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漢方薬・抑肝散

2014-01-07 11:01:49 | 医療
http://medical.ai-health.net/1nou14.html

漢方薬・抑肝散(よくかんさん)いよる認知症治療認知症に効果が認められた漢方薬・抑肝散(よくかんさん)
患者数200万人にのぼる認知症では、物忘れがひどくなる主な症状とともに、妄想や幻覚などの副次的な症状が問題になります。特に家族らにとっては、後者の症状が介護の際の大きな負担となります。

脳にベータアミロイドと呼ばれるたんぱく質が沈着する「アルツハイマー型認知症」では、物忘れがひどくなる症状がまず表れ、記憶障害の進行に伴い、物を盗まれたという妄想や、イライラ、不眠などの症状が深刻になっていきます。

一方、認知症の2割を占めるレビー小体型認知症では、物忘れよりも幻視や妄想などが先行することが多いです。横浜ほうゆう病院(横浜市旭区)院長の小阪憲司さんが、約30年前に発見した病気で、一種のたんぱく質から成るレビー小体が大脳皮質にたくさん現れ、神経細胞が壊れていきます。高齢の発症が多いいですが、40歳代で発症することもあります。

抑肝散(よくかんさん)はレビー小体型認知症に特に効果が
このような幻視や妄想などを抑える働きが注目されているのが、漢方薬の抑肝散(よくかんさん)。子どものかん夜泣きや疳((かん)の虫などを抑えるために使われてきた漢方薬です。特に、レビー小体型で顕著な効果が報告されています。

レビー小体型の治療では、アルツハイマー型でも使われる薬「塩酸ドネペジル」(商品名:アリセプト)を服用し、記憶障害の進行を抑えます。それで幻視などが消えることもありますが、消えない場合、レビー小体型では、手足の震えなどを招く恐れがある抗精神病薬は使えず、幻視などの抑制は困難でした。

レビー小体型の幻視は、人が部屋の隅にいるという形で見えることが多い。放置すると、記憶障害と幻視が結びついて、騒ぐなどして、症状はより深刻化していきます。はっきりと見えている幻視が理解されないつらさから、患者がうつ的な傾向を強めてしまうこともあります。

小阪さんは「抑肝散(よくかんさん)を早い段階から服用することで、患者の精神的な悩みや介護者の負担を減らすことができます。」と話しています。

東北大学の調査では、抑肝散(よくかんさん)を4週間服用したレビー小体型の患者さん15人のうち、12人の幻視が消失しました。進行したアルツハイマー型で起こる妄想や徘徊(はいかい)、暴力などの抑制にも、抑肝散(よくかんさん)が注目されています。

抑肝散(よくかんさん)の副作用
大きな副作用はないものの、服用中に血中のカリウムが減少することがあります、患者さんによっては意識がぼんやりしたり、血圧が上昇したりします。定期的に、血液検査を受けるなどの注意が必要です。

患者が漢方薬特有のにおいを嫌がる時は、とろみのある食べ物に混ぜたりすると服用しやすくなります。医師の処方で健康保険が適用されます。

抑肝散(よくかんさん)によって改善が期待される症状
•せん妄:意識がぼんやりして、注意カや集中カがなくなる。突然興奮して、騒いだり、物を投げたりすることもあります
•徘徊:記憶障害や、自分がいる場所が分からなくなる見当識障害などが重なり、歩き回ってしまう。
•不安、焦燥、抗うつ:自分の気持ちが相手に伝わらず、強い不安を感じたり、イライラしたり、ときには暴力につながることもあります。
•妄想:現実には起きていないことを信じて疑わない。財布を置いた場所を忘れて、「財布を盗まれた」などと騒ぎたすこともあります。
•幻覚:本当はいない人が見える「幻視」や、いない人の声が聞こえる「幻聴」などが起こります。患者さんには本当の人や声と区別がつきません。レビー小体型では、物忘れより先に表れます。

歩行介助 プロに学ぶ安全・快適な介護術

2012-06-09 23:51:58 | 医療
歩行介助 プロに学ぶ安全・快適な介護術


寝返り・起き上がり プロに学ぶ安全・快適な介護術


http://www.geocities.jp/nonvee/nursing/orem.html

ドロセア・E・オレムの看護論


 オレムの看護一般理論は、セルフケア理論、セルフケア不足理論、看護システム理論の三本の柱から成り立っている。

1)セルフケア理論について
オレムの定義づけによると、セルフケアとは、「個人が生命、健康、安寧を維持する上で自分自身で開始し、遂行する諸活動の実践である」。そしてセルフケアは「自分のために」と「自分で行う」という二重の意味をもち、人は自らのセルフケアについて責任と権利があると考えているのである。

オレムは三つのタイプのセルフケアを区別している。

① 普遍的セルフケア
人生のあらゆる段階すべての人間に共通するもので、年齢、発達段階、環境およびその他の要因によって変化する。生命過程および人間の構造や機能の統合性の維持ならびに一般的安寧に関連している。
         ・十分な空気、水、食物摂取の維持
         ・排泄過程と排泄物に関連したケアの提供
         ・活動と休息のバランスの維持
         ・孤独と社会的相互作用のバランスの維持
         ・生命、機能、安寧に対する危険の予防
         ・正常であることの促進


② 発達的セルフケア
人間の発達過程および人生のさまざまな段階で生ずる状態や出来事(たとえば妊娠、未熟児)、さらには発達を阻害するような出来事(無教育、健全な個性化の失敗)に関連している。


③ 健康逸脱に関するセルフケア
遺伝的かつ体質的な欠陥や構造的、機能的逸脱、ならびにそれらの影響や医学的診断、治療にかかわるものである。
            ・適切な医学的援助を求め、手に入れること。
            ・病的な状態が引き起こす影響や結果を自覚し、留意すること。
            ・診断および治療法を効果的に遂行すること。
            ・医療的ケアが引き起こす不快感や有害な影響を自覚、留意すること、あるいはそれらを規制すること。
            ・自己像を修正すること。
・ 病的状態、医療的ケアの影響をもって生活することを学ぶこと。

  これらのセルフケアの考え方の根底には、人間および健康をどのように捉えるかが重要事項になる。



2)セルフケア行動とは
オレムによるとセルフケア行動は、状況を見定めるための熟慮や判断から導き出され、何をなすべきかということを選択することより生じ、その能力は、知識、技能、信念、価値観、動機付けにより左右される。またセルフケア行動とは外部環境と内部環境の双方と相互作用を持つ開放システムである。

さらに実際にセルフケア行動を実践する能力をセルフケア・エージェンシーと規定しており、セルフケア・エージェンシーとはオレムによると、「人間の後天的資質であり、年齢、性、発達状態、関連する生活経験、健康状態、社会文化的志向、時間を含む入手しうる資源によって影響を受ける」と述べられている。



3)看護について
オレムは看護をヒューマンサービスとみなしている。すなわち看護は「生命および健康を確保するために、疾病や傷害から回復するために、またそれらの影響に対処するために、セルフケア行動が必要なのであるということとそれを持続的に提供し、管理するということ」に特別の関心を払っている。

別の表現をするならば、看護とは、ある人が自分自身のセルフケアのニードを充足できないときに、その人に直接的な援助を与えることである。

看護を必要とする要件は、個人の健康状態に好ましい変容が進行するとき、あるいは個々人が日常のセルフケアにおいて自分自身を統御することを学んだときには修正され、やがては消滅するのである。

