ぐだぐだくらぶ

ぐだぐだと日常を過ごす同級生たちによる
目的はないが夢はあるかもしれない雑記
「ぐだぐだ写真館」、始めました

僕の知らない夏

2007年08月31日 17時50分51秒 | 小説
「シンスケ君だよね!? 私のこと、覚えてる?」



喫茶店の制服に身を包んだ女が、眩しい笑顔を向けている。

「うわ~、懐かしい! あれって、何年前だっけ?

まさかこんなところで会えるなんて思わなかった・・・!」


「あの・・・」

「何? 懐かしすぎて、何喋っていいか分からないって感じ?」

目を輝かせる店員の顔を窺いながら、恐る恐る口を開く。



「いや・・・ごめん、思い出せないんだけど、誰だっけ?」



女が一瞬虚を突かれたような顔になった。

それを取り繕うように、慌てて両手をバタバタさせる。トレーに付いた水が飛び散る。

「えっ? ほら、私だよ~! 覚えてないの?」

胸元に付けた名札を指差す。だが、そこに記された名前には全く覚えがない。


俺が首を傾げていると、その店員は戸惑いながらも、ぱっと笑顔になった。

「そっか、やっぱ覚えてなくて当たり前か。ごめんなさい」

先程のはしゃぎっぷりが嘘のように、そそくさと立ち去っていく。

笑顔の裏に、どこか落胆の色が見えた気がした。




突然の珍事に考え込んでいると、テーブルの向かいの後輩二人が訝しげな目を向けてきた。

「・・・今の人、誰ですか?」

「・・・分からねえ」

「でも、先輩の名前知ってましたよ? それにあんなに綺麗な人、

先輩なら一度会ったら忘れないでしょ」

「知らねえもんは知らねえんだよ」


彼女の話からして、俺はかなり昔に彼女と知り合っているらしい。

それも、かなり親しい関係のような話しぶりだった。そんな気がする。

問題は、俺は生まれてこの方18年、彼女と同じ名字の人間と会った記憶が無いことだ。



記憶を辿りながら、時計を見た。4時を少し回っている。

「まずい、そろそろ行くわ。お前らも出るか?」

「いいんですか? 結局さっきの人、誰なのか分からずじまいですよ」

「5時までに、大学に資料出しに行かなきゃいけねえんだ」

後輩のユイが、むっとした顔をしている。

「・・・・・・。なんか、薄情」

「仕方ないだろ」



会計を済ませ、重いドアを押して外に出る。

春の訪れが近いというのに、風は身を裂くほど冷たい。

「寒っ・・・雪でも降るんじゃないですかね?」

後について出てきたもう一人の後輩が、体を震わせながら漏らした。

3月も終わりが近い。




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陽炎に包まれた街は、去年と何ら景色を変えていなかった。

日は傾きつつあるが、アスファルトからはじりじりと熱を感じる。

半年も経たずにこれほどまで気候が変わるとは、日本というのは不思議な国だ。


暑さから逃げるように、校門に駆け込む。懐かしい感覚だ。

高々半年のことなのに、「懐かしい」という言葉が浮かぶのも何処か可笑しい。

人にとって、過去は思ったより速く遠ざかっていくものらしい。

こんなことを言うと、後輩達に年寄り臭いと笑われそうだ。



夏休みの体育館には、誰もいない。

何故か、真ん中にバスケットボールが一球置かれている。

俺は引退なんかしてねえぞ、と突っ込みを入れつつ歩み寄ると、

きんと冷たい空気がシャツの下を吹き抜けた。

ボールを手に取る。顔を上げ、ゴールリングを睨む。


シュートの体勢に入った瞬間、背後のドンッという音に体が強張った。

ボールは慣性のまま俺の手を離れ、ぽとりと前に落ちた。

振り返ると、バスケットボールを抱えたユイが、口を押えて笑いを堪えている。

「は、浜中先輩、お久し・・・ぶり・・・うぷぷッ」

「何がおかしい」

「いえ、何でもないです・・・ふう」

ユイは俺の目を見ると、また吹き出しそうな顔になった。




「確か先輩、明日帰るんでしたよね?」

さっきの笑いといい、ユイは何やら上機嫌だ。

「そうだな・・・高校に顔出して、帰省でやるべきことは全部やったし。

それに、もう8月も終わりだからな」

ガラス戸の外に目をやる。西日が差し込んでいる。


「じゃあ、今夜、花火見に行きませんか!?」

「・・・花火? ああ、そういえば、この時期は近くで花火大会があったな」

俺の反応が悪いことに、ユイは怪訝な表情を見せる。

「直接行ったことはないからな」

高校時代は、自分の部屋の窓から見ていた。


「それなら、せっかくだから行きましょうよ! 初めての花火大会」

「・・・別に行ったことが無い訳じゃないんだけど」

記憶の深いところに、夜空に打ち上がる大きな花火が焼き付いている。

最後に見たのはいつだろうか。去年の夏か。屋内からだが。



ユイがまたクスッと笑った。昔から思っていたことだが、こいつはどこかつかみどころがない。

「それに・・・今日、あの人も来るんですよ。喫茶店の人」

「喫茶店? 何だそれ」

俺がぽかんとしていると、怒ったように睨みつけてきた。

「前喫茶店で話しかけられた女の人ですよ、もう忘れたんですか?

