神の探求スタディーグループ千葉

エドガー・ケイシーの最大の業績と言われる「神の探求」のテキストをもとに霊性向上を学ぶ勉強会を開催しています

第30回ミーティング開催報告

2013年09月28日 | 開催報告
以下のとおり第30回ミーティングを開催しました。

日時 2013年9月22日(日)9時00分~12時00分
場所 千葉市生涯学習センター研修室3(千葉市中央区弁天3丁目7番7号TEL.043(207)5811)
    会場交通案内→ http://www.chiba-gakushu.jp/know/know_04.html
参加者 千葉県、神奈川県、埼玉県より男性5名、女性4名の参加。
費用 1人300円(会場費)
内容
(1)第11課"幸福"の課題に取り組んだ体験報告
(2)第12課"神の霊"(前半)の輪読
(3)第12課"神の霊"(前半)にちなんだ課題設定
(4)祈り・瞑想 など


★第11課"幸福"等について、前回メンバーがそれぞれ設定した課題に取り組んだ体験報告の概要は以下のとおりです。

(1)主の内に自己を失うという目標をたててから、仕事や生活の中で「忍耐」を求められる場面がとても多くなった。自己を失う事はなかなか難しいが、これが自分の課題であり、乗り越えなくてはならない機会を与えてもらっていると感じるようになった。怒りの感情はある程度コントロールできていると思うが、「主の内に」という事がまだ出来ていないと思う。

(2)選択の場面では神を選び、利己主義にならない事を目標とした。以前の自分と比べ、心の中には主の道への思いがあると思うがまだ自己が強いと思う。
 辛い事があり、苦しい思いで過ごす時が何度かあった。誰にも相談できず孤独感と不安感が押し寄せてきた時に、主に心から救いを求めてお祈りをした。気が付くと不安な気持ちが和らぎ悲しみが薄れ、今やるべきことに向かえる前向きな気持ちになっていた。このような場面が数回あり、神への祈りの力と与えられる愛について実感する事ができた。辛いと思っていた出来事が、神を知るための体験の場だったのかもしれないと思った。

(3)聖書、神の探求を学ぶ・・・先月から腰が痛く、すっきり治らないのに無理してしまい教会の学びにも参加出来ませんでした。
 自分を第三者的に客観視していく・・・手帳に1日を振り返ってから瞑想をすると、雑念に振り回される時間が少なくなり、集中出来ることに気がつきました。
 瞑想に関しての本(宝彩有菜さん、小池龍之介さん、バカバッド・ギータ(宝彩有菜さんの解説))を読んだことで瞑想について理解が深まり、瞑想することが楽しみになって来ました。
 また、少し不思議な体験をしました。
 それは、先日寝ていて何か怖いものが襲ってきた時、今までは「怖い。怖い・・・」と思っていただけなのにその時何故か「何が怖いのか、見てみよう」と思いました。すると、ほとんどの言葉は誰が言ったのか分からなかったけど、父の声ははっきりと分かり、それらは子供の頃の私が言われて傷ついた色々な人の言葉だとわかりました。
 私は、そんな言葉を集めた存在があるとは思わなかったし、それで今でも寝ている時たまにアクセスして怖がっている自分がいるということにとても驚きました。瞑想によって不必要なものを捨てることが出来たんだと思いました。

(4)「感謝の心でいる」「親切でいる」「しばしば微笑む」「同胞の中に神を見る」という課題を立てた。困っている同僚の仕事を率先して引き受けたり、いろいろな頼まれごとを嫌がらずたんたんとこなすことができた。しかし、忙しすぎて睡眠不足となり、心のゆとりを失うこともあり、葛藤も多かった。しかし、そんななか多くの人が自分を気遣ってくれ、そのような人のなかに神の愛を感じて、感謝するような出来事も多かった。