看護婦は ・患者の全生活状態と密接に関連を保ちつつ、患者のニードに対して直接的に働く

        ・患者がセルフケアを実施することができない場合には、生理的、対人間的および社会文化的な
         直接的ニードの充足を図る

        ・種々のニードを評価し、ニード充足のための資源を明らかにし、かつ使用するにあたり、
          全体論的思考に基づいて機能する  
これらのことが必要なのである。

オレムの特色は患者やクライアントが経験したセルフケアの逸脱の範囲から示唆されるさまざまな活動と状況を結合するところや、そのことを生かした看護システム企画を提唱した点にある。



4)看護システム
患者のニードが看護システムの企画とそれに続く看護婦と患者との役割バリエーションを決定するがオレムは次に挙げるような三つの看護システムを特定化した。

① 全代償的看護システム
患者は自身のケアを遂行するのに何ら積極的な役割を果たせない。看護婦はその患者に代わって、またその人のために行動する。

② 一部代償的看護システム
看護婦と患者の両方が、細かな手作業や歩行を必要とするケア方法を遂行する。ケア遂行の責任の分配は、患者の現在の身体的制限または医学的に指示された制限、必要とされる科学的もしくは技術的知識、および特定の活動を遂行したり                 学習したりする患者の心の準備状態によって異なる。

③ 支持、教育的看護システム
患者は必要な治療的ケアの方法を遂行する能力がある、あるいは遂行することができ、かつ学習するに違いないが、援助なしにはそれを遂行することができない。このシステムにおける看護婦の役割はコンサルタントとしてのそれである。



5)看護実践の側面
オレムは望ましい看護婦、すなわち成熟した看護婦が遂行する看護実践の特性には
  ①社会的側面:看護状況の社会的、法的側面について理解し、看護の提供に責任を負っている

  ②対人的側面:人間の心理社会的側面について理解し、効果的なコミュニケーション手段をもって相対していける

  ③技術的側面:個々人にあった看護援助を実施していける

これらの三つの側面が存在することを明記した。これまで理想論的に言われてきた看護実践のあり様を、このように三側面として具体的かつ理論的に提示したところに、看護実践科学としての看護をより概念的に構築しようとのオレムの努力が窺われる。



6)患者のグループ分け
オレムは看護の観点にたって患者を組織化するのに二つの方法を提示している。ひとつのアプローチは先述した看護援助の三つのシステムにしたがってグループ分けをする方法、もうひとつのアプローチは、看護ケアに関連付けながら健康上の焦点から患者を分類する方法である。

その分類とは
グループ1
ライフサイクル 健康上の焦点がライフサイクルに向けられ、ケアは健康の保持、増進、特定の疾病や傷害からの保護のために計画される。ライフサイクルの焦点は他のグループの健康上の焦点に本来備わっているものである。

グループ2
回復段階 ヘルスケアの焦点は疾病、傷害または機能障害からの回復にある。

グループ3
原因不明の疾病 健康上の焦点は原因不明の疾病あるいは不調に向けられる。ヘルスケアは疾病の程度、不調の個別的結果および、そこで用いられた診断や治療方法の結果に関心がよせられる。

グループ4
先天的・後天的欠陥と未熟児 健康上の焦点は、構造的、機能的欠陥を負う患者、あるいは誕生時に未熟状態にあった患者のケアと治療に向けられる。

グループ5
治療またはコントロール 健康上の焦点は疾病の程度、不調ないしは障害の個別的結果、およびそこで用いられた治療方法の結果に関心を寄せつつ、疾病、傷害もしくは誕生時点で明らかとならない行動上の障害をふくむ機能障害の治癒またはコントロールのための積極的治療に向けられる。

グループ6
統合的機能の安定化 健康上の焦点は統合的機能の回復、安定化もしくはコントロールに向けられる。ヘルスケアは、疾病や傷害により損なわれた生命維持過程を安定化しコントロールすることに関心が寄せられる。

グループ7
終末期の疾患 ヘルスケアは疾病の末期にある人々の安楽と安全に向けられる。


これらの患者を看護状況に従って組織化し命名する分類システムは、従来の特定の医療分野といった医学概念によって組織化され命名されている現在の分類システムよりも、看護婦にとってはより有益である。
 
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http://www.ict.ne.jp/~i_camu/sub18.htm

オレムの看護理論
はじめに 
Ⅰ.オレムの経歴 
Ⅱ.オレムの看護理論概要 
1.特徴 
2.オレムの看護論を導いた3つの問い 
3.メタパラダイムの概念 
4.オレムの基本的概念の6つの用語 
5.看護理論 
1)セルフケア理論 
2)セルフケア不足理論 
3)看護システム理論 
6.オレムの看護過程 
7.看護実践のルール 
Ⅲ.事例への展開 
1.22歳心因反応の患者の事例紹介 
2.キーワード 
3.看護問題リスト  
4.看護記録 
5.普遍的ヘルスケア8要件 
6.発達上のセルフケア要件
7.健康逸脱に関するセルフケア要件 
8.事例の結果 
Ⅳ.考察 
Ⅴ.展開からの看護理論への評価 
Ⅵ.学んだこと 
おわりに 
謝辞 
用語解説 
引用参考文献


http://www.e-heartclinic.com/kokoro/yougo/yougo03.html
福祉用語の基礎知識
※ 原則として新しく追加したものが上になっています。
No.27 ライフイベント
No.25 イネイブラー No.26 QOL(quality of life)
No.23 キーパーソン No.24 コーピング
No.21 知る権利 No.22 認知
No.19 自己実現 No.20 社会資源
No.17 ICF No.18 生活保護の基本原則
No.15 評価についての話 No.16 自己決定
No.13 ラポール No.14 リジリアンス
No.11 地域組織化と福祉組織化 No.12 愛着(アタッチメント)
No.09 アウトリーチ No.10 ICF(国際生活機能分類)
No.07 社会福祉のおけるニードの話 No.08 ネットワーク
No.05 モラトリアム No.06 ソーシャルインクルージョン
No.03 リカバリー No.04 ユニバーサルデザイン
No.01 ノーマライゼーション No.02 エンパワメント

http://www.luther.ac.jp/public/doctor/dl/120111kodera02.pdf




目次 †
目次
オレム理論の基本アイデア
セルフケア要件
普遍的セルフケア要件
発達的セルフケア要件と健康逸脱に対するセルフケア要件
セルフケアの概念の有益性
オレムの看護システム
参考文献

オレム理論の基本アイデア †
 基本アイデアは「人間は、自分で自分の世話をすることができる。病気や怪我で自分の世話をすることができなくなったとき、代わりに世話をするのが看護である」というものである。「自分で自分の世話をする」ことをセルフケア(self care)という。

 しかし、人間は多かれ少なかれ人の助けを借りて生きている。特に子供のときや晩のときはそうである。しかし、子供や老人は普通看護士の手を借りるのではなく、家族などの周りの人に世話をしてもらっている。そこで最初のアイデアは次のように変形される。

「人々は、自分たちで自分たちの世話をすることができる。病気や怪我で自分たちで世話ができなくなったとき、代わりに世話をするのが看護である」


セルフケア要件 †
 ヘンダーソンのニード論では、人間の欲を14の基本的欲求に分類した。そして、看護とは患者がこの14の基本的欲求を満たすように補助することである。普通の健康のときなら、人は自分の欲求を自分で満たすことができる。しかし、病気のときにはそれができない、あるいはやりづらい。そこで看護士がそれを助けるのだとヘンダーソンは考えたのである。

