聖なる書物を読んで

現役JW29年目

忌避って

2019-10-04 | エホバの証人
昨日、買い物の途中、会衆の一人の姉妹(私服だったから奉仕中じゃない)を見かけて、こちらから近寄って挨拶したんだけど、彼女の方はこちらと目も合わさず挨拶もそこそこに行ってしまった。

あれ? もしかして自分、要注意人物にされちゃってるのかな?・・・なんて主人と話してたところ。

今日、買い物の帰りに、奉仕中の二人の姉妹に声をかけられて。久し振りだったのでお互い笑顔で少し立ち話して。

ああ、要注意人物にされてはいなかったんだなと一安心。

逆に・・・あれ? もしかして昨日会った姉妹が、自分の知らない間に姉妹じゃなくなっちゃったのかしら?・・・なんて思っちゃいました。

面倒臭いよね。忌避の取り決めなんてあるせいで、こっちもいろいろ気を遣っちゃうよ。(ちなみに、忌避とは、単に無視するんじゃなくて対象を憎み嫌うことも含んでる言葉)

ホント、なんなんだろうねぇ、挨拶もしない忌避の取り決めって。キリスト教の精神どころか、人間の最低限の道徳ですらないでしょうに。

この取り決めが強調されるようになったのって、いつくらいからかな? 放蕩息子のビデオのころから? それまではこんなに、家族でも忌避するようになんて強調されてなかったような気が・・・(ちなみに88年4/15の塔記事p26~31に忌避のこと書いてあるけど、家族としての愛情は続くとある。忌避されてる人が法律に訴えて組織に損害賠償を求めることはできない、っていう判決例も載ってる)

で、変な話、バプテスマを受けないで離れて行った子たちとは普通に連絡取りあえるけど、バプテスマ後に離れてたら連絡も出来ないから、うちの子たちはバプテスマ受けてなくて良かった~、ってなことにもなったりという・・・変な理屈だけど、親からしたら切実だよね。

ホント、この教理は受け入れられない。へそが文句言う。

・・・ところで、今日お会いしたお二人の姉妹の年齢は、合計しておよそ150歳。今キャンペーン中だから若い人たちにコンタクトカードを渡すの、と張り切っておられる様子。お二人とも穏やかなイイ笑顔でした。

上層部は腐っていて、聖書も教理もはてな?だけど、騙されてるとは思っていない個々の証人たちは、生き甲斐を持って生き生きとしているんだから、これはこれでアリなんだろうな、と思いました。

自分にはもう無理だけど。