そんなだから、あの人が誰かも分からなかったんじゃないですか」

いや、忘れていたわけではないが・・・

唐突に「喫茶店の人」と言われて思い出せるほど、俺の頭は回らないぞ。


「何でまた、そんなこと」

ユイが得意気ににやついている。

「あれから気になって、あの喫茶店に通ったんです。そのうち、あの人と仲良くなっちゃって。

今日、先輩も誘って花火に行こうって決めてたんですよ」

俺の意思は無視する前提だったということか。


「聞きましたよ、先輩とあの人の関係」

一瞬息が止まった。悟られないよう、平静を装う。

「あー、そうなのか。結局、誰?」

「気になってたんですねー、先輩」

またにやっと笑った。その通り、図星だ。

「直接聞いた方がいいと思いますよ、せっかく会うんだから」

本人の返事を待たずして、浜中シンスケ君の花火大会行きは決定した。




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夏には終わりがある。


これは俺の感性の問題かもしれないが、夏というものは殊に「終わり」を示したがる。

熱を帯びた思い出を残していく、儚い季節。

感傷的な言い方だが、自分自身あながち的外れではないと考えている。

まあこれには、「夏休み」の文化が少なからず噛んでいるのだろうが。



窓の外を見る。日が落ち、空は濃い群青色に変わりつつある。

西の川の向こう、あの辺りに、花火が上がるはずだ。

毎年のように窓に映る花火を見る度、溜め息が出る。

それは感嘆でも何でもなく、自分でも呆れる程単純な理由からだ。

あそこで花火が上がると、夏が終わる。

開いては消える花火が、そのことを否応無しに突き付けて来るのだった。


俺自身、この時期に花火を見るのは、感傷に浸りたい人間くらいだと冷淡に見ていた手前、

いくら後輩の誘いとはいえ、どうにも気が乗らない。

いや、むしろ拒否する感情を抑えていると言った方が、体裁は悪いが正確かもしれない。

そんなつまらない表現を頭の中で掻き回していると、家の前を歩くユイが見えた。




「・・・どうしたんですか? 先輩」

「ん? ああ・・・」

遅れて歩く俺に痺れを切らしたように、ユイは振り向いて立ち止まった。

「何か乗り気じゃないみたい」

「それも間違っちゃいないけど・・・ちょっと考え事を」

「何ですか」

「それだよ」

俺に指差されたユイは、少し小さい紺の浴衣を着ていた。

「あっ、これですか? 中学生の時にもらったやつなんですけど、

ギリギリまだ着れたから、せっかくだし」

「・・・・・・」

「・・・似合ってないですか?」

「いや、いいんじゃない」

俺は本心で言ったつもりだったが、ユイはふてくされたように先を歩き出した。


歩を早め、前を行く後輩の機嫌を伺う。

「そういえば、その何だっけ、喫茶店の人とは、何処で落ち合うの?」

ユイはちらっとこちらを見た。

「やっぱり、名前覚えてなかったんですね。そんなことだろうと思いました」

ユイの「喫茶店の人」という表現の意図に思い至り、ぎくりとした。

「えっと、何て言ったっけ。結構珍しい名字だったはずだけど・・・」

恐る恐る顔を上げたが、ユイの顔は穏やかだった。

「改めて聞けばいいですよ、あの人は怒ったりしないです」



賑やかな声が聞こえてきた。通りの先が明るい。通りを歩く人の数も増えてきた。

「やってますね~」

「やってるね」

昼の暑さが戻ってきたような熱気が、遠くからも感じられる。シャツを軽くばたつかせた。

屋台の並ぶ川辺に向けて、俺達は歩を速めた。



白熱電球の光と熱が、屋台通りの人々を彩っている。

お祭り気分と言わんばかりの音楽と笑い声が、慣れない耳を埋める。