 オレムはヘンダーソンの考えをセルフケアという概念でくくった。その際、オレムはセルフケア要件と呼んでいる。セルフケア要件にはいくつか種類がある。

普遍的セルフケア要件
発達的セルフケア要件
健康逸脱に対するセルフケア要件

普遍的セルフケア要件 †
 普遍的セルフケア要件とは、誰もが持っている欲求のことである。普遍的セルフケア用件の内容とヘンダーソンの基本的欲求の内容はほとんど同じである。比較したものを次に示す。ただしインデントされている側が普遍的セルフケア要件である。

正常な呼吸
十分な空気摂取の維持
飲食
十分な水分摂取の維持
十分な食物摂取の維持
排泄
排泄過程と排泄に関するケアを提供
移動と体位の保持
活動と休息のバランスを維持
睡眠と休息
脱衣と着衣
体温の保持
清潔な皮膚
危険回避
人間の生命・機能・安寧に対する危険を予防
コミュニケーション
孤独と社会的相互作用のバランスを維持
宗教
仕事
社会集団での人間の機能と発達の促進
遊び
学習
 オレムの普遍的セルフケア要件には、ヘンダーソンの6~8に対応するものがないが、ほとんど同じ内容を言い換えたものであることがわかる。


発達的セルフケア要件と健康逸脱に対するセルフケア要件 †
 ヘンダーソンは患者の欲求は常に一定とは考えていなかった。「特定の個人が必要とする看護はその人の年齢、文化的背景、情緒のバランス、また患者の身体的・知力的な包容力の程度に左右させる」と述べている。そして「常時存在する条件で、基本的欲求に影響するもの」として、年齢、気質、社会的・文化的背景、生理的・意的程度を挙げている。さらに「病理的状態で、基本的欲求を変えるもの」として、水および電解質の平行の乱れ、急性酸素欠乏、ショック、意識障害、温熱環境、急性発熱、外傷、伝染性疾患、手術、絶対安静、疼痛を挙げている。

 オレムはこうらをはっきりとした概念で定義した。それが「発達的セルフケア要件」と「健康逸脱に対するセルフケア要件」である。

 ヘンダーソンが「常時存在する条件で、基本的欲求に影響するもの」として挙げたもののうち、特に年齢にオレムは注目した。そして、オレムは年齢つまり人間が発達していくにつれて変化するニーズを発達的セルフケア要件と呼んだ。

 また、病理状態、つまり健康から逸脱した状態が、基本的欲求に影響するので、この健康からの逸脱がもたらす特殊なニードをオレムは健康逸脱に対するセルフケア要件と呼んだ。


セルフケアの概念の有益性 †
 オレム理論のセルフケアという概念に注目することで、看護はいつ患者を援助すべきかがよりはっきり見えてくる。

 患者の持つニード(セルフケア要件)は、患者を治療するうえで、必ず満たさなければならないものとして現れる。これを治療的セルフケア・デマンドと呼ぶ。これは「普遍的セルフケア要件」と「発達的セルフケア要件」と「健康逸脱に対するセルフケア要件」の3つのニードを満たす必要を意味する。ただし、患者によって、「発達的セルフケア要件」と「健康逸脱に対するセルフケア要件」は異なることに注意しなければならない。

 患者にはもちろん自分で自分のニードを満たす能力、即ちセルフケア能力も残っているはずである。しかし、満たさなければならないニードに対してこの能力が不十分であるとき、つまり患者が自分ではニードを満たしきれないとき(あるいはそう予想されるとき)に、看護が介入し援助すべきなのである。よって、セルフケアができなくなったときに看護が手を出すと捉えることができる。

 看護介入には次のような問題があるが、上記のことよりそれぞれの問題に答えることができる。

いつ看護(介入)を始めるべきか?
患者が自分で自分の世話をできなくなったとき(あるいは家族などの周りの人が世話をみきれなくなったとき)、看護(介入)を始める。
いつ看護(介入)を辞めるべきか?
患者が自分で自分の世話ができるようになったとき(あるいは家族などの周りの人が面倒を見ることができるようになったとき)、看護(介入)を終える。
看護(介入)は何を心がけなければならないか?
患者が自分で自分の面倒を見ることができるようになり(あるいは家族などの周りの人が面倒を見ることができるようになり)、看護に依存しなくてもいいようになることを目指し心がけて看護する。
 以上のように、セルフケアという概念により、オレムは看護がいつ患者に手を出すのかについてはっきりさせることができた。また、セルフケアによって看護の方向性も見えてくる。


オレムの看護システム †
 患者が自力でどのくらいセルフケアできる(自分のニードを満たせる)かによって、看護者の介入も変わってくる。

患者がほとんどセルフケアできない場合
部分的にセルフケアができる場合
ほとんどセルフケアができる場合
 また、看護者が患者のセルフケアを代わって行う度合いによって、次のように看護システムを分類できる。

全代償システム
全面的に患者にセルフケアを代わってしてやる
部分代償システム
部分的にしてやる
支持教育システム
専ら患者のセルフケアをよいものとするように指導教育する

参考文献 †
『はじめての看護理論』

http://tankenkanoheya.blog74.fc2.com/blog-entry-444.html

ドロセア・E・オレム(Dorothea E . Orem):看護ケア
ドロセア・E・オレム(Dorothea E . Orem):看護ケア

ドロセア・E・オレムによると,人間はセルフケア能力を有する生物的・心理的・社会的存在であり,普遍的セルフケア要件,発達的セルフケア要件,健康逸脱に対するセルフケア要件を充足する力をもつとしています。

環境については,外的・内的刺激をさし,セルフケアに対する要件は人間と環境の中にその源が存在するともしています。

健康については,身体的,精神的,社会的安寧を含みつつ,人間が構造的にも機能的にも健全かつ統合された状態をいうとしています。

看護については,クライエントがセルフケアを獲得できるようにケアを提供し,支援することであるとしています。さらに,他者を援助するための人間の創造的努力であり,全代償的・一部代償的・支持教育的な3つの看護システムからなりたっているとしています。

「看護:実践の概念」(1972)
Nursing : Concepts of Practice

ヴァージニア・ヘンダーソン

2012-06-09 23:47:06 | 医療


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%A4%E5%9A%A5

happycampus
1.患者の呼吸を助けるについて
 ヘンダーソンが患者の呼吸状態の観察および安楽な呼吸を促す体位に焦点をあてているのと同様にナイチンゲールもまた「呼吸の様子はどうか、患者が最も楽に呼吸できる体位はどれか、これらも看護婦が必ず観察すべきいまひとつのことである。」と述べている。さらにナイチンゲールは「患者が呼吸する空気を、患者の身体を冷やすことなく、屋外の空気と同じ清浄さに保つこと」と記しており、体内に取り入れる空気の質にも目を向けていることがわかる。

