ebatopeko②
長谷川テル・長谷川暁子の道 (95)
(はじめに)
ここに一冊の本がある。題して『二つの祖国の狭間に生きる』という。今年、平成24年(2012)1月10日に「同時代社」より発行された。
この一冊は一人でも多くの方々に是非読んでいただきたい本である。著者は長谷川暁子さん、実に波瀾の道を歩んでこられたことがわかる。
このお二人の母娘の生き方は、不思議にも私がこのブログで取り上げている、「碧川企救男」の妻「かた」と、その娘「澄」の生きざまによく似ている。
またその一途な生き方は、碧川企救男にも通ずるものがある。日露戦争に日本中がわきかえっていた明治の時代、日露戦争が民衆の犠牲の上に行われていることを新聞紙上で喝破し、戦争反対を唱えたのがジャーナリストの碧川企救男であった。
その行為は、日中戦争のさなかに日本軍の兵隊に対して、中国は日本の敵ではないと、その誤りを呼びかけた、長谷川暁子の母である長谷川テルに通じる。
実は、碧川企救男の長女碧川澄(企救男の兄熊雄の養女となる)は、エスペランチストであって、戦前に逓信省の外国郵便のエスペラントを担当していた。彼女は長谷川テルと同じエスペラント研究会に参加していた。
長谷川テルは日本に留学生として来ていた、エスペランチストの中国人劉仁と結婚するにいたったのであった。
長谷川テルの娘である長谷川暁子さんは、日中二つの国の狭間で翻弄された半生である。とくに終章の記述は日本の現政権の指導者にも是非耳を傾けてもらいたい文である。
日中間の関係がぎくしゃくしている現在、2020年を間近に迎えている現在、70年の昔に日中間において、その対立の無意味さをねばり強く訴え、行動を起こした長谷川テルは、今こそその偉大なる足跡を日本人として、またエスペランティストとして国民が再認識する必要があると考える。
そこで、彼女の足跡をいくつかの資料をもとにたどってみたい。現在においても史料的な価値が十分あると考えるからである。
覚え書き「長谷川テルと劉仁の恋愛と結婚」① 木田日登美(ぼくだひとみ)
中国演劇の翻訳・製作者である木田日登美(演出・制作では坂出日登美)氏が表題のテーマで記されている。木田氏は氏は、劇団「息吹」において俳優・演出家として活動後、1991年、北京語言学院本科(現北京語言文化大学)入学し、1995年卒業した。1997年~2001年の間、北京の中央戯劇学院劇文学科高級進修生であった。
現在、劇団「息吹」に所属し、日本演出家協会会員であり、「日本、中国、韓国の文化芸術交流の架け橋」事務局員でもある。
(以下今回)
私はこの「覚え書き」で、1936年春に東京で長谷川テルと劉仁の二人が出会ってから1947年1月10日にテルが34歳で、続いて劉仁が同4月22日に37歳で後を追うように病死するまでの11年間の事を書きたいと思う。
なぜなら、この11年間があるからこそ、2人は今も日本と中国の多くの人々から尊敬されているからであり、それゆえに私たちもテルの業績を語り継ぎたいと思うものであるからだ。
テルの生涯やその作品は、『テルの生涯』(利根光一著、要文社、1969年)、『反戦エスペランチスト、長谷川テル作品集』(亜紀書房、1979年)など、日本で活躍した時期のテルを知っているエスペランティストによって書かれた優れた本が出版されている。
また、1980年に「望郷の星」(岩間芳樹、TBSブリタニカ)が栗原小巻の主演でテレビ放映され、1982年には澤地久枝による『忘れられたものの暦』(新潮社)出版されており、1999年、2002年と雑誌「あごら」が長谷川テル特集を出版している。
もし、長谷川テルに興味があるならば、これらの出版物を読めばかなりのことを知ることができると思う。しかし不思議なことに、テルの夫、劉仁についてはどの本にも余り詳しく書かれていない。
テルの父長谷川幸之助は「支那人と結婚することは絶対に許さない」と、テルの名義で加入していた簡易保険までも解約し、彼女が劉仁の後を追って上海に行くのを阻止しようとしたが彼女は屈しなかった。
両親の反対を押し切り、ほとんど身ひとつで上海に渡ったテルを、エスペランティストとして、夫として、抗日、反戦平和を戦う同志として常にテルのかたわらに在った劉仁。
11年間、二人はどのような困難な時も行動を共にし、いま共に中国の東北黒龍江省佳木斯(ジャムス)の比翼塚の眠っている。
このよにテルが命がけとも言う愛を注いだ劉仁のことを、どの本も余り重視していないことを、私はかねてから大変不満に思い、又、不思議に思っていた。
さらに劉仁の最初の結婚(それは彼がまだ満13歳に満たない時に親の一方的な命令でおこなわれた)について、わずかの人ではあるが、一方的に「劉仁は長谷川テルを騙したのだ」、「劉仁は重婚だった」などという文章を書いているのに接し、どうかして劉仁の実像を知りたいと強く思うようになった。
私はこの数年、テルの遺児・長谷川暁子さん、日本女性史研究家の澤田和子さん。弁護士の坂井尚美先生、日中近現代史の専門家の吉田曠二先生などと、長谷川テルの業績を訪ねる活動を続けてきたが、この度その総まとめとして、単行本を出版する計画が立てられ、私は主として劉仁のことを書くこととなった。
そこで、この項では主として劉仁の人となりやその業績を紹介し、あわせて二人の恋愛と結婚にいたり、中国での厳しい抗日戦争を耐え抜いた二人がどのような愛情で結ばれていたのかを考えてみたいと思う。