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霊界通信1(の1) 今様霊界暮らし、紫式部のメッセージ(前篇)

2020年08月25日 | 情報
今回は、ちょっと趣向を変えまして、霊界通信、と称して、霊界の、これまでご紹介して来た所とは、少し別の領域からのメッセージを、ご紹介したいと思います。紫式部をご存知ない方はおられないと思いますが、ここでは、私達が紫式部として知る女性の、霊界での意外な暮らしぶりが語られます。前半と後半で内容が全く異なっていますので、二回に分けて掲載させて頂きます。前振りのカッコ内の文章は、こちらで加えたもので、原文にはありません。原文は少し唐突ですので、読みやすく導入部分を加えたもので、他意はありません。その旨、ご了承下さい。カッコ内は補注、各所に編集を加えてあります。

(ここから)

(地上の皆さま、いかがお過ごしですか、私は、皆さまが、紫式部としてご存知の者です。きょうは、地上を離れた、こちら(霊界)から、私の、今現在の、生活の一端をご紹介したいと思います。そんなものか、ぐらいに思って頂ければ幸いです。皆さまは、私が、こちらで、どんな格好で過ごしているのか、ご興味がおありではありませんか?)

私は、今、もう、ワンピースを着たり、そういう、今の若い女性が着ているようなもの、着ているのですよ。ワンピースを着て、髪もカットし、非常にモダンな女性になっているのですよ。

私の住んでいる家も、やはり、もう、現代風の、ちゃんとした家でございます。一戸建ての家に住んでおります。

段々、この地上界の生活に見合わせて、霊界の方も変っておりまして、私の家の中には、台所ですね、キッチンもあれば、応接間もあるし、寝室もあるし、居間もあるし、お客様や友達が遊びに見えられたら、応接間にお通ししてお話することもあるし、音楽を聴くこともあるし、キッチンで手料理を作ることもありますし、こんな、畳の居間で、編物をすることもあります。けれど、主として、やっぱり、本を書いたり、仲間同士で本を書いたり、また、書いたものを回覧したり、そういうことを、日頃しております。

私の住んで居る家は、瀟酒(しょうしゃ)な、木造の一戸建ての家です。

そうですね、一戸建ての、何といいますか、可愛いお家(うち)があって、庭があります。庭があって、白い柵、低い柵ですけれども、――してあって、花を栽培するのが、私の楽しみです。そして、前を歩いて行くと、道路になっていて、向いにも、似たような造りの家がありますし、暫く歩いて行くと、そこにもある、という感じです。緑が多いです。草花が一杯、咲き乱れています。やはり、春のような感じです。

季節は、いつも、春みたいな季節です。美しい花は、やはり、素晴しい香りを漂わしております。音楽もあります。私共も、時折、音楽を聴きに行きますし、友達と音楽の話をしたり、でも、ステレオもあるんですよ、はい、ステレオというのも、あるんですよ、こちらの世界にも・・・・・。

テレビもあるんです。霊界放送しています。霊界で起きた事件とか、今度、こういう本が出たとか、或いは、霊界劇とか、こういうものを放送しています。例えば、霊界で、今日は、どこそこの誰が、どういうことに遭遇して、どうなった、とかいうような、事件、或いは、例えばですね、お釈迦様の時の、ですね、お釈迦様の劇とかですね、そういう、日蓮様、日蓮様の、まあ、時代劇ですね、そういうものを放送したり、或いは、霊界の現在のこと、或いは、霊界での政治のこと、そういうもの、或いは、文化、文化座談会、そういうものをテレビで放送しております。

飛行機は、私の所では飛んでいませんが、別の所では飛んでいるようです。

友達の処へ行く時なんかは、やはり、キレイな新車に乗って行くと、格好いい、と申しますか、非常に感じがいいんですね。歩いて行くよりかは、車に乗って行った方がいいし、私も、ワンピースを着て、ハイヒールを履いている、レディでございます(笑)ので、歩いて、田舎道を歩いて行くというのは、埃(ほこり)っぽくて、ちょっと堪えられないこともあるのです。

きのうも、私、新しい黒のハイヒールを買って来たところなんです。お店もありますし、お店へ買いに行くんです。そうすると、やはり、私共は、ちょっと田舎の方に住んでいて、それぞれ、いい住宅街に住んで、いい一戸建の家に住んでいて、花を作ったりしているんですけれども、街の方へ出て行きますと、やはり繁華街がありまして、靴が買いたければ靴も売っているし、テレビが欲しければ、テレビも売っているんです。