2.患者の飲食を助けるについて
 ヘンダーソンは「食堂まで歩ける患者、松葉杖や車椅子を使って、あるいはたとえストレッチャーに乗ってでも食堂に行ける患者は、一般的にはそうするほうが彼のためによい。・・・少なくともそこには変化があり、友人を見つける機会がある。」と述べているのに対し、ナイチンゲールは「食事中の病人はなるべくひとりにしておくほうが良い、と言われるが、それは問題なく正しい。」と述べている。今日の看護において、食事はコミュニケーションの場としてとらえられる傾向にあり、ヘンダーソンの理論に基づいたケアが実施されることが多いが、患者の習慣や嗜好などの個別性を考慮し、ナイチンゲールの理論を用いたケアを行うことも、食欲増進のために有効と言え・・・・・


ナイチンゲールとヘンダーソンの看護理論について
1 ナイチンゲールの看護理論
ナイチンゲールの看護理論の中心概念は「環境」である。人間におけるすべてのものを「環境」と捉えている。
環境を物理的環境、精神的環境、社会的環境の3分野に分類し、これら3つはお互いに影響し合い、3つが揃わなくてはバランスを失うとした。その中でも、物理的環境を重要視し、つまり、物理的環境が整えば、残りの2つの環境もよくなると、中心的な位置づけとした。
環境の不備により患者のエネルギーが消耗し、生命力が衰えないように、これらの環境を整えることが看護師の役割である。
環境の3分類を、具体例を挙げながら説明してみる。
Ⅰ 物理的環境
①空気----人間が生きていくうえで、空気は必要不可欠で、患者にとっては最重要とした項目であるとした。健康人は当然のように呼吸しているので、その関心は薄い。特に住居における空気の質にこだわり、新鮮な空気を窓を開けることにより、室内に取り入れる「換気」を基本とした。
②光----患者にとって、空気の次に必要不可欠なものとして捉え、陽光は患者にとってよい影響を与え、病室の患者は常に窓から外が見..




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看護学概論
ヘンダーソンは、医師の機能と看護の機能とは、全く別のものと示し、看護は、疾病や健康に関する対象の回復を支え、自立に向けての援助を行う役割を担うとしている。
ヘンダーソンの言葉にもある、看護においての「自立」というキーワードをよく理解し、看護というものをより深く学び、そこから得たものを、自分の現在の看護につなげていければと、ヘンダーソンの看護理論を選んだ。
ヴァージニア・ヘンダーソン(1897年11月30日~1996年3月19日)は、アメリカの看護学者であり、看護教育の指導者として、フローレンス・ナイチンゲールに次いで世界でその名を知られている。ミズーリ州のカンザスシティに生まれ、8人の兄弟姉妹の5番目。第一次世界大戦で兄弟たちが従軍したため、自分も何かの役割をとアメリカ陸軍看護学校(1918年開校)に学ぶ。その学校の校長が、学校の創立者で初代校長でもあり、またアメリカ看護の開拓期のアメリカ看護のThe Great Trioの一人、アニー・ウォーバートン・グッドリッチだった。彼女が終生ヘンダーソンの師となる。グッドリッチ自身、コロンビア大学、イェール大学の教授、学部長というキ..


http://www.ict.ne.jp/~i_camu/sub19.htm

ヴァージニア・ヘンダーソン                                  

Ⅰ.ヘンダーソンの経歴           

1897年 ミズーリ州カンサスシティーで8人兄弟姉妹の5番目の子供として生まれた。

父親の仕事の関係上、ヴァージニア州で育つ。

1918年 第1次世界大戦中に、傷病兵の世話をしたいという気持ちから看護への関心

を高めワシントンの陸軍看護学校へ入学。

1921年 同校卒業。訪問看護婦として働く。

1922年 故郷のヴァージニア州の病院看護学校で教鞭をとる。

1929年 看護に関わる自然科学と人文科学を学ぶ為にコロンビア大学のティーチャー

ズ・カレッジに進学。学士号と修士号を取得。

1961年 『看護の基本となるもの』を出版。

1966年 『看護論』を出版。

1996年 生涯を閉じる。



主な著書:看護の基本となるもの       

     看護論

     看護の原理と実際

Ⅱ.ヘンダーソンの理論の概略

ヘンダーソンは、看護を医師の監督や指示による仕事とは区別し、「独自のもの」としてとらえ、看護の機能を以下のように著した。

看護婦の独自の機能は、「病人であれ健康人であれ各人が、健康あるいは健康の回復(あるいは平和な死)に資するような行動をするのを援助することである。その人が必要なだけの体力と意思力と知識とをもっていれば、これらの行動は他者の援助を得なくても可能であろう。この援助は、その人ができるだけ早く自立できるようにしむけるやり方で行う。」1?と述べている。そして、ヘンダーソンは看護の構成要素として14の基本的ニーズを挙げ、「対象が健康人であっても病人であっても、看護婦は衣食住に対する人間の免れえない欲望を念頭におかなければならない。」2?と述べ、看護師の役割は、患者がこれらのニーズを満たせるよう補助することであると示し、看護が人間の基本的ニーズに根ざしていることを強調している。14の基本的ニーズについては後述のとおりである。この本質的ないし独自の機能は、看護師が自らの主導において遂行でき、それに関しては看護師が最も優れているとしている。





著書

1)V・ヘンダーソン著(湯槇ます、小玉香津子訳): 看護の基本となるもの、

日本看護協会出版会、1995年、p.11

2)小玉香津子訳:ヴァージニア・ヘンダーソン論文集、日本看護協会出版会、

3)V・ヘンダーソン著(湯槇ます、小玉香津子訳): 看護論、日本看護協会出版会、


http://www.ict.ne.jp/~i_camu/sub20.htm



Ⅱ.ヘンダーソンの理論の概略

ヘンダーソンは、看護を医師の監督や指示による仕事とは区別し、「独自のもの」としてとらえ、看護の機能を以下のように著した。
看護婦の独自の機能は、「病人であれ健康人であれ各人が、健康あるいは健康の回復(あるいは平和な死)に資するような行動をするのを援助することである。その人が必要なだけの体力と意思力と知識とをもっていれば、これらの行動は他者の援助を得なくても可能であろう。この援助は、その人ができるだけ早く自立できるようにしむけるやり方で行う。」1?と述べている。そして、ヘンダーソンは看護の構成要素として14の基本的ニーズを挙げ、「対象が健康人であっても病人であっても、看護婦は衣食住に対する人間の免れえない欲望を念頭におかなければならない。」2?と述べ、看護師の役割は、患者がこれらのニーズを満たせるよう補助することであると示し、看護が人間の基本的ニーズに根ざしていることを強調している。14の基本的ニーズについては後述のとおりである。この本質的ないし独自の機能は、看護師が自らの主導において遂行でき、それに関しては看護師が最も優れているとしている。

http://www.ict.ne.jp/~i_camu/sub21.htm

はじめに

現在、多様な看護理論が打ち立てられているが、それは、私達が学習したヴァージニア A・ヘンダーソン(以下ヘンダーソンと略す)の考え方を発展させたものが多くみられる。
ヘンダーソンは、自らが受けてきた看護教育や看護実践、教員経験の中から看護とはということを探究してきた。そして、看護の独自の機能について、「病人であれ健康人であれ各人が、健康あるいは健康回復(あるいは平和な死)に資するような行動をするのを援助することである。その人が必要なだけの体力と意思力と知識とをもっていれば、これらの行動は他者の援助を得なくても可能であろう。この援助は、その人ができるだけ早く自立できるようにしむけるやり方で行う。」1?と述べており、基本的欲求の充足ということを中心にとらえてきた。また、患者と看護婦の関係や看護の科学性についても述べている。
私達は、ヘンダーソンの経歴を振り返り、その中で彼女が人間の存在や看護のあり方についてどう考えていったのかを知り、ヘンダーソンの理論について理解を深めていくことができたのでここに報告する。


