<神の愛とあわれみ> 詩篇103篇

2024年05月11日 | 神さまの言葉
<神の愛とあわれみ>
 
  わがたましいよ。主をほめたたえよ。
 私のうちにあるすべてのものよ。
 聖なる御名をほめたたえよ。
 わがたましいよ。主をほめたたえよ。
 主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
 主は、あなたのすべての咎を赦し、
 あなたのすべての病をいやし、
 あなたのいのちを穴から贖い、
 あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
 あなたの一生を良いもので満たされる。
 あなたの若さはわしのように、新しくなる。

  主はすべてしいたげられている人々のために、
 正義とさばきを行なわれる。
 主は、ご自身の道をモーセに、
 そのみわざをイスラエルの子らに知らされた。 
 主は、あわれみ深く、情け深い。
 怒るのにおそく、恵み豊かである。
 主は、絶えず争ってはおられない。
 いつまでも、怒ってはおられない。
 私たち罪にしたがって私たちを扱うことをせず、
 私たちの咎にしたがって
 私たちに報いることもない。
 天が地上はるかに高いように、
 御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。
 東が西から遠く離れているように、
 私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。
 父がその子をあわれむように、
 主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。
 主は、私たちの成り立ちを知り、
 私たちがちりにすぎないことを
 心に留めておられる。

  人の日は、草のよう。
 野の花のように咲く。
 風がそこを過ぎると、それは、もはやない。
 その場所すら、それを、知らない。
 しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、
 主を恐れる者の上にある。
 主の義はその子らの子に及び、
 主の契約を守る者、
 その戒めを心に留めて、行なう者に及ぶ。
 
  主は天にその王座を賢く立て、
 その王国はすべてを統べ治める。
 主をほめたたえよ。御使いたちよ。
 みことばの声に聞き従い、
 みことばを行なう力ある勇士たちよ。
 主をほめたたえよ。
 主のすべての軍勢よ。
 みこころを行ない、主に仕える者たちよ。
 主をほめたたえよ。
 すべて造られたものたちよ。
 主の治められるすべての所で。
 わがたましいよ。主をほめたたえよ。
     詩篇 103篇
 

<いちど死にしわれをも>

2024年05月06日 | 神さまの言葉
       <いちど死にしわれをも>
 
 Ⅰ いちど死にしわれをも イエスは生かしたまえり
   とがと罪の代わりに 新たなる命あり
    時のまをも惜しみて きみはわれとかたろう
    きみはわれをはなたず われはまた主にぞつく
 Ⅱ ながれおつる涙も 肩に にのう荷物も
   きみは知りてあわれみ 愛のみてのべたもう
    時のまをも惜しみて きみはわれとかたろう
    きみはわれをはなたず われはまた主にぞつく
 Ⅲ うめきさけぶ夜はなし 罪と縁(えにし)断ちし身
   みざにちかくやすらい あまつうた つねにきく
    時のまをも惜しみて きみはわれとかたろう
    きみはわれをはなたず われはまた主にぞつく
 Ⅳ 病める我に手を置き よわきところつよくし
   禍(わざわい)にさちにはげます 主イエスこそかみにませ
    時のまをも惜しみて きみはわれとかたろう
    きみはわれをはなたず われはまた主にぞつく
                    聖歌609    
    
    

<知恵の賛歌>

2024年03月19日 | 神さまの言葉
  <知恵の賛歌>
「ほんとうの知恵、悟りはどこにあるのか。
 人はこの世でそれを見いだすことができない。
 海の中にもそれはなく、
 お金を払っても買うことはできない。
 どんなに高価な金属でも手に入れられない。
 どんなに高価な物も、これに及ぶことはできない。
 知恵はどんな物にも勝るものだ。
 それは、実に得難い宝物である。

  それでは、ほんとうの知恵、、悟りは、どこにあるのか。
 それは、どんな生きものもわからず、
 死でさえも、せいぜい噂に聞いたぐらいである。

  しかし、神はそれをご存じであり、
 それがどこにあるか知っておられる。
 神は、この世界のすべてを、くまなく見ておられるからだ。
 神は、自然界を自由に支配し、
 自然界を統御しておられる。
 神は、ほんとうの知恵の源であられる。
  
  こうして、神は人に仰せられた。
 「主を恐れることは知恵であり、
   罪から離れることは悟りである。」
    ヨブ記 28:12-28
       (現代訳聖書)

