39sawachi & 39mizutaki

身近な出来事・季節の話題をあれこれと、癒しの素と元気の素を探して東へ西へ

2009 よさこい祭り 2

2009-09-10 10:17:06 | ”よさこい鳴子踊り”

2009.08.12 後夜祭 au by KDDI  帯屋町筋演舞場

サプライズではなくて、もう定番になったシャボン玉! 何時でも、何処でもこれでもかってくらいいっぱい出てくるわけじゃありません。
カメラを構えていても撮れないことだってあります。
踊も楽曲も地方車もお気に入り!! そしてさりげなく遊び心をのぞかせる演出。
今年も見たいと思わせる何かもう一つを持っている踊子隊… なんでもっと上の賞もらえんがやろ?

2008年にも投稿した“上町よさこい鳴子連”さん 地方車の提灯は今年も健在でした。
“とらっく”さんの地方車と煽りはしっかり見ました。ファインダー越しなんてもったいないので肉眼で見てました今年は。
他県遠征では多分見られない地方車を来年こそは高知で見てください。

それにしても、子供のオッカケやスタッフをやっていると殆ど踊りを見ることが出来ません。ストレス溜まりました。


2009 よさこい祭り 

2009-09-06 17:54:02 | ”よさこい鳴子踊り”

2009.8.10 AM11:00 帯屋町筋演舞場 ひろめ市場前 スタート直後

今年は2日間いろんな競演場・演舞場で踊っていた“広末涼子さん”とのことです。
帯屋町筋演舞場はAM11時スタート! もちろん“帯屋町筋踊子隊”さんが1番最初です。他の競演場・演舞場は12時過ぎてからです。スタッフをやっていた私でもちょっと寄り道して見ることが出来ました。この後、“帯筋ジュニア”さんそして“ゑびしば”さんと続きました。

はりまや橋演舞場は“ほにや”さん
愛宕競演場は“愛組”さんがそれぞれトップスタート
上町競演場は“上町よさこい鳴子連”さんがトップスタートで、“au”さんもここが踊り始め
知寄町競演場は“とらっく”さんが踊り始め(順番は不明)
未確認ですがそんなお話を聞いたことがあります。間違っていたらゴメンなさい。

帯屋町筋演舞場で広末さん・“ゑびしば”さんを見て近くのはりまや橋演舞場で“ほにや”さんを見る。それとも、自転車や路面電車で上町競演場へ行くか?確実に“とらっく”さんをみにゆくか?
携帯電話片手に“どこいこサービス”検索しながら作戦を練る… 来年まで楽しみはお預けです。






”よさこい鳴子踊り”   29 練習風景 

2007-08-08 06:21:14 | ”よさこい鳴子踊り”


シャンシャンとアーケード街に鳴子の音が響き渡ります。

踊りの写真のはずが…
あのフラフを入れよう、あの向うの垂幕も、それから祭の提灯も入れよう、アーケードの雰囲気もどこかに入れてみると、ご覧のような写真となりました。
踊りの写真は本祭のお楽しみ、揃いの衣裳の晴れ姿をお届けしたいと思います。

帯屋町筋ジュニア隊のみなさん 頑張ってください。 07.08.07 夕方 帯屋町筋商店街にて


”よさこい鳴子踊り”  27 迷所(名所) はりまや橋

2007-08-03 14:12:20 | ”よさこい鳴子踊り”


”坊さん かんざし 買うを見た”の はりまや橋です。
高知に来た友人に見せようと東西南北と何回も車で通過しました。
やっとのことで見ることの出来た友人でしたが、反応は…。 学生時代の思い出です。
****君、改めて”土佐の高知のはりまや橋”2007年7月バージョンです。堪能していただけたでしょうか?

はりまや橋交差点角(写真左)は菓舗浜幸さんです。お土産のお菓子がたくさんあります。果物のアイスキャンデーもお勧めです。横の公園で休憩の前にちょっと寄道してみてください。
ビルの看板のロゴマーク見覚えのある方おいでませんか?そうです、高知城本丸の欄間によく似ています。
詳しくは高知城で!よさこい鳴子踊りを天守閣から見るのも良いかも?


”よさこい鳴子踊り”   26  歌詞について考えてみましょう 1

2007-07-26 13:47:30 | ”よさこい鳴子踊り”
よさこい鳴子踊り     作詞・作曲 武政英策


 よっちょれよ よっちょれよ

 よっちょれよっちょれ よっちょれよ

 よっちょれよっちょれ よっちょれよ

 高知の城下へ来てみいや

 じんまもばんばも よう踊る         *じんま…おじいさん  ばんば…おばあさん

 鳴子両手によう踊る よう踊る


土佐の (ヨイヤサノサノサノ)

高知の はりまや橋で (ヨイヤサノサノサノ)