Ⅰ.ヘンダーソンの経歴

1897年 ミズーリ州カンサスシティーで8人兄弟姉妹の5番目の子供として生まれた。
父親の仕事の関係上、ヴァージニア州で育つ。
1918年 第1次世界大戦中に、傷病兵の世話をしたいという気持ちから看護への関心
を高めワシントンの陸軍看護学校へ入学。
1921年 同校卒業。訪問看護婦として働く。
1922年 故郷のヴァージニア州の病院看護学校で教鞭をとる。
1929年 看護に関わる自然科学と人文科学を学ぶ為にコロンビア大学のティーチャー
ズ・カレッジに進学。学士号と修士号を取得。
1961年 『看護の基本となるもの』を出版。
1966年 『看護論』を出版。
1996年 生涯を閉じる。

ヘンダーソンは、1897年、父が法律事務所を開いていたミズーリ州カンザスシティーで8人兄弟姉妹の5番目の子供として生まれた。2、3歳の頃に母が生まれ育ったヴァージニア州に引越し、そこで幼少期を過ごした。ヘンダーソンの母方の実家は裕福であった。祖父母は教師をしており、ヘンダーソンは、教養のある環境の中で育っていった。ヘンダーソンはよく手紙を書いていた。これは、ヘンダーソンの母が、誰かが何かしてくれたときにはお礼の手紙を書くようにと躾ていたからである。ヘンダーソンの向学心や書くことの能力はこの頃に培われたのであろう。
第一次世界大戦で傷ついた傷病兵の世話をしたいという気持ちから看護への関心を高めたヘンダーソンは、1918年、ワシントンの陸軍看護学校へ入学した。20歳のときである。そこで、ヘンダーソンは、校長アニーW・グッドリッチと巡り合う。グッドリッチは、学生たちに看護の役割が非常に重要であること、そして看護は一生かかって勉強するものだということを感じとらせたのである。また、学生たちと大人の人間として接していた。このようなことがあり、ヘンダーソンはグッドリッチのことを最も尊敬する師と仰ぐようになる。ヘンダーソンは、3年間の看護学校生活でさまざまな経験をし、また、いくつかの懸念を感じていた。授業は、医師による講義がほとんどで、疾患・診断・治療方法に焦点が当てられており医学教育を簡略化したものであった。医学教育に基づいたケアに対し不満を持ち、このような看護は単に医学の延長でしかないと考えていた。このような出来事が、看護とはということを考えるきっかけとなったのであろう。そして、お手本となる看護モデルが不足していることも感じていた。

3年間の課程を終え、1921年、ワシントンの陸軍看護学校を卒業し、訪問看護婦として働いた。訪問看護婦を選んだのには、病院には患者と看護婦の両者にさまざまな制限があり、地域保健機関による看護活動のもつ自由さを好ましく思ったからである。訪問看護婦として1年経過した1922年、ヴァージニア州で働きたいと思い、同州の登録試験を受けていた。その成績は優秀であり、看護教育に大いに貢献してくれるだろうと考えたエセル・スミスは、看護学校で教鞭をとってもらえないかと、ヘンダーソンに依頼をした。しかし、彼女は教育者の家系に生まれながら、教えること以外の仕事をしたいと思っていた。それは、家系の伝統に反抗しようとしたわけではなく、看護は興味深く建設的な仕事だと思っていたからである。そんなヘンダーソンであったが、自分が気づいていない資質を他の人が自信を持って勧めてくれたので自分の天性と感じ教員という仕事を受けることにした。教鞭をとる一方で看護実践者としての能力を高めようと土・日曜日は病院で患者のケアを行った。ヘンダーソンが、理論家というより実践者といわれる所以である。

ヘンダーソンは教鞭をとる傍ら、自らも教育を受ける必要があると感じていた。1929年、看護に関わる自然科学と人文科学を学ぶ為、コロンビア大学のティーチャーズカレッジに入学した。1年が経過した時、学費が尽きた為に休学するという出来事があったが、臨床で働き復学を果たした。学習意欲は益々大きくなっていった。また、看護の専門性を探究するために研究の必要性を感じ、自らそれを実践した。そして、学士号と修士号を取得した。ヘンダーソンは、カレッジに残り、そこで教鞭をとっていたが、学部長との意見が合わず、また、教科書『看護の原理と実際』の改訂を行いたかったこともあり、退職する。1948年のことである。カレッジを退職後も、多くの人々とともに看護研究や文献研究を行い、その結果『ナーシング スタディ インデックス』を完成させた。理論を開発しようとしたきっかけは、自らが受けてきた看護教育や『看護の原理と実際』の改訂、アメリカ看護協会が採択した看護の定義に満足できなかったことにある。理論の開発にあたり、多くの学者や理論家の影響を受けている。先にも述べたアニーW・グッドリッチ、キャロライン・スタックポール(生理学教授)、ジーン・ブロードハースト(微生物学教授)、Dr.エドワード・ソーンダイク(心理学者で基本的欲求についての研究調査を行った)、Dr.ジョージ・ディーヴァー(理学療法医)、ベルタ・ハーマー(『看護の原理と実際』の原著者)、そして、患者と看護婦関係の基本的考えについて影響を受けたのはアイダ・オーランドであった。ヘンダーソンは、執筆活動以外でもさまざまな場に赴き講演をするなどして活躍していった。その活動は、看護教育や看護現場に大きな影響を与えたのである。このように、看護に携わる人々に多大な影響を与えたヘンダーソンであるが、チョコレートが好きであったり、室内インテリアに凝ったり、服をデザインするセンスを持ち合わせるなど、ユーモアに富んだ人柄であった。1996年3月コネチカット州の自宅で生涯を閉じた。98歳であった。


Ⅱ.ヘンダーソンの理論の概略

ヘンダーソンは、看護を医師の監督や指示による仕事とは区別し、「独自のもの」としてとらえ、看護の機能を以下のように著した。
看護婦の独自の機能は、「病人であれ健康人であれ各人が、健康あるいは健康の回復(あるいは平和な死)に資するような行動をするのを援助することである。その人が必要なだけの体力と意思力と知識とをもっていれば、これらの行動は他者の援助を得なくても可能であろう。この援助は、その人ができるだけ早く自立できるようにしむけるやり方で行う。」1?と述べている。そして、ヘンダーソンは看護の構成要素として14の基本的ニーズを挙げ、「対象が健康人であっても病人であっても、看護婦は衣食住に対する人間の免れえない欲望を念頭におかなければならない。」2?と述べ、看護師の役割は、患者がこれらのニーズを満たせるよう補助することであると示し、看護が人間の基本的ニーズに根ざしていることを強調している。14の基本的ニーズについては後述のとおりである。この本質的ないし独自の機能は、看護師が自らの主導において遂行でき、それに関しては看護師が最も優れているとしている。

ヘンダーソンのメタパラダイムの4概念と解釈(資料1)

人間:共通の基本的欲求を持っており、多様な生活様式や個人を取り巻く環境によって影響され変化する。二人として同じものはいず、各自はそれぞれ独自のパターンで自分の欲求を解釈する。心と身体は切り離すことは出来ない。また、社会に認められることに満足を得ることから身体的、精神的、社会的側面をもつ統合体である。健康であれば環境をコントロールすることが出来る。また、親密な間柄でもお互いを完全に理解するのは難しい。

