思います。
詞訳と言うよりも戯言になってしまいました。これも、文法的な詞訳が出来ないことが原因であり、無知を痛感しております。ご了承ください。歌詞の順番はランダムに投稿できた順になっています。
よっちょれよ よっちょれよ
よっちょれよっちょれ よっちょれよ
よっちょれよっちょれ よっちょれよ
高知の城下へ来てみいや
じんまもばんばも よう踊る
鳴子両手によう踊る よう踊る
土佐の (ヨイヤサノサノサノ)
名物 サンゴに鯨 (ヨイヤサノサノサノ)
紙に生糸に 鰹節
よさこい よさこい
この歌詞は土佐弁を使うこともなく、高知の特産品・名物の紹介になっています。
曲全体のストーリーとしては、鏡川を下って土佐湾へ、お城下の話に続いて裏戸湾から桂浜へ、そして土佐湾の鯨の話となります。
”よさこい鳴子踊り”のルールに「曲のアレンジをしてもよいが”よさこい鳴子踊り”の曲を必ず入れる。」とあります。詳しくはよさこい祭振興会をご覧ください。
どんなにアレンジしてもよい、どこかに曲を入れればOKとくれば、著作権もなきに等しい自由な祭の曲に聞こえます。鳴子は持ちさえすればいいなどと解釈されることも耳にしますし。
裏を返せば、武政英策氏は『マニュアルがないと祭を楽しむこともできないの?今更ルールなんて細かい事そこまで言わなくてもいいですよね。楽曲もどこかに曲を入れれば自由にアレンジしてもいいですよ。私の曲を超えた良い曲にしてくださいね。』と言われているようにも思います。
まあ、祭の創成期から踊り歌い継がれてきた”正調よさこい鳴子踊り”があればこそなんでしょう。コアの部分と言うか根ざしている部分には、作り手・踊り手・支え手(私の造語:陰日なたで祭を支えてくれる人々)の境を越えて”正調よさこい鳴子踊り”があると思います。
詞訳と言うよりも戯言になってしまいました。これも、文法的な詞訳が出来ないことが原因であり、無知を痛感しております。ご了承ください。歌詞の順番はランダムに投稿できた順になっています。
よさこい鳴子踊り 作詞・作曲 武政英策
よっちょれよ よっちょれよ
よっちょれよっちょれ よっちょれよ
よっちょれよっちょれ よっちょれよ
高知の城下へ来てみいや
じんまもばんばも よう踊る
鳴子両手によう踊る よう踊る
みませ (ヨイヤサノサノサノ) *みませ=御畳瀬(地名)と見なさい の掛詞
みせましょ 浦戸を開けて (ヨイヤサノサノサノ) *みせましょ=見せましょう・魅せましょう の掛詞
*浦戸(地名)と裏戸(裏の戸)の掛詞
月の名所は 桂浜
よさこい よさこい
御畳瀬・浦戸ともに中世から港があり、浦戸には長宗我部氏の居城がありました。また、歌にもあるように景勝地であったとされます。
さてこの歌詞は、御畳瀬・浦戸の景観に続いて浦戸と背中合わせの桂浜の景観の素晴らしさを歌ったものでしょう。(私の得手勝手な推論です。)現在の御畳瀬・浦戸には漁港があり当時の史跡も多くあるそうです。
よっちょれよ よっちょれよ
よっちょれよっちょれ よっちょれよ
よっちょれよっちょれ よっちょれよ
高知の城下へ来てみいや
じんまもばんばも よう踊る
鳴子両手によう踊る よう踊る
みませ (ヨイヤサノサノサノ) *みませ=御畳瀬(地名)と見なさい の掛詞
みせましょ 浦戸を開けて (ヨイヤサノサノサノ) *みせましょ=見せましょう・魅せましょう の掛詞
*浦戸(地名)と裏戸(裏の戸)の掛詞
月の名所は 桂浜
よさこい よさこい
御畳瀬・浦戸ともに中世から港があり、浦戸には長宗我部氏の居城がありました。また、歌にもあるように景勝地であったとされます。
さてこの歌詞は、御畳瀬・浦戸の景観に続いて浦戸と背中合わせの桂浜の景観の素晴らしさを歌ったものでしょう。(私の得手勝手な推論です。)現在の御畳瀬・浦戸には漁港があり当時の史跡も多くあるそうです。
よさこい鳴子踊り 作詞・作曲 武政英策
よっちょれよ よっちょれよ
よっちょれよっちょれ よっちょれよ
よっちょれよっちょれ よっちょれよ
高知の城下へ来てみいや
じんまもばんばも よう踊る
鳴子両手によう踊る よう踊る
言うたち (ヨイヤサノサノサノ) * 言うたち=(そんなこと)言っても
