聖なる書物を読んで

現役JW29年目

十人のらい病人

2018-08-08 | 聖書
イエスにらい病(今は、重い皮膚病、というらしい)を癒された十人のうち、サマリア人一人が神の栄光をたたえながら戻って来て、イエスの足元にうつ伏して感謝した。

この出来事から学べること。

感謝を表すこと・・が主眼じゃないと思う。
もちろん感謝を表すこともとても大切だけど。


ここでのポイントは、神の栄光をたたえる、他国の人、信仰。

イエスは、ご自分をメシアだと認め、神の栄光をたたえたのが、ただ一人、この他国の人だけだったことを嘆いてるんだと思う。
ご自分が遣わされたのは、まずはイスラエル人を救うためだったのに。

イスラエル人は、自分たちは神の民だという選民意識が強く、謙遜さに欠けていた。(前の文脈を見ると、奴隷がすべきことを行なった・・・という例えがでてくる)
それが、純粋なメシアへの信仰を阻むものになっていた。

他国の人が表す信仰を見るたびに、イスラエル人の信仰の無さを、イエスは嘆かれたんだろうな、と思う。

自分がこのらい病人の一人だったらどうしただろうな、と考える。
組織の考え方(イスラエル人)に染まってたなら、きっとそのまま祭司に見せに行っただろうな。
でも、神への信仰をしっかり持っていた(他国の人)なら、イエスのもとに感謝しに行けたかも。


さて。

この記述から、感謝について何が学べるか、と組織は問う。
そして、感謝を抱くだけでなく、表す「べき」であると強調する。

大事なのは、「すべき行ない」を強調することではなく、「行いたいという動機づけ」を与えることだと思う。

あれをすべき、これをすべき。
それができていれば、是認される。

こんなんじゃ、信仰もへったくれもないじゃないかぁ・・