環境:友人、家族を含めた社会的、文化的背景は基本的欲求に影響をあたえる。健康であれば環境をコントロールできる。

健康:身体的、精神的にバランスのとれた状態であり、社会的にも問題がない。その人にとっての意味のある健康、病気からの回復、平和な死へ向かって援助を受けながら自立していくこと。体力と意思力と知識を持っており、自立した状態である。
 
看護:病人であれ健康人であれ各人が、健康あるいは健康の回復(あるいは平和な死)に資するような行動をするのを援助することである。看護は基本的欲求を満たす普遍的な活動であり、患者の言葉、沈黙、表情、動作、こうしたものを絶えず分析して行われる。それは各人の常在条件などに応じてケアを変容させる創造的活動でもある。看護師は医療チームの一員として協働し、基本的看護ケアについては権威者として看護独自の働きをする。看護の役割は時代や社会、またその看護師がおかれている状況により変化する。


Ⅲ.ヘンダ―ソンが理想とする看護

ヘンダ―ソンは理論家というよりむしろ実践の人といわれている。彼女が理想とする看護を代表的な著書(看護の基本となるもの・看護論)の中から 人間の基本的欲求、患者と看護師の関係、科学性について考察した。

1. 人間の基本的欲求

人間の基本的欲求は、人間が生物として生存していくため、また人間社会の中で充実した生活を送るために必要な欲求である。人は、必要な体力、意思力、知識があれば、本来自分の欲求を自分で充足する能力をもっており、日常生活の中で自らの健康の維持増進を図ることができるし、健康障害が起きた場合には、健康回復に努めるものである。しかし自分自身で欲求を充足することができない場合、他者の援助を必要とすることになる。すなわちヘンダ―ソンは、欲求の充足という考えを中心に捉えたのである。
ヘンダ―ソンは人が持つ基本的欲求の多様性について、患者の欲求は個別的であり、日々同一ではない。その人にあった援助をし、その人らしく生きる上で不可欠である。そして「文化が異なれば、人間の欲求も異なった形で現れ、各人はそれぞれなりに欲求を表現する。」と言っている。これらのことから、人間の共通の欲求は二つとして同じ表現で現されるものはなく、欲求の満たされ方もそれぞれ多様であることを認識しておくことが重要である。
ヘンダ―ソンは、人間の日常生活の中から、人間誰もが共通にもつ欲求を以下の14項目に分類した。

①正常に呼吸する②適切に飲食する③身体の老廃物を排泄する④移動する、好ましい肢位を保持する⑤眠る、休息する⑥適切な衣服を選び、着たり脱いだりする⑦衣類の調節と環境の調節により体温を正常範囲に保持する⑧身体を清潔に保ち、身だしなみを整え、皮膚を保護する⑨環境の危険因子を避け、また、他人を傷害しない⑩他者とコミュニケーションをもち、情動、ニード、恐怖、意見などを表出する⑪自分の信仰に従って礼拝する⑫達成感のあるような仕事をする⑬遊び、あるいは種々のレクリエーションに参加する⑭正常な成長発達および健康へとつながるような学習をし、発見をし、好奇心を 満たし、また利用可能な保健設備などを活用する

1) 正常に呼吸をする
この欲求が充足している状態はガス交換が正常に行われている、安楽に呼吸が出来ることである。ヘンダーソンは看護師がこのような呼吸のありようについて正確に観察することは非常に大切なことであると考えている。看護師は環境の温度、湿度、不快な臭気などの存在に絶えず注意をはらい患者に心地よい環境を提供する必要があると示している。

2) 適切に飲食する
この欲求が充足した状態は必要な栄養が摂れている、楽しく食べられ、満足感があることである。看護師は他のどの職種よりも、患者のそばにいる時間が長いため、患者の食習慣をとらえ、援助が出来る最適な立場にある。患者が自分の好みに沿った快適な食事が出来ることは、患者が"生活の流れ"にのっていると感じとれることが出来るかどうかの重要なキーポイントとなる。

3) 身体の老廃物を排泄する
この欲求が充足している状態は生理的で正常な排泄である、快感があることである。看
護師は排泄に関する生理学的な知識を持ち合わせている必要がある。患者の自立を促す
という基本原則は変わらないが、排泄に関しては社会的、文化的習慣さらにその人の年
齢といったさまざまな要素を考慮すること。また排泄に関する不快感、恥ずかしいとい
った気持ちについて看護師は敏感に感じ患者に接していく必要がある。

4) 移動する、好ましい肢位を保持する
この欲求が充足した状態は歩行、立つ、座る、眠るなどの姿勢が適切である、良い姿勢
のとり方を理解していることである。看護師は姿勢や動作にはその人のその時の気分や生活態度が敏感に反映されていると知っていること、そして患者の姿勢を注意深く観察することが必要である。体位変換については、患者の運動神経系の自立を勧めていけるよう援助することが重要である。

5) 眠る、休息する
この欲求が充足した状態は休息や睡眠が自然にとれる、ストレスや緊張感からの開放感
があることである。ヘンダーソンは看護師がストレスを研究する人々に加わって当然であり、休息や睡眠を誘うさまざまな方法を看護師が使ってみることを勧めている。心細くなる就寝時看護師のケアが患者の自然な眠りを高める効果があることを強調している。

6) 適当な衣類を選び、着たり脱いだりする
この欲求が充足した状態は適切な衣類を身につけている、きちんと身づくろいが出来る
ことである。衣生活については社会学的、生理学的、心理学的に意義があることを知っていることは必要なことである。出来る限りいつまでも患者を現役の生活者にしておくような衣類を勧めることに看護師が関わり、着たり、脱いだりに際して患者が必要とする体力を看護師が補わなくてはならない。

7) 衣類の調節と環境の調整により体温を正常範囲内に保持する
この欲求が充足した状態は体温が生理的範囲内にある、体温調節に努めることが出来る
ことである。体温や放熱に関する生理学的な原理を理解し、患者に適切な空気の温度、湿度を調整し、食べ物を工夫し、衣服や寝具の加減をすることが必要となる。

8) 身体を清潔に保ち、身だしなみを整え、皮膚を保護する
この欲求が充足した状態は皮膚や粘膜が清潔になっている、清潔の基準が保たれている、
他人に受け入れられやすい身だしなみであるということである。ヘンダーソンは人間の
身だしなみは、姿勢と同じようにその人の生き方が現れたひとつのしるしであるとしている。特に身だしなみの重要性を高く評価しており、看護師は患者の清潔と身だしなみについて十分観察することが必要であり、その個々の人にあわせた援助を行うことが重要である。

9) 環境の危険因子を避け、また他者を傷害しない
この欲求が充足した状態は自分で自分の環境を自由に調整できる、周囲に危険なものが
ない、知らずに他人に害を与えないことである。看護師は、場所を問わず、墜落や火事、毒性化学物質などの事故防止に役立つ立場にあるべきと述べている。さらに、物理的な障害がおこるのを最小限にする方法に精通していなければならないとしている。

