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聖なる書物を読んで

現役JW29年目

状況が変化しても平穏な気持ちを保つ

2018-12-29 | ものみの塔
明日のものみの塔研究記事。

え~と・・まず、組織の人の経験は読む気にならないです。ホントかどうか分からないし、組織が言いたいことの裏付けのために、都合よく話を作ってるでしょうし。

そうすると、2~5節、11~16節、19節前半と22節くらいしか読むところがありません。

2節。主題の聖句、詩編131:2より「わたしは自分の魂をなだめ、静めました」。
この131編は、神に対する幼子のような信頼を歌った詩。幼児が母の腕の中で安心し満足しているように、魂の平和は、神の御前で幼子のように(傲慢になったり高ぶったりせず、大いなることやくすしいことも求めず)神を信頼し身をゆだねることだと。

3節。「(ヨセフは)希望を失ったりいらだったりすることはありませんでした」と断言しちゃってる。ホントかよ。そんなにスゴイ人じゃ、お話にならないじゃん。

4節。「ヨセフは投獄されている間、どんなことを考えましたか」という質問。・・・んなことヨセフに聞いてみなきゃ分からんでしょ。「以前に見た預言的な夢を思い出して、エホバは愛してくださってるはずだと考えた」のだとしたら、なんと傲慢なことかと。だいたい兄たちに妬まれたのだって、偉そうに自分の見た夢を自慢したからでしょ。奴隷となってまでそんな夢にすがってたのだとしたら、エホバは共にいて下さらなかったと思うよ。

5節。「・・・・神の平和が知力を守り、穏やかな気持ちを持たせてくれます。(フィリピ4:6,7)不安に押しつぶされそうな時エホバに助けを求めましょう」。ここまででいい。「そうすれば、あきらめずに奉仕し続けることができます」はいらない。平穏な気持ちを保つために書かれた記事であって、奉仕を続けるために書かれた記事じゃないでしょ。

11節。「(ヨセフは)エホバに祝福していただくため、ベストを尽くそうと決意しました」ってまた断言してるけど、そんなこと聖書に書いてあったっけ? もしそうなら、下心ありありじゃん。ベストを尽くすのって、祝福のためなの? エホバの証人はみんな、祝福のためにベストを尽くして奉仕してるの? 神を愛してるからじゃないの?? いつからそうなっちゃったんだろう。

12節。「ヨセフは知る由もありませんでしたが」って・・・聖書読んでる?? ヨセフはずーっと待ってたと思うよ。創40:14でヨセフは、「ですが、あなたにとって事がうまく運んだら、わたしのことを覚えていてくださらなければなりません。そして、どうかわたしに愛ある親切を施してわたしのことをファラオに話し、ぜひともわたしをこの家から出してください」って献酌人に頼み、無罪を主張してるのに。
もし分かっててこういう書き方をしているなら、読者をだまそうとしてるとしか思えないよね。

13節。「辛抱強くあり、その中でベストを尽くすなら、エホバに祝福していただけます」は、「辛抱強くあり、ベストを尽くしましょう」でいい。で、「エホバはパウロを通して、逃れ道が全くない(絶望するしかない)わけではないと励まし導いてくださっています」みたいにすればいいのに。この書き方じゃ、なんてケチな神なんだろって思っちゃうよ。

なんだかもう、突っ込むの疲れたです。

14~16節。フィリポについてもなんだか書き方がオカシイけど、一つだけ突っ込んどきます。
聖霊で油注がれた人たちと比べるんじゃねぇよっ。(汚い言葉ですみません)

指導者であるキリストを信頼する

2018-12-21 | ものみの塔
今週末のものみの塔研究記事。

良いテーマ。1~3節はいい感じです。ところが・・・

4節。「神の組織が速いスピードで前進している今も、イエスの指導を信頼できるのはなぜだろうか」と考えるかもしれない・・・とな。こういう疑問をみんなが持ってるって、組織も分かってるんだね。でも、こういう疑問を長老に相談したら審理対象にされちゃうし、仲間に話したら長老にもバレちゃうから、みんな黙ってるよね。だとしたら、組織は自分たちがやってることが、疑問の元になってるだろうと分かってて、言い訳してるってことだよね。なんだかな。もう読む気がしない。

5~8節もいい感じですが・・・

9節。「でも今では、電子機器を使うメリットを理解している」。組織がネットを使い始めるのが遅過ぎる、と思ってたのは自分だけではないはず。組織はさんざんネットを否定してたから、しょうがないのかなと思ってたのに、今じゃこれだもんね。あきれる。「最初は疑問に感じても」ってよく言うわ。自分たちが禁止してたようなもんなのに。

