聖なる書物を読んで

現役JW29年目

新世界訳(ウィキ)

2018-09-28 | 聖書
以下ウィキペディアからの引用です。

本書を正当に聖書と呼ぶことができるかについては、この訳がさまざまな箇所に変更を加え、自らの教理との矛盾を避けて訳されたことなどが、しばしば問題となる。

本書の特色として「エホバのみ名」が用いられているとのことであるが、少なくとも新約聖書では、原文にはその名はない。・・・・エホバの証人の組織の判断で「どこにも根拠のない」“復元”がなされたのである。
エホバの証人によれば、現存する最古写本は三位一体確立以降の西暦3世紀のものであって、それまでに(み名の)削除が行われていたというが、実際には最古写本の年代は紀元66年であることが学術的に確定している。

統治体の成員を11年間勤めたのち排斥された(脱退した)レイモンド・ビクター・フランズによれば( レイモンド・フランズ著・樋口久訳、『良心の危機 ―「エホバの証人」組織中枢での葛藤』)、「新世界訳聖書翻訳委員会」は次の4名からなり、すべて統治体の成員であるという。組織の最上層部による翻訳といえる。
ネイサン・ホーマー・ノア (第三代会長)
フレデリック・ウィリアム・フランズ (第四代会長)
アルバート・D・シュローダー
ジョージ・D・ギャンギャス
同著によれば、この中では聖書の言語について、この種の翻訳をするための知識があるのはフレッド・フランズだけだった。フレッド・フランズは、シンシナティ大学でギリシャ語を二年間学んでいたが、ヘブライ語は独学だった。
すなわち「言語知識があったのはひとりだけ」であり、「聖書を理解している人たち」が訳したというエホバの証人側の主張はこれと矛盾する要素を含んでいる。

テサロニケの信徒への手紙二1章12節(本書表記では『テサロニケ人への第二の手紙』)においては本書のほか、キリスト教の聖書では新共同訳聖書と口語訳聖書が「神とキリスト」の読みを採用しているが、新改訳聖書は「神であるキリスト」の読みを採用している。新共同訳は美しく自然な日本語が評判で広く用いられており、また口語訳も終戦直後から長く愛されてきたのであるが、新改訳は聖書原典にひときわ忠実であることで支持されており、面目躍如である。 ペトロの手紙二1:1(本書表記では『ペテロの第二の手紙』)においては本書と新共同訳聖書と口語訳聖書が「神とキリスト」の読みを採用し、新改訳聖書が「神であるキリスト」の読みを採用している。 テトスへの手紙2章13節においては本書と新アメリカ聖書(英語)、現代英語の新約聖書(英語)が「神とキリスト」の読みを採用し、新共同訳聖書と口語訳聖書と新改訳聖書が「神であるキリスト」の読みを採用している。


以上ウィキペディアからの引用です。


教義に合わせて聖書を書き換えることって、きっと歴史を通じてずーっと行なわれて来たことなのかもしれないなぁ、なんて思いました。正典として採用されるものも、宗派によって違うようだし(エホバの証人はプロテスタントから引き継いでるのかな)。
パウロが書いたとされてる手紙も、半分くらいはパウロじゃないかもしれない、とか、啓示も(裁きに関する部分は)ほとんどが書き加えられたものだ、とか。

こうした事柄に、神のご意志がどこまで関わっているのか。聖書の大筋は変わらないんだろうけど・・・こんな風に、いろいろ解釈できるってことが何を示しているのか。なぜ、誰が読んでもはっきりとした教義を導き出せるようになっていないのか。(三位一体もありかなぁ・・・なんて思ったりw)
聖書ってほんと興味の尽きない本です。
でも自分、それほど熱心でもないし、勉強家でもないので、適当にやって行こうと思ってます。


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