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『生田長江詩集』を覗く ⑳
(前回まで)
先日、米子市立図書館で『生田長江詩集』を手に取った。「白つつじの会」生田長江顕彰会が発行したものである。生田長江については、鳥取の生んだ偉大な文人で、明治から昭和の初めにかけて活躍した人物である。生田長江顕彰会は詳しい「年譜」を出しておられる。それも引用しながら、生田長江が浮かび上がれば幸いである。
生田長江についてはまた、荒波力氏による『知の巨人 評伝生田長江』が五年前の2009年に刊行されている。
また鳥取県立図書館による『郷土出身文学者シリーズ⑥』で、生田長江が取り上げられている。大野秀、中田親子、佐々木孝文の各氏による生田長江の再現が嬉しい。
生田長江については、私もかってブログの「三木露風を世に出した生田長江」①、②で記したことがある。→ 2009・3・13~14
今回上記『生田長江詩集』の編集をされておられる河中信孝氏の「解題」に沿って、今や忘れられんとする明治~昭和にかけての、鳥取の生んだ「知の巨人」生田長江を知りたい。
彼の文人(評論家、翻訳家、創作家ー小説、詩、短歌、戯曲)として、また当時の論壇の中心であったその一端を紹介し、「白つつじの会」のご活躍をお祈りしたい。
私は、散文や歴史などは少し読んだことはあるが、詩にはまったくと言ってよいほど縁がなかった。
それで、図書館で『生田長江詩集』を見たとき、生田長江がどんな詩を書いているのかを知りたくて借りてみたのである。しかし案の定その詩は難解で、それを味わう、観賞する能力など私にはなく、ブログのタイトルを『生田長江詩集を覗く』とせざると得なかったのである。
そこで、私は生田長江がこの詩集の中で、何を訴えようとしているかわからないままに、私の目についたいくつかの詩を「覗いて」みたい。
(以下今回)
また一つ「覗いて」みる。
革命と復古主義
『我はかってかくの如きよき人を見しことなし、
いかに彼女のめづらかに新しきかな』
(注:これはニイチェが愛した、ヴァーグナー夫人コジマへの、ニイチェの想いが現れたものであろうか?)
ー初めてその愛人を見出でたる人間の、
その一つの心は斯く叫べども、聴け、更らに
今一つの心に
『否、こは彼女を見たる二度目なり。
この世にてかこの世ならぬ世にてか知らず。
別れ來し日の餘りにも遥けく、又
餘りにも近きことの不思議さよ』
一の郷愁にして、しかも新しき島への
新しき一の遠征なる戀愛と革命と、
この二の物の軌道はつねに螺線を畫く。
螺線はもと出でし方を慕ひ求めつつ、
未だ知られざる處へと走り行くもの。
げに回帰的前進なり、前進的回帰なり。
嗚呼、汝等革命を好む人々よ、学び知れ、
復古主義的狂熱に出發せざる
如何なる革命も曾てあらざりしことを。
(一九二八年一月)