10)他者とコミュニケーションをもち、情動、ニード、恐怖、意見などを表出する
この欲求が充足した状態は自分の欲求、興味、希望などを十分に自分の身体の上に表現
できる、周りの人々に理解してもらえることである。患者は病気によってこれまで繋がっていた人間関係、つまり家族や友人との繋がりを奪われてしまうことが往々にしておこる。この奪われた繋がりを患者とともにつなぎ合わせていくことが看護師の役割ではないか。そのために看護師は患者の意思を伝達し、自分の欲求や気持ちを表現するのを助けるのである。
 
11)自分の信仰に従って礼拝する
この欲求が充足した状態は誰もが自分の信じる教義、思想に従う権利が守られる、自分
の宗教に基づいた生活の仕方ができることである。ヘンダーソンは、ナースはどのような状況であっても患者の霊的欲求を尊重し、患者がそれを満たすのを助けるのは基本的看護の一部であると述べている。

12)達成感のあるような仕事をする
この欲求が充足した状態は仕事ができる、自分自身が社会に受け入れられている、社会
に認められているという満足感が得られることである。何の達成感もない一日を過ごす
ということは無力感を感じるものである。物であれ、知識であれ、何かの生産的活動を
日常の中で行えるよう、他の専門家と協力し、患者の欲求を解釈し、判断することは大
事である。このことはチーム医療の重要性についても述べている。

13)遊ぶ、あるいは種々のレクリエーションに参加する
この欲求が充足した状態は変化や気分転換、慰安レクリエーションの機会をつくること
により、気分が引き立ち、楽しい気分になれるということである。制限の多い状況の中
で、患者が心から楽しめるような時間を作り出し、共に分かち合う時間は、患者が生活
の流れにのっているのだという気持ちを持つことにつながる。

14)正常な成長発達、および健康へとつながるような学習をし、発見し、あるいは好奇
心を満たし、また利用可能な保健施設などを活用する
この欲求が充足した状態は、自分が設定しうる最良の健康生活習慣に従って生活すると
いうことである。知識不足から病気の予防、回復するための行動が実行できないことが
ある。このような患者に、最良の健康生活習慣が営んでいけるように、看護師は健康
指導、訓練、教育をしていくことが大事である。
   
以上の14項目を基本的欲求と呼んでいる。心理学の分野でマズローが、人間のいろいろな欲求を生理的欲求、安全の欲求、所属と愛情の欲求、自尊心の欲求、自己実現の欲求の5つに分類し、これらを階層的に配列している。マズローの欲求の階層も下位レベルの欲求から上位レベルの欲求に向けて順に満たしている。
欲求は生きるための生理的欲求から最優先されなければならない。ヘンダ―ソンの14の基本的欲求は生理的欲求から、より高次の欲求に向かって順位づけている。(資料2)
欲求や欲求を満たす能力を見ていく場合に、考慮しなければならない要因がある。看護の対象となる個人の欲求は、個人の発達段階、社会的、文化的、身体的状態などの常在条件と症状や病態などの病理的状態によって影響をうける。基本的欲求に影響を及ぼす常在条件には、年齢、性別、性格、社会的・文化的背景、身体的・知的能力が含まれる。
看護は、人間に共通して存在する基本的欲求に加え、その人の独自の個人的要素を考え合わせ、その人にとっての自立へ向けてケアを展開するのである。

2. 患者と看護師の関係(資料3)

患者と看護師の関係は、非常に依存的な関係から全く自立した関係まであり、ヘンダ―ソンは、患者と看護師の関係を3つに分けて説明している。

1)代行…患者の代行をする事
患者が昏睡状態の時や、絶対安静や手術直後の時期、初産婦の出産直後、新生児の移動、引っ込み思案の人など、患者が基本的欲求を充足することができない状態の時、看護師は体力・意思力・あるいは知識の不足ゆえに患者が、自分の'完全性''全体性''自立性'を保持するのに足りないところの代わりの存在となる。
看護師は患者に欠けている能力を確認し、充足できない基本的欲求を速やかに補う。ヘンダ―ソンはこの様な看護師の行為を具体的に「ある時は意識を失っている人の意識となり、自ら命を断とうとする者に代わって命の熱愛者として立ち、足を切断した人の足、光を失ったばかりの盲人の目、赤ん坊の移動の手だて、若い母親の知識と自信、身体が弱りはてて、あるいは引込思案のために物の言えない人々の"代弁者"となるのであり、まだまだこの続きはたくさんある。」4)と説明している。更に、看護師は患者の基本的欲求を理解する為に、あらゆる努力をしなければならないと言っている。ヘンダ―ソンの表現によれば看護師は、「患者の皮膚の内側へ入る」5)のである。

2)手助け…患者の行動の手助けをする事
患者が、回復期にある場合や基本的欲求を充足する能力に限界がある状態、看護師は自立の程度を判断し、不足している部分を補う。また援助を工夫することによって自立範囲を拡大するよう手助けをする。そして患者自身が自立の獲得や取り戻す事を助ける。
ヘンダ―ソンは「自立とは、相対的な言葉である。われわれは、他者に依存しないわけにはいかない。しかし、われわれは病的な依存ではなく健康的な相互依存を目指して努力する。」6)と言っている。

3)パートナー…患者のよき相談相手(パートナー)となる事
 患者が、自分自身で自立に向けて行動を選択する場合、看護師は患者と一緒にケア計画
を立てる事ができる。その際、患者が賢明な選択をするよう援助する。患者が自立へ向か
って進歩するためには、どのような看護活動であっても常に患者教育や指導が含まれてい
る。

更に、患者―看護師間の人間関係を成立させたり、維持・発展させたりするには、信頼関係が欠かせない。信頼関係なくして看護は成り立たないのである。ヘンダ―ソンは患者との信頼関係を構築する為の重要な手段としてベッドサイドケアを挙げ、看護師がベッドサイドケアを他の職種に委託して、看護師がその他の業務につくことをよしとしなかった。
「患者の身体的ケアを比較的未熟な看護婦にまかせることの危険は2倍になる。彼らは患者の基本的欲求を査定することに失敗するかもしれない。しかしもっと重要なことは、有能な看護師が身体的なケアをしながら患者の基本的欲求を査定する機会を奪われることになる。それは、このような状況のもとにしか査定される機会のない患者の基本的欲求を見落とすことになる。」7)と言っている。これは有能な看護師はケアを提供しながら、対人関係のプロセスとアセスメントを行なっているということを示している。

3.科学性(研究活動)について

ヘンダ―ソンは、看護師には豊富な知識と、個別的で人間的なケアを実践する基礎能力、そして科学的な問題解決をする能力が必要であると主張している。
豊富な知識には広い社会的な経験が必要であり、医学や生物学や社会学などをたえず学んでいくことが要求される。看護を実践する際には、研究をふまえて実践すること。実践を評価し改善する為に研究をすることは重要である。
「現代においては、いかなる専門職、職業、あるいは産業も研究無しにはそれぞれの実践を適切に評価したり改善したりできない」8)と言い、全ての看護師は研究者であるとしている。ヘンダ―ソンは臨地でこつこつとすばらしい看護を実践している名もない看護師を高く評価している。そのような看護師が研究をすることで、更に自己の看護に磨きをかけることができるのである。