浴衣姿の小さな子供たちが、二人の間を走り抜けていった。

「こんなに騒がしかったか・・・?」

「・・・・・・すよ」

「え? 何て言った!?」

「こんなもんですよ! お祭りですから!」



袖を大袈裟に振りながら歩くユイの視線が、遠くに向けられたのが分かった。

「あっ、いたいた! お~い!」

ユイが手を振る。浴衣の袖がはだけた。

ユイの視線をたどると、同じように手を振る姿が遠目に見えた。


ふわっと、隣から風を感じた。次の瞬間、ユイの姿は数メートル先へかっ飛んでいた。

慌てて走り出す。人をかき分け、紺色の背中を目で追う。

あの格好でも走れるってのは、体育会系女子とは恐ろしいものだ。


追い付きそうになったところで、右肩が強くぶつかった。

「あっ・・・すみません」

振り返った先の男は鋭い目で睨んできたが、何も言わずに隣の女と去って行った。



前を向くと、人混みがぽっかりと空き、大きく視界が開けていた。

素早く駆け込む。奥に、目的地にたどり着いたユイが見える。

そして、親しげに話している、もう一人の・・・


彼女は、淡い赤の浴衣に身を包んでいた。

ふわりと、見る者の感覚を奪い取ってくるような、艶やかな雰囲気を纏いながら。

まるで周囲の人間が、彼女の穏やかな「気」に、弾かれているようにさえ見えた。

彼女を取り巻く空気に侵入した瞬間、俺の五感はすべて彼女に支配された。

・・・いや、俺の五感が、思い出したのだ。彼女を。




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それはいつ、どこでのことだっただろうか。

それすらも思い出せないような、遥か昔のことだ。


僕は親の都合か何かで、夏休みを離れた土地で過ごすことになった。

はっきり覚えていない上に、幼い頃の主観だから断言はできないが、

おそらく世間で言う「田舎」に当てはまるような場所だ。

そこで、僕は「彼女」に出会った。

会ったきっかけも、彼女がどこの誰だったかさえ、記憶には残っていない。

ただその期間、連れ立って遊んでいた子供たちの一人というだけ。

それほど曖昧で、漠然としたものでありながら、

ただ一つ、ある情景が、不気味なほど鮮烈に焼き付いていた。



屋台と人の喧騒に呑まれながら、僕は一人で焦燥に駆られていた。

周囲の大人を見上げ、知らない顔と目を合わせては、焦りが増していく。

夏祭りに出かけた先で、親達とはぐれたのだ。

すっかり狼狽した僕は、綿菓子屋の前から一歩も動くことができなかった。



見上げた人混みの背景に、大きく開いた花火が映り込んだ。

僕は反射的に耳を塞いだ。指を耳の位置にしっかりと合わせ、力を込める。

次の瞬間、ドン、という微かな音と共に、空気がビリビリと振動する。


手を耳から離し一息つくと、綿菓子を持った「彼女」が、目の前で冷やかな顔を見せていた。

「何やってんの」

「・・・・・・」

彼女から目を逸らし、僕は河川敷の方向へ歩き出した。

見知った人間に会えた安心感よりも、突き放すような口調に対する反発が勝っていた。


人の隙間をするすると抜け、河川敷の広場に出た。

辺りを見渡すが、両親の姿は見えない。人混みの中で、探し回っているのかもしれない。

「迷子なんでしょ、あんた」

すぐ後ろに、追ってきた彼女が立っている。

「・・・・・・」

「やっぱり」

「お前はどうなんだよ」

「あんたより2つもお姉ちゃんなのよ、一人で歩き回るくらい」

いつも活発な彼女の、見慣れない服装――薄紅色の花柄の浴衣から漂う、

どこか落ち着いた雰囲気が、僕に劣等感を感じさせた。

互いの年齢など、あの時は気にもかけていなかったのだが、

それでも彼女と僕との間は、子供の感性では捉えきれない、何かに遮られていた。