<この手を組んで>

2024年02月22日 | 神さまの言葉
<この手を組んで>
  (組んだ手には力がある)
         作詞 ビェルクハイム
         日本語歌詞 永田 令

Ⅰ 私の小さな手は 何もできないけれど
  この手を組んで祈るとき 神のみ手が動く
  応えは必ずやってくる 神の時が来れば
  「わたしがあなたを助ける」と 主の約束があるから
Ⅱ 愛する人のために 傷ついた友のために
  泣きながら叫びながら 祈る日もあるけど
  応えは必ずやってくる 神の時が来れば
  「わたしがあなたを助ける」と 主の約束があるから
Ⅲ 主イエスの御名によって 祈りは聞かれている
  いつの日か天国で すべてわかるだろう
   応えは必ずやってくる 神の時が来れば
  「わたしがあなたを助ける」と 主の約束があるから
               (ノルウエー 讃美歌)
  

  
   

 

<キリスト・イエスにある救い>

2024年01月10日 | 神さまの言葉
「キリスト・イエスにある救い」
 
 あなたがたは、以前は、自分の持っている罪のために、
神から離れ、道徳的に無力な死んだ存在であった。
 その頃は、そうした罪の中で、悪魔の思うままにあやつられた生き方をしていた。
私たちも同じであって、信仰を持つまでは、自分の肉欲のままに生き、
生まれながらの利己的な性質まる出しの生活をしており、
ほかの人たち同様、神の怒りを受けなければならない者たちであった。
 ところが、あわれみ深い神は、私たちをどんなに深く愛してくださったことか。
その大きな愛によって、罪の中で道徳的に無力になっていた私たちを、
キリストの復活の力によって生かし、キリストとともに勝利者としてくださった。
 実に、あなた方が救われたのは、神の恵み以外の何ものでもない。
このすばらしい救いの恵みを、キリスト・イエスによって私たちに下さったことを思えば、
私たちはこの救いをいつまでも宣べ伝えずにはいられない。
 
 あなたがたが罪から救い出されたのは、神の恵み以外の何ものでもなく、
それは、あなたがたが信仰をもって受け入れたからである。
そしてそれは、あなたがたが自分の力で獲得したものではなく、
神が賜物として下さったものである。
 自分の行いによって得たものではない。
だから、だれ一人として誇ることはできないはずである。
 しかし、私たちをこのように救い、キリスト・イエスによって造り変えて下さった神は,
私たちが救われてから善い行いをするようにと計画しておられたのである。
 だから、このことをよく覚えておいてもらいたい。
あなたがたは、以前には神の民ではなく、ユダヤ人からは、神を知らぬ者たちと軽蔑されていた。
 その当時、あなたがたはキリストとかかわりのない人生を送っており、
神の選民としての特権から除外され、神の素晴らしい約束にあずかれず、
希望のない毎日であり、なによりも生ける唯一のまことの神を知らなかった。
 
 このように、神から遠く離れた以前の生き方をしていたあなたがたも、
今ではキリスト・イエスを信じ、キリストの身代わりの死によって神のみもとに近づくことができた。
 というのは、キリストこそ私たちを和解させてくださるお方であって、
ユダヤ人と異邦人との間にあった敵対という壁を打ち壊し
ご自分の死によって、律法に起因している憎しみと敵意を取り除かれたのである。
 これは、ユダヤ人もそうでない者も一つにしてしまい、そうして平和をつくりだすためであり、
十字架にかかるという、いのちがけの業でこの両者を一つの体である教会とし、
そうして神と和解させ、両者の間にあった憎しみと敵意を十字架によって滅ぼしてしまうためである。
 このようにしてから、キリストは、その教会を通して、ユダヤ人にもそれ以外の人たちにも、
平和の福音を宣べ伝えられた。
 こうして、わたしたちはこのキリストと御霊の助けによって、
両者ともに父なる神のみもとに近づくことができるのである。
 
 こういうわけで、あなたがたはもはや神の恵みに関係のない人々ではなく、
ほかのクリスチャンと一緒に神の家族を構成している者たちである。
 また、あなたがたは使徒や預言者たちが教えた教えの上に立っている者たちであり、
その中心はイエス・キリストである。
 キリストの教会は、ちょうど建物のように、このキリストを土台とし、
その上に建て上げられるものであって、主の聖い宮になるものである。
 これは、御霊が住まわれる生きた主の宮であって、
あなたがたお互いは、生きた交わりのうちに、教会を形成していくのである。
         「エペソ書 2章」
           「現代訳聖書・尾山礼仁師」