星野かえるのひとりごと

HOSHINO Kaeru's monolog

聖 黒胡麻の箱裏に。

2007-10-06 14:33:58 | Weblog
素敵なお話が書いてあったので書き写します。



―― 黒の詩 ――



黒い夜だというのに、黒い衣が翻ったのがはっきりとわかった。本当ならば、この夜分に何をと問い詰めるべきだったのだろう。
闇の中でこちらを認めた漆黒の瞳は、口は見えていなかったというのにはっきりと妖艶にこちらに笑いかけたのがわかった。何奴だ、などという言葉をかけるのは無粋な気がして、黙って目を合わせる。
「見逃せ」
今度は、声の調子から笑いかけてきているのを知った。
「今宵は、月がないので、ふと現れてみた」
そうか、とだけ、心に浮かんだ。
女、なのだろう。言葉は男のものではあるが、声は闇を震わすかすかな音だった。けれども、黒の中ではその繊細さこそが際立つ。
風がおこった際に消えた行灯が気になったが、もう少し闇を楽しみたい気持ちになっていた。
ひらりと、また黒の衣が翻り、影になっている女の顔が映る。月も無いので顔つきも表情も判らないが、笑っているに変わりは無いのだろう。女は長い髪をしていて、時折態と透かすようにこちらを覗った。
「月は、明日は出てくる」
「知っている。今宵だけだ。月の無い夜しか溶け込めぬ」
何もかもが闇に包まれていた。
それでも黒の色の違いが、はっきりとそこに誰かがいることを示していて、つくづく黒は不思議な色だと思う。同じ色でも、白はここまで人を隠すことも無く、また、ここまで存在を仄めかすことも無い。
ふと、足元を見た。自分の影は黒すぎるのか、闇の中に見当たらなかった。
「おい、何をしている」
仲間の声が、先の辻から聞こえた。
「行灯が消えた」
「さっさと点けろ。新月は、影にのまれるぞ」
火をうちかけて、女を見る。
「黒に紛れて戻る故」
ご心配なさらず、とその影は呟き、再び横を通り抜けていく。火花のあかりがうっすらと当たった時の顔が、女だというのに自分に似ている気がした。足下を見ると、影が戻ってきていた。