いかんちや おらんくの池にゃ (ヨイヤサノサノサノ) * いかんちや=ダメ・いけません
おらんくの池にゃ=私(俺)の家の池には
潮吹く魚が 泳ぎよる * 潮吹く魚=鯨
よさこい よさこい
大風呂敷を広げたような歌詞なんですが、好きな歌詞です。土佐湾を自分の家の庭にある池と言い、鯨を潮吹く魚というあたりは、”いごっそう”か”どくれもん”の会話のようにも聞こえます。
何人かで自慢話をしいている会話のある部分だと思ってください。「そんなことを言ってもね。ダメなんです。我家の池には鯨が泳いでいますから。」というのが直訳になります。これは、武政英策氏のユーモア溢れる作詞だと思います。高知には捕鯨の歴史もありますし、現在でも土佐湾には鯨が生息しています。これを土佐人独特の会話で表現したものだと思います。
よっちょれよ よっちょれよ
よっちょれよっちょれ よっちょれよ
よっちょれよっちょれ よっちょれよ
高知の城下へ来てみいや
じんまもばんばも よう踊る
鳴子両手によう踊る よう踊る
言うたち (ヨイヤサノサノサノ) * 言うたち=(そんなこと)言っても
いかんちや おらんくの池にゃ (ヨイヤサノサノサノ) * いかんちや=ダメ・いけません
おらんくの池にゃ=私(俺)の家の池には
潮吹く魚が 泳ぎよる * 潮吹く魚=鯨
よさこい よさこい
大風呂敷を広げたような歌詞なんですが、好きな歌詞です。土佐湾を自分の家の庭にある池と言い、鯨を潮吹く魚というあたりは、”いごっそう”か”どくれもん”の会話のようにも聞こえます。
何人かで自慢話をしいている会話のある部分だと思ってください。「そんなことを言ってもね。ダメなんです。我家の池には鯨が泳いでいますから。」というのが直訳になります。これは、武政英策氏のユーモア溢れる作詞だと思います。高知には捕鯨の歴史もありますし、現在でも土佐湾には鯨が生息しています。これを土佐人独特の会話で表現したものだと思います。
柳町演舞場の入口です。↑ 約200mの長さです。
この蛇行した石畳は踊りのアクセントになっておもしろいかも。
さてこの演舞場は8月11日のみ、時間も18時30分から21時30分限定、
しかもここで演舞できるのは先着7チーム(当日受付なし、多数の場合は抽選)さらに限定が有ります。
踊子隊の所在地が帯屋町か追手筋に限定されています。限定づくしの演舞場です。
地方車とか踊子隊の先頭はこのあたりからスタートなのでしょうか?
高知銀行の看板があります。スタートから約100mです。↑
ここを右に行くと帯屋町筋競演場の宝くじ売り場の信号があります。
ケヤキの木を過ぎれば柳町演舞場↑約200mも終わりです。お疲れ様でした。
この先を右へ行くと帯屋町筋演舞場や中央公園演舞場へ、左は追手筋本部競演場へ通じています。
踊子さん達にとっては、ようくご存知のコースですよね。
現在の帯屋町・本町のどの区域かは江戸時代の頃?内堀沿いに桜の木があったことから桜町と呼ばれたこともあるらしい。その後、柳に植替えられれば”柳町”と呼ばれるんでしょうが、確証がありません。
万々商店街 万々歳(ばんばんざい)踊子隊のホームグランドです。
古くには城下町と北部山村を結ぶ道として万々村の東、久万村の西を通る円行寺街道が有ったとされることから、この万々商店街は円行寺街道だったのでしょう。
ここからスタートします。
準備はOK?
橋を渡ったあたりです。↑ スタートから約150m。
審査場があります。
この橋です。↓ スタート地点の銀行が見えます。
スタートから約300m。 ↑ 残り200mくらいです。
ここ万々競演場も路線バスが通過します。↓ 係員の誘導に従ってください。
ご存知の方も多いと思いますが、このスズランの形をした街灯を見てください。
夜もまた格別です。
お疲れ様でした。 接待所へどうぞ。
いかがでしたか? ↓ 約500mのストリート満喫していただけましたか?
スズランの街灯と地方車の照明…昼から夜へ
この500mの間に何台の地方車がいるのでしょう?踊子と見物人の波間をゆっくりと船団のように進みます。ここでしか味わえない”よさこい鳴子踊り”を堪能してください。