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般若波羅蜜多と愛の波動、高橋信次のメッセージ、2006年

2020年08月21日 | 情報
生前の高橋信次氏は、新興宗教家だったというのが、世間的な位置付けでしょうか。確かに、著書に、般若心経の解説書などもありました。では、亡くなられた後は、どうでしょうか。そうした私達の思惑を超えた、高橋氏の霊界からのメッセージとされるものをご紹介します。カッコ内は補注です。一部編集を加えてあります。

(ここから)

私もね、以前も、他の所で言われたんだけれど、(霊メッセージに)中身がない、とか、長くて早口で、量が多いわりには内容がない、とか、何か、あんまり論理的ではない、とか、色々言われてねえ。

私も、四苦八苦で、一生懸命、(要点を)箇条書きにして、話をしたりしたんだけれど、私がね、言いたいのは、内容もそうだ、だけど、我々の世界(霊天上界)から来ているのは、これ、いつも言うけど、バイブレーション、波動っていうものが、あるって、言ったでしょ。

天上界(の霊人)が、どういうバイブレーションのもとで居るか、という事を、(地上の)皆んなが(メッセージとして)聴いていく。(そして)その波動に感応して、あなた方、一人ひとりの中にある、神の子としての、その本質、そこが啓発されて出て来る、っていう事なんだよ。

「悟りは、外にあるわけじゃない。皆んな、自分の中に答えはある」って、仏陀も言ったでしょう。

あなた方の中に、全ての答えは入っているんだよ。

それを(いま、直かに体感)するには、こういう、歴史的に、稀に、天上界からダイレクトに来る霊言の(持つ)波動というものがある。

(その波動は)霊人、一人ひとり、皆んな違うよ。皆んな個性が違うよ。

でも、その霊言の波動というもの、何を言わんとするかという中身、よりも、それを流している(ベースにある)波動に、皆んなが、心で感応していった時に、一人ひとりの心の中にある、神の子としての神性が、それが開かれて、あなた方自身の中から、パーニャパラミタ(般若波羅蜜多)が出て、答えが自然に湧き出てくる。

智慧が溢れて来る、という、そういうことがあるんだ、という事を、あなた方は気付いて欲しい。

その為に、私達は、霊言というものを送っている。

だから、あなた方の書籍も素晴らしいよ。書籍も素晴らしいんだけれども、まあ、勉強するには、文字からの方が分かり易い、ということはあるよ。

だけど、もう一つ、CDを、今、あなた方が出してくれている。

霊言をCDで出したというのは、ある意味で画期的な事だと思うよ、あなた達がやったことは。

普通は、出すとねえ、あんまりー。後で、揚げ足取られるからね、色んな人に。

そんな、(カメラを?)回しっ放しで撮ったものを、そのまま出すなんていうのは、(普通は)非常に嫌がるもの。

だけども、それを恥ずかしがらずに出してくれる。この流れの中で、このCD、僕の声は、確かに男性ではない女性の人が(言葉を)言っているし、やはり、性格も違うから、そんなにスムーズに出ない時も、あるけれども、僕の言葉、僕の間の取り方、僕の考え方、僕の個性から出て来る波動、だよねえ。

バイブレーションっていうもの、なんだけれども、これは、ちゃんと聴く人が聴いたら分かるということ。それを通して、あなた方の中にある、知っている思い、に通じたときに、感応して、自分自身の中にある、神の子の、神性が、光が、ほとばしって来る、ということ。

僕が、生前、G会でやったことも、そういうことだよ。僕は(自分という)存在をもって、それをした。多くの人々、信者さんの居る所で、会員さんが居る前でね、僕が光を出していった。そうすると、それは、その、当てた人以外の人達の霊道まで開いてしまったということ。

それは、私自身から出ている光に、感応していく訳だよ、周りが。

その人を、霊道開かせよう、じゃなくて、僕の存在の光の中で、その光を通して、周りの人達が、影響を受けて、それが開いていってしまう、ということ。

そういう意味で、この、CDを出してくれるという事も、霊言を繰り返し聴く、というのも、霊言聴いてたら憑いてたものが取れちゃった、っていう方もいらっしゃるみたいだけれども、まさに、その通りなんだよ。

その、天上界の波動に同通したのならば、そうじゃない時に身に憑けてしまった、下の悪霊とか低級霊とかは、憑いていられなくなる。

「波長同通の法則」ってのがあるでしょう。同じ波長でなかったら憑いていられなくなる、というのがあって、その人自身も守られて来るし、そして、逆に、外から、知識が何だ(どうこう)っていうんじゃなくて、その人自身が持っている神の子としての神理、答えは、皆んな、あなた方の内側に詰まっている訳だから(その)パーニャパラミタを使って、それを通して、守護霊とかが、必ず人生の岐路に、大事な事を、皆んなアドバイスしてくれながら、自分自身が、本当の神の子、地に足をつけた神の子として、踏み出して行くことが出来るということ。