Ⅳ.事例紹介とその考察

1. 事例紹介

Aさん 72歳 男性 妻と二人暮し。息子2人は独立し遠方に在住。
右下腿外傷後の骨髄炎で右脛骨に開創部あり。
洗浄と骨移植術が行われたが経過は不良で、左下腿後面の皮膚からの有茎皮膚移植が施行される。約3週間の固定を行ったが、病状の進行がみられ最終的に右大腿より下肢は切断された。
Aさんは元とび職。妻や同室患者と陽気に会話する社交的な人で、入院直後から車椅子で病院内を移動する活発な人であった。また身の回りのことは何でも自分で行う人であった。しかし、手術、皮膚移植と治療が施されるにつれて活動範囲は狭まり、皮膚移植時には同一体位(下肢をクロスした体位)での生活を余儀なくされた。清潔、排泄行動は著しく制限され、日常生活、安楽な体位への援助を行った。しかし看護者が介入することに遠慮されることが多く、身辺の介助は妻に任されていた。固定の日を追うごとに、温厚だったAさんはふさぎこみがちになり、いらついた気持ちを妻にぶつけるようになった。
また「こんな足は切り落としてほしい」と訴えるようになった。骨髄炎の悪化と移植部の壊死をおこし最終的に下肢が切断された。医療者としては、避けたい結果となったが、看護者の予測とは相反してAさんには笑顔が戻り、以前のように明るく活動的に過ごされるようになった。

2.考察

 ヘンダーソンは看護について「看護の独自の機能とは、病人であれ健康人であれ各人が、健康あるいは健康の回復(あるいは平和な死)に資するような行動をするのを援助することである」1)と言っている。看護とは患者が日常の生活パターンを保つのを助けること、すなわち普通は他者に助けてもらわなくてもできる行動を助けることにある。そして、それは「人間の基本的欲求に根ざしている」9)としている。

 当症例は、同一体位で固定されることによって、著しく日常生活に制約を受け、清潔、排泄、良い姿勢の維持等の欲求が不足している状態にあった。看護者は、清潔や排泄への援助を行うことで患者の不足した欲求を満たそうと考え援助を行った。しかし、患者の欲求は満たせたとは言えず、その逃避行動が妻にあたるという形で現れた。患者の笑顔が戻ったのは切断により身体の自由を得たときであった。このことは、看護者にとって予想外のことであった。同一体位による苦痛は理解できているつもりであったが、身体の一部を失う「切断」ということのほうがより苦痛なものとして感じられたからである。

当症例を看護するにあたり、看護者としては患者の不足した基本的欲求を把握しそれを充足するために働きかけたが、結果的には看護者のアセスメントした患者の基本的欲求やそれを充足させるための援助は患者が求めていたものではなかった。時として看護者は、過去の経験や慣れから患者の基本的欲求を予測したり、援助を行ったりする。当症例においても、身体を固定された患者の不足した基本的欲求を、決め付けた思い込みの援助で行った傾向がある。ヘンダーソンは「人間の基本的欲求はふたつとして同じものはない無限に多様の生活様式によって満たされる」10)と言っている。すなわち看護婦がいかに賢明でも、またいかに一生懸命努めようとも、一人一人が求めることすべてを完全には理解できないし、その人の充足感に合致するように要求を満たすこともできない。この患者にとっての基本的欲求をヘンダーソンの言う「皮膚の内側に入り込んで」6)理解しようとする姿勢が重要であったと考える。そして、その援助においては、「看護を受けるその人にとっての意味における健康、その人にとっての意味における病気からの回復、その人にとっての意味におけるよき死」11)を患者と共に考え、共に目指していく姿勢こそ必要となる。


理論の評価とまとめ

ヘンダーソンの看護の定義と基本的欲求項目は、看護行為全体を説明しようとするときの見方の一つである。ヘンダーソンの唱える基本的欲求は、誰もが生活上必要と考えることをはっきり言明してあり、基本的欲求という側面から人間を理解することによって、病気や病態の理解・ケアだけでなく、患者の生活に視点をおいた人間的な看護としての考え方を示している。このことからヘンダーソンの概念は理解しやすく、現在も看護実践や看護教育のガイドとして、幅広く活用されている。

しかし、彼女の看護の定義と基本的欲求項目には、理論を一般化する為の実践の分析や、患者ケアの為の理論的な裏付けが不足している。また、基本的欲求項目の構成要素の関連性や、看護ケアへの影響についての記述が曖昧である。これは、彼女が理論を開発する意図が無かったため、理論に検証可能性を与えるために必要な、相互関係のある理論的主張ないし操作上の定義を手がけていないためと考える。

近年、医療技術の進歩と共に看護が多様化し、看護の本質が見失われがちな昨今、ヘンダーソンが定義した看護の中には、看護本来の目標があるように思われた。

ヘンダーソンが「看護とは」を追い求めた時代から50年以上経過した現在もなお、看護への追求は続いている。社会情勢や患者を取り巻く環境が変化しつづける以上、「看護とは」の模索には終わりがない。私たちは常にその時々の看護のあり方を追求する姿勢を持つべきであり、強いてはそれが看護の質と看護学の向上につながると考えた。

ヘンダーソンが、看護を定義しようとした努力、対象論としての先見的業績は、看護における理論開発以前になされたことを考えると歴史的価値があり、多大な貢献である。また、その業績はこれからも後輩達の原動力となると確信している。

またグループ活動を通して、一人一人の看護観を分かち合い、あらためてヘンダーソンの理論を学習したことは、自己の看護観や価値観を深めていくことに生かすことができると感じた。ヘンダーソンが願ったように、私たちが理論をそのまま受け入れるのではなく、一人一人がそれぞれの看護についての自分の概念を、自分自身で感じ、考え、行う中で発展させていくことが今後の課題であると考える。


引用文献
1) V・ヘンダーソン著(湯槇ます、小玉香津子訳): 看護の基本となるもの、
日本看護協会出版会、1995年、p.11
2) 前掲1)、p.17
3) 前掲1)、p.17
4) 前掲1)、p.13
5) 前掲1)、p.13
6) 小玉香津子訳:ヴァージニア・ヘンダーソン論文集、日本看護協会出版会、
1982年、p.120
7) 前掲1)、p.25
8) V・ヘンダーソン著(湯槇ます、小玉香津子訳): 看護論、日本看護協会出版会、
1995年、p.67
9) 前掲1)、p.17
10)前掲1)、p.18
11)前掲1)、p.18

参考文献
1) 秋葉公子他著: ヘンダーソン看護論の実践、廣川書店、1998年
2) 黒田裕子編: やさしく学ぶ看護理論、日総研、1999年
3) ジェイズ P・スミス著(小玉香津子、尾田葉子訳):ヴァージニア・ヘンダーソン 
90年のあゆみ、日本看護協会出版会、2000年
4) ジュリア・B・ジョージ(南裕子、野嶋佐由美、近藤房恵訳):看護理論集 増補改訂版、日本看護協会、2000年
5) 竹尾恵子監修: 超入門 事例で学ぶ看護理論、学研、2001年
6) 都留信子他監修:看護理論家とその業績 第2版、医学書院、2001年
7) V・ヘンダーソン著(稲田八重子他訳): 新版・看護の本質、現代社、1998年
8) ルビー・L・ウェズレイ著(小田正枝 日本語版監修): 看護理論とモデル 第2版、へるす出版、2000年
9) 渡辺トシ子編: ヘンダーソン・ゴードンの考えに基づく実践看護アセスメント、
http://www.nakayamashoten.co.jp/kango/ebnf/pdf/1-4-a.pdf
食の看護