10~12節。エルサレムの長老たちとパウロの関係。ちょうど、使徒たちの活動15章で考えたところです。組織は自分たちの都合の良いように当てはめてますね。それも一つの見方なんでしょうけど、自分は受け入れられないです。もしここに書かれている通りだとしても、エルサレムの統治体はユダヤ人信者たちに、キリストの福音を徹底させることが出来なかった役立たず、ということでしかないと思います。

13~最後。読む価値無いです。読むと洗脳されます。組織はなんとかして、自分たちの出している指示を正当化したいみたいです。

神は、人間の行なうどんな悪い事柄だって、ご意志に従う形で用いることがお出来になると思ってます。たとえ結果的に良かったからといって、それがすべて良い行動だったとは思いません。迫害で散らされてキリスト教が広まったからといって、迫害した側が正当化されるわけじゃないということです。

つまり、パウロはエルサレムの長老たちに従ったがゆえに、捕縛されローマに行くことになり、結果的にローマにキリスト教が広まった。だからといって、長老たちが正しかったわけではないということです。さらに、統治体(組織)の指示で良い結果が得られた(と言われている)からといって、その指示が良かったからだとは言えない、と自分は思ってます。

真理を教えましょう

2018-12-14 | ものみの塔
今週末のものみの塔研究記事。

この記事は、組織が真理だとしてしている教義、もしくは個々のエホバの証人が組織から(聖書からではなく)教えられて真理だと信じていること、を教えましょうという記事です。

間違いだと確実に分かっていることでさえ、組織は真理だと言い張って、信者は疑いもなくそれを信じて宣べ伝えている。(例えばBC607年と1914年とか福音書の書かれた年代とか)

何を信じるかは自由だけど、それを「真理」だと断言して、上から目線で他の人に「教えましょう」なんて、傲慢もいいところ。(過去、自分もそうだったので、反省してます・・・)

そして、本当に「真理を教えましょう」と言うのなら、組織こそがこの組織の真理を、隠されていない本当の姿を教えなければいけないんじゃないかと。(児童性虐待事件やら寄付金の使い道の詳細やらなんやら)

さて。

記事の内容としては、組織はたくさんの宣教道具を用意してやってるんだからしっかり使えよ、と。

●コンタクトカード。使ったことないや。キーホルダーにして鞄にぶら下げてたことはある。
●招待状。留守宅に入れてたなぁ。個人の区域網羅のために。
●パンフレット。同上。日本で「神の王国は~」は一番使い難いでしょうに、なんでこれを使おうとするの。
●雑誌。最近は研究記事以外の雑誌は読んでないなぁ。それもだんだん読む価値がなくなってきてるなぁ。
●ビデオ。全く見てないなぁ(あ、今月のブロードキャスティング見忘れてた~)。
●冊子。新しいのは出てないのね。
●本。入手できない本のことなんか載せないでよ。

こうやって出版物を見てみると、組織も徐々に終わりに近付いてる感じがします。

真実を語りましょう

2018-12-07 | ものみの塔
今週末のものみの塔研究記事です。

え~・・この主題、このまんま統治体にお返ししたいと思ったのは、自分だけではないでしょうw。

1920年の「現存する万民は決して死することなし」の小冊子。表題からしてうそじゃん。1925年から昔の忠実な人たちが復活するとか、うそばっかり書いてあったじゃん。
「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」の本で自分は研究したけど、1914年の世代(当時真理を認識できる年齢だった人、若くても10歳前後)が亡くなる前に終わりが来るって学んだよ。(本捨てちゃったから確認できないけど・・)

6節。「宗教指導者のうそは特に悪質です」

まんま統治体じゃん。

9節。「自分を守ったり、得をしたりするために、よくうそをつきます。ミスや悪事を隠したり、金銭や他の利益を得たりするためにうそをつくのです」(バタチャルジーの「なぜ人は嘘をつくか」という記事の引用。バタチャルジーって誰?)

まんま統治体じゃん。

11節。「エホバはすべてをご存知」
12節。「エホバは・・・悪意のあるうそをつき、悔い改めない人は・・・火の湖に投げ込まれます」

統治体の将来は火の湖ってことだね。

16節。「選ぶ音楽や映画やビデオに関する質問もあります」

べテルなどの申込書にこんなくだらない質問があるなんて・・・あきれた。エホバじゃなく、組織にどれだけ忠節かを試してるってことだね。

17節。当局からの尋問には思慮深く・・・って、出たよ、ご都合主義。善意のうそはアリってことじゃん。

18節。重大な悪行を長老に告げる責任。これこそ、思慮深く、だよね。だいたい聖書のどこに、こんな責任があるなんてこと書いてあるんじゃい。

思いやりと親切を示す

2018-11-30 | ものみの塔
今週末のものみの塔研究記事。

家庭で、会衆で、宣教で、どのように思いやりを示せるか。ということですが・・・
限定的な状況ばかりで、しかも、分かりきったことを改めて刷り込んでるだけで、いつもながら聖書を学んでるとは思えない記事でした。