だから、波動において天上界に近付けてしまう。それが一番いいこと。それが一番、手っ取り早い道かも知れない、ということです。

イエス様が(在世当時、地上で)お話しになった時も、その、お話の内容も素晴らしかった。
でも、あの当時に、文盲な者達もいたし、女の人達も子供達にしても、非常に、まあ、あの当時は、学問もない人達、多かったから、イエス様が言っている事は素晴らしいな、と思って、うっとりと聴きながらも、何を言っているんだか分からない、と思って聴いていた人、たくさん居たんですよ。

でも、数千人の人達が、後を追いかけて来た。彼らは、何のために、何を求めて、あんなにイエス様の後を追ってったかというと、山上の垂訓が、幾つあって、それを全部覚えられたか、というと、覚えられないでしょう。でも(それは)何だったのか。

あのイエス様が、イエス様という人、インマヌエルという人が持つ、ものすごく柔らかい愛の波動が、あるんです。聴いているだけで、うっとりと、してしまう様な、もう、人の心を酔わす様な、天国とは、こういう波動の所だろう、と思わす様な、その様な波動を持った言葉を、イエス様という方は、とうとうと話される方なんです。

だから、その、山上の垂訓の中味、それを、いくつ聴いてた、覚えてた、から、という事ではなくて、イエス様の言葉の波動に、天上界の波動に、うっとりと感応して、数千人、五千人、六千人という、あの時代に、ですよ、あんなに人が少ない時代に、集まって来て、皆んなが、うっとりと、マイクもない所で聴いてた。それは、そういうことなんです。

法というものは、ね、あなた達、勘違いしちゃいけないんですよ。

神理というものは、ね、頭で考えるもんでは、ないんですよ。

神理は、頭じゃない、心で聴くもの、なんです。

心で聴いて、心で受け止めて、自分の人生をかけて、それを、自分の心の奥底の、俯に落とすんです。

そして、その波動の中で、自分自身の中に、もう埋め込まれた、神の子としての神性を揺さぶり起こし、自分自身(だけのもの)でしかない、素晴らしい宝の、あなた方自身の、かけがえのない命を、輝かし出す。その事にこそ、本当の意味がある。

その為の、お手伝いをする為に、我々は、救世運動を興しているんです。

その時代、その時代、その文明、その文明、そして、惑星によって、多少の神理の内容の違いはあるんです。その個性は、あるんです。

その時代によって、何をよしとしたか、というものは、皆、それぞれに違うものはあるんです。その違いを、表にして、あげつらっても、何の意味もない、ということ。

いいかい。深海の中の魚にも、そして、鉱物にも、植物にも、動物達にも、もちろん、人間である、あなた方にも。地球だけじゃないよ、他の惑星にも、他の宇宙の者たち全ての中に、一つのバイブレーションとして、リズムとして、神の子としての(波動の)流れが、皆んな共通に入っているということ。それが、宇宙を、全てを、根本で貫いている。

神とは、愛の波動、愛の奔流であると、圧倒的な、愛のエネルギーである、という事を、アモール様(キリストの本体)から、あなた達、習ったでしょ。

その波動は、何を表すかというと、小宇宙だけではない、大宇宙を通して、地球も、全て通して、その愛の波動、愛の圧倒的な旋律の流れが、神の体そのものの血液である、ということなんだよ。

その波動に、あなた方が感応しなさい、ということです。

心で受け止めて、心から、あなた方が神の子である、という事を受け入れていった時に、あなた方の中に、本来の智慧というものが全部入っている、その、智慧ある愛の波動というものが、出て来る。

だから、それを箇条書きにして、他(自分以外)の、仏陀から、メシアから、聴く必要は、ある意味では、ないんです。

大まかな事は必要ですよ。だから、その時代の、神理として(伝えるために)私達は(その時代々々に、地上に、救世主としての預言者を)出しているんです。

でも、その、細かい事よりも(寧ろ、大きな問題は)多くの人達が、神理を、知識として捉えようとして、心としての成長が、心としての波動が、少しも上がらない、という、愚を、冒してしまっている場合がある、ということなんです。

でも、そんなもの(細かな神理知識を記憶していること)は、何にもならない。魂を成長させるには、神理というものは、神の波動というものは、ハートで聴くということ。神の子の心(の方)で聴くということ(が大事です)。

心というのは、知も表すし、文証、理証、現証という事を、私は、ねえ、生前言ったけれども。やっぱり、文証としての知識も必要だけれども、現証としての感性としても必要だし、理証としての科学的な裏づけというものも、全部必要。そのトータルの、五感の全てを通して、神理というもの、神というものと、対峙しなさい、ということなんです。

ですから、知だけで偏って行ってしまう者は、ある意味で、非常に、今の時代がね、アトランティスの末期と同じで、知に偏りすぎている時代だから(なんだ)。逆に言うと、心で、ハートで、神と出会えるってことを、忘れてしまっている人が多い、ということなんだ。

でも、悟性、魂の悟りは、ある意味で言うと、感性が、神の子としての感性が鈍っている者には、たどり着けない道であるということ。

(2006年)

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