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西田 税(みつぎ)のこと ⑱
(陸軍士官学校時代 その9)
大正十一年(1922)四月二十三日早朝、西田税は自宅療養のため、退院をゆるされ60日間着慣れた白の病院服を脱いだ。
羸 . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと ⑰
(陸軍士官学校時代 その8)
大正十一年(1922)のことである。
西田税は、「猶存社」については、病床のあいだ他の患者から借りた月遅れの雑誌「寸鉄」紙上の、望月茂「猶 . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと ⑯
(陸軍士官学校時代 その7・・北一輝を知る)
病状が快方に向かっていた大正十一年(1922)四月のある日、同志の宮本進が西田税のもとへやって来た。宮本は、満川氏との会見の一部始終を彼に語った。そして . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと ⑮
(陸軍士官学校時代 その6)
大正十一年(1922)、突然の病魔に襲われた西田税は徐々に快方に向かい、病窓にに春光をそして庭の桜花に思いを寄せ、夜は朧なる月を桜 . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと ⑭
(陸軍士官学校時代 その5)
「尼港」とは、「尼港事件」を題材にしたものである。「尼港事件」とは、1920年(大正9) 三月~五月にかけてロシアのパルチザンによってアムール川の河口 . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと ⑬
(陸軍士官学校時代 その4)
ボース氏は、西田税らに「印度に来てください」と誠意を込めて語った。その後、西田税らはしばしば新宿にボース氏を訪れては、語り合った。
. . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと ⑫
(陸軍士官学校時代 その3)
大正九年(1920)十月一日、西田税は士官候補生としての朝鮮羅南騎兵第二十七連隊付からもどり、陸軍士官学校に入学した。
西田税が上記の . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと ⑪
(陸軍士官学校時代 その2 川島芳子のこと)
大正九年(1920)十月一日、西田税は士官候補生としての朝鮮羅南騎兵第二十七連隊付からもどり、陸軍士官学校に入学した。
そこで知 . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと ⑩
(陸軍士官学校時代)
大正九年(1920)三月、陸軍中央幼年学校を卒業したあと西田税は、福永、三好とともに朝鮮行きを志願した。そして、四月一日士官候補生として、朝鮮羅南騎兵第二十七連隊付となった。
羅南とは、現在の北朝鮮のチョンジ . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと ⑨
(陸軍中央幼年学校時代 その③)
西田税は、中隊の各区の有志と謀り、中隊同期生の決議によって不浄漢の進退を決めようと考えた。大正十九年十一月のことであった。
長州出身者の奸策を証明したとき、西田の区隊の者はことごとく悲憤の涙にむせんだ。その翌日、西田、三好、福永、末吉らは他の区隊の . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと ⑧
(陸軍中央幼年学校時代 その②)
西郷隆盛には、大陸への憧憬を示す「書懐」と題する詩編がある。おそらく西田税が愛唱したであろう詩編である。
「 一葦纔西大陸通 鴨緑送処崑崙迎 秋草漸老馬晨嘶 天際無雲地茫茫 嗚呼予二十七将終一生半 肺肝其能何処傾 感来睥睨長風外 月自東洋照西洋 」
. . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと ⑥
(広島陸軍幼年学校時代)
大正四年(1915)九月一日、中学校二年に在学中であった西田税は中学校を退校し、広島陸軍地方幼年学校に進学した。十五歳を目前にしていた。
陸 . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと ⑤
(初恋)
西田税には、淡い初恋があった。
西田は自伝において「十二歳にして恋を知った」と記す。そして「黙々の間に、それとは言はぬ交わりは十年近く続けられた」のであった。
幼き税の、恋とは気づかぬ彼の心は、この頃の彼を悩ませた。尋常小学校六年生の夏より冬にかけて、彼は心身の過労を来した。
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西田 税(みつぎ)のこと ④
(兄のこと)
西田税には、兄がいた。五歳上の長男英文である。 明治四十五年(1912)税が尋常小学校五年のとき、明治天皇が逝去になった。同年九月十四日、乃木大将があとを追い自刃した。
このとき、中学校三年であった兄に対 . . . 本文を読む