4節の聖句(詩編19:14、97:10)、家庭に当てはめる場合になぜこの状況を強調するのか。
12節の聖句(テサロニケ①5:12,13)、会衆に当てはめる場合になぜこれを強調するのか。
宣教に当てはめる場合になぜ聖句が引かれないのか。

まぁ今回の記事は、メンドクサイこと(不道徳、高齢者や病弱者の援助、集会や宣教の取り決め、その他もろもろ)でもって会衆の長老たちを煩わすんじゃないよ、もっと自己犠牲を払って産出的な奉仕をしろよ、ってことでしょうか。

信者に全く思いやりのかけらもない記事でした。

囲み記事は何アピールなんでしょうね。
こういうことを本当に止めて欲しいのなら、もっと他に引用できる聖句があるでしょうに・・・(ここでもテサロニケ5:12,13が引用されてるし。どんだけこれを強調したいんだか)
聖句を見る限りこれは、写真を撮る側ではなく、撮られる側への戒めなんだろうな。(撮るんなら自分たち統治体だけにしろ、みたいなw)

他にもっと大切な事を囲み記事にできなかったんでしょうかね。

エホバは思いやり深い方

2018-11-23 | ものみの塔
今週末のものみの塔研究記事。
 
あまりに読む価値無いので、突っ込む気にもなりません・・・

まず、出だしの「権力や影響力のある人は威張り散らすことが少なくありません。人々を抑圧することもあります」の意味が本当に分かっているなら、こんな記事(特に来週分)書かないでしょうに。

6節の、若い人の悩みの内容なんて、この組織に威張られ抑圧されてるから故のものだし。

16節での、大患難の脅しなんて酷いもんだよね。「老齢でも体が不自由でも」って失礼な話だよ。それに自分、ものみの塔独自のこの解釈(エホバの組織がゴグである諸国家の連合から攻撃を受ける)は間違ってると思ってるし。(大患難も期間があるわけではなく、ほぼ瞬時で終わるのではないかと思ってる)

神(とイエス)が示してくださった思いやりを、もっと詳しく論じて行くだけで十分教訓的な内容になるのに、組織に都合の良い適用を結論として書くから、読む価値のない内容になっちゃうんだよね。

幸福な神に仕える人は幸せ

2018-11-17 | ものみの塔
明日のものみの塔研究記事。

出だしでうんざり。「エホバの証人は幸福です」・・・・・・うそだよね、これ。これがほんとなら、「どうすれば幸福でいられるかを学」ぶ必要なんてないよね。序論から破たんしてるよね。

エホバの証人であっても、この世で生活している限り問題にぶつかり、幸福でいるのが難しくなるので、どうすれば幸福でいられるかを、イエスの山上の垂訓から学びましょう、っていうならわかる。(つまり1節はいらない)

あるいは、エホバの証人は幸福じゃなきゃいけない(世からそう思われないといけない)から、イエスの山上の垂訓からその理由を学んで、自分はエホバの証人なんだから幸福なんだ、と自分に暗示をかけよう、っていうならわかるw。

たぶん、後者がこの資料の目的なんだろうな。

毎度のことながら、こんな目的のためにイエスの山上の垂訓を持ち出すことに腹が立つ。イエスは、虐げられ苦しんでいた貧しい民のために、どんな人がほんとは幸福なのか、というこの話をされたんだと、自分は思う。
だから、世的に考えたらとても幸福とはいえない、幸福になれないような人たちのことを、幸福だと言われたんだと思う。

この組織は聖書の言葉を、自分たちの信条に都合よく、信者を操るのに都合よく用いる。
騙されないようにしないとね。

互いを愛し励ます

2018-11-10 | ものみの塔
明日のものみの塔研究記事。

ヨブ、ヨナ、エリヤが、神にどんな風に助けられて、死にたいという気持ちを克服できたのか、神が彼らを愛し生き続けて欲しいと願っていたことが、どんなことから分かるのか、そのあたりをもっと聖書から詳しく書いて欲しかったと思う。そうすれば、自ずとどう行動したらよいのか分かるんじゃないかと。

いつものことだけど、動機付け(心を動かすこと)をしないまま、エホバとイエスが望んでおられるからという脅し文句と、そうすれば祝福を得られるからという餌で、行動することばかりを求めている(個人のためのように見せて実際は組織のための行動)。これじゃあ上っ面だけの信仰になるのもしょうがない。

