ebatopeko 西田 税(みつぎ)のこと (32)
(ふたたび羅南へ)
(以下今回) 西田税は大正十一年(1922)八月、「再び祖国に訣るるの記」を執筆した。
天地二部の経文と、母が東への旅に中京で買 . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと (31)
(川島芳子のこと 3)
二年近く前に、日中のはざまで悲劇の死を遂げた「川島芳子」のことをブログに記したことがある。
このたび、その処刑を裏付ける文書が発見されたという。2010年1月20日付けの朝日新聞にそのことが掲載されている。
それを紹介するために、私の前のブログも再度取り上げてみる。
朝日新聞の記事 . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと (30)
(陸軍士官学校時代、もと同志三好達治のこと ④)
(以下今回)
三好達治は、彼の言によると自らの思い違い、選択間違いで陸軍幼年学校から陸軍士官学校にすすみ、そして必然の結果、中座したのであった . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと (29)
(陸軍士官学校時代、もと同志三好達治のこと ③)
(以下今回)
前に記したように、大正10年(1921)、士官学校を脱走した三好達治は北海道で見つかり、連れ戻された。そして二カ月間を衛戌刑務所に送 . . . 本文を読む
ebatopeko 西田 税(みつぎ)のこと (28) (陸軍士官学校時代、もと同志三好達治のこと ②) (以下今回)
三好達治は後年、自らの前半生を記すことがほとんどなかった。
彼は大正九年(1920)四月、一年半の陸軍中央幼年学校を終え、親友であった西田税らとと . . . 本文を読む
ebatopeko 西田 税(みつぎ)のこと (26)
(陸軍士官学校時代、同志宮本進のこと)
(以下今回)
大正11年(1922)7月28日、西田税は五年の間住み慣れた陸軍士官学校の市ヶ谷台を下りた。
それは、西田税の同志とのしばしの別れ . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと (25)
(陸軍士官学校時代、朝日平吾のこと)
(以下今回)
西田税は故郷米子に帰っていたこのころ、大正11年(1922)5月10日、故郷の新聞「山陰日日新聞」紙上に、「純正日本の建設」と題する一文を発表した。
6 . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと (24)
(陸軍士官学校時代、西田税魂の遍歴 ②)
(以下今回)
西田税の真情を考えるとき、陽明学はまことに理にかなったものであったと思われる。江戸時代末期、あの大塩平八郎が止むにやまれず蜂起した真情につな . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと (23)
(陸軍士官学校時代、西田税魂の遍歴 ①)
(以下今回)
西田税の一年十か月の士官学校時代の魂の遍歴をこうである。
彼はこの間にあって、まず陽明学に没頭した。
陽明学は周知のように、中国明代に「王陽明」に . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと (22)
(陸軍士官学校時代 その12)
(以下今回)
二十二日も秩父宮を擁して論争をした。宮は「日本の無産階級は如何なる思想状態にあるか」と西田税に訊ねたという。
これに対し、西田税は日本の無産階級は極度 . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと (21)
(陸軍士官学校時代 その11)
(以下今回)
幾年の心願ーそれは西田税にとっては秩父宮への接近であった。それは厳戒極まる側近侍臣を突破して近づくことは決死的壮挙と考えた。
何故秩父宮に . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと ⑳の2
(陸軍士官学校時代 その10)
(以下今号)
大正十一年(1922)六月十九日、西田税はふたたび東京の人となっていた。卒業試験は、七月一日から十日間の予定であった。さらに西田税は半 . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと ⑳
(陸軍士官学校時代 その10)
(前稿まで)
大正十一年(1922)2月22日、西田税は突然高熱を発して病床に臥すことになった。そして28日には入院せざるを得なくなった。熱は下がらず . . . 本文を読む
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西田 税(みつぎ)のこと ⑲
(川島芳子 別伝)
前に記したブログ「西田 税」⑪ において「東洋のマタハリ」こと「川島芳子」のことについて触れたことがある。「川島芳子」がもと清朝皇帝の愛新覚羅家の一員であったことは、そのブログにも記した通りである。
「マタハリ」とは、歴史上もっとも有名な女スパイであった。パリを中心に活躍したダンサーで、高級 . . . 本文を読む