第29回ミーティング開催報告

2013年09月02日 | 開催報告
以下のとおり第29回ミーティングを開催しました。

日時 2013年8月25日(日)9時00分~12時00分
場所 千葉市生涯学習センター研修室1(千葉市中央区弁天3丁目7番7号TEL.043(207)5811)
    会場交通案内→ http://www.chiba-gakushu.jp/know/know_04.html
参加者 千葉県、神奈川県より男性2名、女性3名の参加。
費用 1人500円(会場費)
内容
(1)第10課"知恵"の課題に取り組んだ体験報告
(2)第11課"幸福"の輪読
(3)第11課"幸福"にちなんだ課題設定
(4)祈り・瞑想 など


★第10課"知恵"等について、前回メンバーがそれぞれ設定した課題に取り組んだ体験報告の概要は以下のとおりです。

・「主の内に自己を失う」「愛を示す、穏和でいる」を主として過ごすように心掛けました。いろいろと試練を感じた1か月で非常に長く感じました。現実世界では、大事なのは結果だといわれるが、霊的世界ではどのような気持ちでどのような行動をとったたかという過程が大事であり、結果は神にゆだねるのだと、改めて気が付いた。現実と霊的世界では価値が置かれるところが全く違うのだと思った。

・自分を第三者的にみるトレーニング(自己を捨てるためのトレーニング)を行う事を目標として1か月を過ごした。なかなか第三者的に見る方法が見いだせずに過ごした。日記をつけると客観的に見る事ができるとアドバイスを頂いた。
 日常の雑務に追われ霊的に意識して過ごす事がなかなかできない中、1つ心に残る出来事があった。ある方が出来心で些細な悪さをしてしまった。一般的には非難されてしまうような行為でした。私は偶然それを目撃してしまい少し混乱していたが「彼の中にも主がおられる」という気持ちを持った時、心からその方を許し励ます気持ちが湧いてきて、その方を非難することなく、良い仕方で接する事ができた。

・聖書、牧師先生の聖書解説テープを聞く、神の探求の本を読む・・・少しずつ読み学んで来ました。
 自分を第三者的に客観視する・・・一日の終わりに私と接した人から見た自分というものを想像してみると、いうことをしてみました。その結果、「謝るべき時もっと心を込めるべきだった・・・」とか「時々思いがけず きつい事を言っているような気がする・・・」と反省することもありました。その後先生は、手帳に予定は鉛筆で記入し、実際の行動はペンで書き直す。その時、自分がどう思ったか気持ちと行動を省みていると聞き、数日前から私も同じように取り組んでいます。
「聖霊が来ると嫌な人でも愛せるようになる」と牧師先生から聞き、祈りの時「聖霊が来てくれる事」を祈っていましたが、私自身「愛する」という強い気持ち・決意がなければダメなのでは・・・?思うようになりました。愛=思いやりをいつも意識したいと思います。

・ケイシー先生を学んでいることで、聖書を深く理解されていて尊敬している方から怪しまれた。なぜこのような体験をしたのかと考えていたら、自分も同じように人を疑ったり偏見をもっていることに気づき、反省した。この気づきによって、人を愛する気持ちが少し強くなった。
 また、聖書とケイシー先生の教えは違うとも言われた。(その時、その方はケイシー先生の本を読んだことがなく、何かで調べただけだったようだ。)自分にとってはケイシー先生のお陰で聖書に親しむようになったし、ケイシー先生と聖書の間に「違い」を意識したことはなかった。この体験の意味を考えていたら、ワンネスのリーディングを読みたくなった。「もしも人々がお互いの違いではなく、共通点に気がついたなら、この世界はどんなにか、光り輝くものになるであろうか。全ての人々の中には、共通の思想、同じ目的、同じ希望や愛、そして他の人たちへの、慈悲と奉仕の心が隠れているのだ。世界中の人々が、主なる神はおひとりであることに気づきさえしたならば…父なる神のもとでは、我々すべてが同じ家族の一員、子どもなのだということに。」世の中には色々な思想、宗教宗派があるけれども、自分はケイシー先生のこのワンネスの姿勢(その違いではなく、共通点に目を向ける)で接していきたいと思った。
 今回は密度の濃い体験に次々と導かれたが、その体験の意味を考えていると、内側から気づかされた。「知恵を他の人に尋ねてはならない。知恵は汝自身の心の中にある」という今回の学びの主題を、体験を通して学ばせてもらったと思い、神様に感謝した。