坊さんかんざし 買うを見た

よさこい よさこい
 


 はりまや橋でお坊さんがカンザシを買っていたという有名な歌詞です。江戸時代幕末期、竹林寺の僧純信と鋳掛屋の娘お馬との悲恋の物語が”よさこい節”に歌われ、昭和の時代に”よさこい鳴子踊り”の歌詞にもなりました。
 この”はりまや橋”は江戸時代初期に縦堀に掛けられた橋です。元々は、播磨屋宗徳の播磨屋と堀の向かいの櫃屋道清の櫃屋の間に掛けられた私橋だったそうです。その後、公橋となります。敵の侵入を防ぐ為の堀に橋を掛けてしまうとはなんと大胆なことをするもんだと思います。この2人は豪商であって、城下町の総年寄役や藩札発行の札座の名義人となっていたといわれ、藩からの信頼も絶大なものがあったために出来たことでしょう。
 さて純信はお馬のために、はりまや橋のどこでカンザシを買ったのでしょう。播磨屋でしょうか?それとも櫃屋でしょうか?元々はこの二つの店の間の利便性をはかり客の行き来を活発にするためでした。それから約200年ほど後になりますが、この”はりまや橋”での商売が許可されたとあります。橋の中央部三間を除いた東西の両側で商売が出来るようになったのです。20文未満の子供用玩具や小細工物・生菓子類を売ったとあります。このような店は”十九文屋”呼ばれました。その後このはりまや橋を中心に店が増え繁華街ができたとあります。橋の上にも周りにもたくさんの店があったわけです。

当初のはりまや橋の大きさ 長さ十六間 幅二間  一間は約1.8mとして  長さ約28.8m  幅約3.6mとなります。


貨幣について *当時の物価やレートは不明ですので、かなり強引な計算となります。

 一両 = 4000文 と有りました  一両=37.5gの金と算出します
 金は07年7月20日現在1g当たり2800円と想定します

 2800×37.5÷4000=26.25  一文=26円25銭  26.25×20=525円

 十九文屋は現在ならば約500円以下の商品を取り扱う店となります。
 かなり強引な計算になりましたね。これでは、夢も希望もないというか、祭の情緒もなくなりますよね。申し訳ございません。



”よさこい鳴子踊り”   25 歌詞について考えてみましょう 2

2007-07-26 11:38:09 | ”よさこい鳴子踊り”
よさこい鳴子踊り     作詞・作曲 武政英策

 

 よっちょれよ よっちょれよ

 よっちょれよっちょれ よっちょれよ

 よっちょれよっちょれ よっちょれよ

 高知の城下へ来てみいや

 じんまもばんばも よう踊る

 鳴子両手によう踊る よう踊る


土佐の (ヨイヤサノサノサノ)

名物 サンゴに鯨 (ヨイヤサノサノサノ)

紙に生糸に 鰹節

よさこい よさこい
 

この歌詞は土佐弁を使うこともなく、高知の特産品・名物の紹介になっています。
曲全体のストーリーとしては、鏡川を下って土佐湾へ、お城下の話に続いて裏戸湾から桂浜へ、そして土佐湾の鯨の話となります。
 ”よさこい鳴子踊り”のルールに「曲のアレンジをしてもよいが”よさこい鳴子踊り”の曲を必ず入れる。」とあります。詳しくはよさこい祭振興会をご覧ください。
どんなにアレンジしてもよい、どこかに曲を入れればOKとくれば、著作権もなきに等しい自由な祭の曲に聞こえます。鳴子は持ちさえすればいいなどと解釈されることも耳にしますし。
裏を返せば、武政英策氏は『マニュアルがないと祭を楽しむこともできないの?今更ルールなんて細かい事そこまで言わなくてもいいですよね。楽曲もどこかに曲を入れれば自由にアレンジしてもいいですよ。私の曲を超えた良い曲にしてくださいね。』と言われているようにも思います。
 まあ、祭の創成期から踊り歌い継がれてきた”正調よさこい鳴子踊り”があればこそなんでしょう。コアの部分と言うか根ざしている部分には、作り手・踊り手・支え手(私の造語:陰日なたで祭を支えてくれる人々)の境を越えて”正調よさこい鳴子踊り”があると思います。

 詞訳と言うよりも戯言になってしまいました。これも、文法的な詞訳が出来ないことが原因であり、無知を痛感しております。ご了承ください。歌詞の順番はランダムに投稿できた順になっています。


”よさこい鳴子踊り”   24  歌詞について考えて見ましょう 3

2007-07-26 10:33:38 | ”よさこい鳴子踊り”
よさこい鳴子踊り     作詞・作曲 武政英策


 よっちょれよ よっちょれよ

 よっちょれよっちょれ よっちょれよ

 よっちょれよっちょれ よっちょれよ

 高知の城下へ来てみいや

 じんまもばんばも よう踊る

 鳴子両手によう踊る よう踊る


みませ (ヨイヤサノサノサノ)            *みませ=御畳瀬(地名)と見なさい の掛詞

みせましょ 浦戸を開けて (ヨイヤサノサノサノ) *みせましょ=見せましょう・魅せましょう の掛詞
                             *浦戸(地名)と裏戸(裏の戸)の掛詞

月の名所は 桂浜

よさこい よさこい
 

御畳瀬・浦戸ともに中世から港があり、浦戸には長宗我部氏の居城がありました。また、歌にもあるように景勝地であったとされます。
 さてこの歌詞は、御畳瀬・浦戸の景観に続いて浦戸と背中合わせの桂浜の景観の素晴らしさを歌ったものでしょう。(私の得手勝手な推論です。)現在の御畳瀬・浦戸には漁港があり当時の史跡も多くあるそうです。