でも13,14,16,17節の励まし方は当てはめられると思う。よく耳を傾け、批判せず、優しく穏やかに接し、完全さを求めない。ただ、これは対人関係全てで当てはめられることなのに、組織内に限った書き方をしているのが残念。(組織外の人には宣教することばかり強調されて、それ以外の交わりは避けるように言われてるし)なんかね、閉鎖的な考え方になるよなぁ、息苦しいなぁ・・・って感じる。(組織としては、こんなに互いを思い合ってる良い組織なんだとアピールできるんだろうけどね)

15節の、聖書から慰めるというのも、相手が信者だけでなく、聴いてくれる人であるなら当てはめられると思う。だけど、組織のツールはいらない。聖書だけでいい。

それでも今回は破り捨てたくなるようなことはありませんでしたw。

行なうときに幸福

2018-11-03 | ものみの塔
明日のものみの塔研究記事。

聖書から学んだことを、謙遜に適用しましょう。・・・だけでいいんじゃないかと。

なんだかイロイロ書いてるけど、信仰を培わせるものなんて何一つない。聖書中の人物の話を少し抜き出して、聖句を少し使って、いかにも聖書的であるかのように見せかけてるだけで、本屋さんにいっぱいある啓発本となんら変わらない、いやそれよりはるかに劣る内容。
これじゃ、聖書の価値なんて伝わらないよ・・・ほんと残念な記事。

突っ込みたいことはいっぱいあるけど、特にひとつ。

17節。「不当な扱いを受けた時には、ダビデのように神に祈りましょう。エホバは聖霊を与え、耐え忍べるよう助けてくださいます。難しい状況に置かれても、感情を制御し、進んで許しましょう。エホバはあなたの苦しみに目を留め、必ず支えてくださいます」

いつもやられっぱなしっておかしいでしょ。いつもやられた方が耐え忍ばなきゃいけないっておかしいでしょ。どう考えたってやる方が悪いと思うよ。「不当」な扱いなんだよ? やる方を諌めるべきでしょ。ダビデはいつだって復讐を願い求めてるよ? 進んで許してなんかいないよ?
こんなんだから、やる方はのさばるんだよ。やられた方が罪悪感に苦しむことになるんだよ。結果、病むんだよ。
こんなんだから、排斥・断絶者を無視できるんだよ(やる方になれる)。無視された側(やられた方)にばかり要求するんだよ。
ほんとイヤな気分にさせられる不愉快な文章。これを読んで、エホバが愛ある公正な神だと思える人はいないと思う。この組織が神を誤り伝えてることは間違いない。

エホバと共に働く

2018-10-26 | ものみの塔
今週末のものみの塔研究記事。

この記事の主題は「組織の為に働く」が正解です。神と共に働きたいと思う人には、全く役に立たない記事です。

まぁ読んでもいいかな、と思ったのは2節ぐらいかな。

ただ2節の質問に、エホバのために何ができるかを考える際、自分と他の人を比較すべきでないのはなぜですか、とあって、本文にはガラテア6:4「各人は自分の業がどんなものかを吟味すべきです。そうすれば、他の人と比べてではなく、ただ自分自身に関して歓喜する理由を持つことになるでしょう」が引用されてるんだけど・・・この聖句、好きな聖句(自分、出来ないことだらけだけど、自分的に喜べてればいいやと思って)だったんだけど、新世界訳の訳し方だと、伝わる意味がやっぱり間違ってるんだよね。他の聖書を調べてみて分かった。

「ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう」
「一人一人、自分のすることをしらべてみよ。するとその時、誇る理由は自分自身にだけあって、(決して)他人に(比較して誇るべきで)ない(ことに気づく)であろう」
「めいめい自らの行ないをしらべてください。そうすれば他人に対してではなくて、もっぱら自らに対して(恩恵の)誇りを持ちえましょう」
「各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう」
「おのおの自分の行ないをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることはないでしょう」

確かに文脈を良く読んでみると、他の人の誤ちを見て自分を(大した者でもないのに)誇るのは間違いだよ、自分を吟味すれば他人に誇れることなんてないよ、みんなそれぞれ重荷を負ってるんだから互いに負い合おうよ、そうすることで(律法の重荷じゃなくて)キリストの律法(愛)を全うしようよ、そうやって自分の荷を負おうよ、ってことですよね。
新世界訳を読んでると、「互いの重荷」と「自分の荷」がなんなのかよく分からなかったけど、他の聖書を読んでみるとよく分かる。

この組織の聖書の学び方って、聖句が独り歩き(組織に都合の良い方向へ)してしまうような学び方なんだよなぁ。文脈を無視してその聖句だけを取り出すから。
新世界訳じゃない聖書で学び直さないとだめかもしれないなぁ・・・たいへんだぁ。