河川敷の方へ向き直る直前、僕は全身が緊張するのを感じた。

彼女の背後に、今日一番の大輪が打ち上がっていた。

慌てて耳を塞ごうとすると、両手をぐいっと握り締められた。

「な、何すんだよ! やめろ!」

「へへっ、これで耳塞げないでしょ」

焦りで目を見開きながら、彼女の手を振りほどこうとむきになった。全身の毛が逆立った。

「もう、幾ら何でも怖がり・・・」


彼女の声を吹き飛ばすように、重く低い爆音が辺りに響いた。

体が強張る。空気の波が、彼女の体を回り込んで僕を襲う。

二人の体は音の衝撃をもろに受け、弾かれた。


一瞬の静寂の後、河川敷から喝采が起きた。

茫然としていた彼女と僕も、我に返る。目が合う。

「・・・今、ビビっただろ?」

「え? べ、別に・・・」

「嘘つけー! 今、すっげー手に力入ったぞ」

「それは、まあ・・・ちょっとは・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

それっきり、二人とも黙ってしまった。辺りには拍手が響いていた。



「明日の朝、帰るんだ」

花火が散った空を見上げながら、彼女は切り出した。

「ふーん」

「あんたは、いつまでいるの? 夏休みも終わりでしょ」

「もうちょっといるって、父ちゃんが言ってた」

「そう・・・で、そのお父さんは?」

自分が迷子だということを、僕はすっかり忘れていた。


「あっ、あそこにいるじゃない、お父さんとお母さん」

屋台の手前で、僕を呼ぶ両親の姿が見えた。

「よかった。それじゃ」

「・・・・・・」

「ちょっと、ありがとうくらい言ったらどうなの」

「・・・ありがとう」

その一言を言うことが、何故か躊躇われた。彼女はぱっと笑顔になった。

「うん、私も、最後に話せてよかった。それじゃ、バイバイ」

彼女は僕に背を向けて歩き出した。

僕は、淡い彼女の背中を見つめていた。

そのまま彼女に引きずられていくような、錯覚すら感じながら。


「おーいシンスケ、行くぞー」

父親の声に引き戻され、振り返った。

明々と照明が照らしていた屋台も、少しずつ暗くなり始めていた。


両親の元へ駆け出そうとした時、背後から肩を乱暴に捕まれた。

「ちょっと待って!」

少し火照った彼女の顔が、視界一杯に映った。

「そういえば、名前何て言うんだっけ? 忘れちゃった」

「え・・・シンスケ。浜中シンスケ」

ああそうだ、と手を打ち、彼女はにっと笑った。

「とりあえず、名前くらいは覚えといてあげる。じゃあね」

たじろぐ僕を尻目に、彼女は浴衣姿で走っていった。

「シンスケ、早くしないと置いてくぞー」

父親の声が、やけに遠く聞こえた。

そうだ。僕達は、互いの名前も知らずに、こうして共に過ごしてきたのだ。

彼女の淡い赤の浴衣が、人混みの中に消えていく。

父親が手を引くまで、僕はその場で立ち尽くしていた。




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蘇った感覚が、全身にふっと吸い込まれた。

はっと我に返った瞬間には、上半身が大きく前に乗り出していた。

「へぶっ!」

目の前が真っ暗になる。腕に、膝に、鈍い痛みが響く。

遠巻きに、クスクスと笑い声が聞こえる。

「ちょっと先輩、ダサいですよ! 大学で運動不足なんじゃないですか?」

ユイのからかう声に、全身が熱くなるのを感じた。

ぐっと体を持ち上げ、真っ赤になった顔を上げようとしたところで、

俺の目に、薄紅色の浴衣の裾が飛び込んできた。



見上げた先、あの夏の「君」が、屈託のない笑顔を浮かべていた。




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