庭を持ったサラリーマン

庭に8坪の菜園を作ったサラリーマンの家庭菜園日記。
くわしくはカテゴリー「はじまり、はじまり」でどうぞ。(^ ^)v

今日は弘前~

2010-09-17 07:20:00 | 菜園日記
青森県は3方を海に囲まれた県。(3方は青森とどこ?鹿児島?長崎?ちなみに4方は北海道・沖縄)
県内は中央にある八甲田山を境にして日本海側の気候と太平洋側の気候に分かれます。
今日来ている弘前は県の西(日本海側)に広がる津軽平野の真ん中にある県内第3の町。津軽藩のお城がある歴史の古い町です。

実は私が初めて津軽地方に来た時におどろかされたのがこれ。



お米です。

 私の住む地域は今でこそ水路も整備されちゃんと米が取れますが、江戸時代の記録によると当時の石高は6石(ろっこく)。6ですよただの6。6千・6万でなくただの6。夏、太平洋側に吹く冷たい風(やませ)のせいでコメの育ちが悪く、事実上コメが取れなかったようです。
 そんな地域ですから出来るコメも貧弱。そのコメ(下北2号)しか知らずに育った私は初めてこちらのコメを見た時絶句してしまいました。実の付き方、量の多さ、粒の大きさ、どれをとってもすごい点ばかり。はずかしながら同じ県でも場所が変わるとこんなにも出来が違うのかとあらためて認識させられたのを覚えています。

 考えてみれば新潟や庄内などおいしいコメどころはみんな日本海側ですもんね。そういった意味でも青森県の津軽地方に育ったつがるロマン、おいしいですよ~。下北2号で育った私が保証します。機会があったら一度ぜひ食べてみてください。(^ ^)v


PS
 昨日朝、リンゴが食卓に出てきました。超極早生種だったんでしょうか。今年の初物です。津軽地方は「農家」と言ったら「リンゴ農家」を指す位リンゴの育成がさかん。もう少しで新しいリンゴが出回り始めます。今年はシーズンで100個のリンゴを食べるのを目標にしています。


4 コメント

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道産米も美味くなった。 (なべやん)
2010-09-17 23:10:37
私の記憶では、少なくとも20年以内の話しとして、米の等級(等級表示)は、
1等米
2等米
3等米
青森産
北海道産
と分かれていた記憶があります。
つまり、青森は4等、北海道は5等... 。北海道米はよく「猫跨ぎ」と言われていたそうです。
それだけ米を作るのが難しかった。
それが今ではとても美味しい米が獲れるようになりました。
栽培技術革新、土地改良、そして品種改良。どれもその地の農業者の努力の賜物ですね。
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そうそう、そうです。 (green0804)
2010-09-18 07:01:13
 青森県産はまずいので政府ブレンド米として他のおいしいコメと混ぜられて使われる、という説明を聞いた時複雑な心境になったのを覚えています。太平洋側と日本海側のコメを一緒にしてしまったのがミステイクだったのかもしれません。
 でも実際のところ、大学生時代に新潟から来ている同級生のアパートでごはんをごちそうになった時、思わず口から出た言葉は「新潟ってごはんに砂糖入れて炊くのか?」です。それくらい甘くてちょっとハンパでない衝撃を受けました(本人達はそう感じていないようでしたが・・・)。
 やはり昔(ちょっと前まで?)は相当まずいコメだったんだろうと、今から考えてみてもそう思います。 (^ ^;


PS
 ちなみに青森県の太平洋側には明治維新で取りつぶしになった会津藩の人達が移封されてきて出来た集落がかなりあります。コメどころの会津から不毛の地青森に来た時は相当苦労したようです。どうやら明治政府の確信犯だったようです。
 でもおかげで日本初の民間西洋式牧場や各種根菜類出荷量日本一など違った面が発達し今があるようです。ホント何が幸いするわからないもんです。
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なるほど。 (なべやん)
2010-09-18 17:44:31
北海道は、道南の一部を除いてほとんどの道民は明治に入ってからの移住、開拓者です。極寒の中、泥炭地、森林を切り開いて農地にした苦労は想像を絶します。
北海道で面白いのは、その開拓者達は遠い祖先ではなく、祖父や曽祖父と、もう先祖とも言えない位近いんです。
つまり、まだ開拓中の様なところがあり、「内地は良い」と言いながら、「内地には負けない!」と言う反骨精神は残っていると感じます。
なので、コシヒカリに頼った稲作を続けた結果、高温障害で問題となって来ている内地と違い、北海道では品種改良がかなり盛んで、食味でも内地米に負けない食味の品種が出てきています。
会津からの移封者も、北海道の開拓者と同じように、苦労されたんでしょうね。
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あ、それわかります! (green0804)
2010-09-18 21:22:28
>まだ開拓中の様なところがあり、「内地は良い」と言いながら、「内地には負けない!」と言う反骨精神は残っていると感じます。

道内の人は何をするにも目指すのはやっぱり札幌ですもんね。私も話をしていてそう感じる事が良くあります。

>開拓者達は遠い祖先ではなく、祖父や曽祖父と、もう先祖とも言えない位近いんです。

実を言うと私の母親の本家も5代さかのぼると会津にたどりきます。移封組です。祖母はロシアのバルチック艦隊に勝つ何年か前に生まれています。そういう意味では明治(職業の自由化=開拓時代)ってホントすぐそこにありますよね~。
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