お金はいらないのですね、ハイヒールが欲しいなと思えば、ハイヒールをくれるのです。くれて有難いなと思うと、それが、お金なんでしょうか、向うの店の方は、ハイヒールを私に売って下さるのですが、ハイヒール相応の、有難いな、という気持を持つと、それで満足されるのです。

ハイヒールを買う時は、ハイヒールに対する分の感謝をすると、向うは悦ぶし、ハイヒールを買うよりは、テレビの方が高いですから、テレビを買う時は、テレビ代だけの感謝の念を置いてくると喜んでくれるのです。

最近(霊界に戻って?)来られる方々は、今、あなた方の世界にある、スーパーとかですね、そんなものを作っておられて、非常に便利になっています。大きな百貨店の様なものも造っていますし、そこへ行けば、何でもあるんです。いい服が欲しいな、と思えば、ありますし、望み通りの物が見つかるのが、こちらの世界のいい所なのですね。

私が、前の日に、明日は紫色のワンピースが欲しいな、と思って、次の日に出かけて行くと、思った通りの物があるんですね。で、お店の人に聞くと、いや、きのう、なんか紫色のワンピースが欲しいな、と思うようになって、仕入れて来たところだ、と、仰るのですね。そういうふうに、欲しい物が手に入るということです。

八百屋さんもあれば、魚屋さんもあります。魚を買う時は、魚一尾分だけの、感謝の念を置いてくれば、悦んでくれるのです。感謝の念が、彼らの蓄えになって、彼らが、今度は、何かを購いに行くときは、その感謝の念を出せば、また、何かを貰える、ということになっています。

私達も、やはり、(地上の、自分に)似たような人に、時折、いいインスピレーションを与えたりする、ことは、しています。そういう活動があるのです。週に一回ぐらいは、そういう、奉仕の時間というのがありまして、奉仕の時間という時に、私達、集まりまして、三次元の、地上の方に、作家なら作家の方に、どういうふうにやっているかなあ、というか、大きな、大映しの、スクリーンの様な、テレビの様なものに、映るんです。

あ、此処で、何とかいう人が、今、小説書いているなあ、というのが映って、で、この題材、私に向いているわ、と思うと、奉仕の時間に、その方に、いいインスピレーションを与えたり、いい構想を与えたりするんです。そういう奉仕の時間というものが、週に一回くらいあるのです。

やはり、毎日、幸せな生活をするという、自分の才能を生かして生きる、ということ、それと、奉仕の時間には、時々、いい奉仕をさせて頂く、という、こういう生活でございます。

私は、ね、(霊界の、地上に転生する前の)元居た所に還って来たのであって、私の、元居た家には、標札だって懸かっていたんです。もちろん、その家も、改装して新しいものに変えておりますけれども、帰って来た時には、ちゃんと、私の家には標札が懸かっておりました。帰るべき家があり、家族達、古くから一緒に住んでいた人達も居たんです。大きな家には、ね。今は、私は、もう核家族の時代ですから、ええ、独りで親元から離れて住んでいるわけですけど。

この、霊界というもの、広い意味での霊界は、決して、あなた方の現象世界の、進度に合わしたものでなければいけない、というものではないのです。あなた方にとっては今であっても、霊界においては、平安時代もあれば、鎌倉時代もあるのです。

私達の世界は、過去も未来も、一緒くたに、入っているのです。

ですから、それぞれの人が、それぞれの意識に合わせた処に住んでいるのです。私は、丁度、あなた方が現在居られる様な時代に合わせたぐらいが、自分の住家としたらいい、と思うので、それに合わしているだけなのです。ですから、平安時代がいい、と思う人は、平安時代に生きているのです。

私の住んでいる「邑(むら)」といいますか、ちょっとした町ですけれども、それは、文学者の町、という所で、ちょっとした郊外の様な所なんですけれども、そこには、色んな作家達、時代を超えて、ですね、まあ、外国の方もいらっしゃいます。そういった方々が、いま、一つの町を作っています。そこで、書き物をしてはね、お互いにサークルを作っていますから、色々と、私達でも、会が分かれるのですけれども、趣味の合う者同士が集まっては、小説を書いたり、色んなものを書いて、雑誌を作って回覧したり、色々しているわけです。

印刷機はありませんが、印刷なさる方がいらっしゃいます。その方は、何といいますか、機械を使って印刷するわけではないですね。そういった「念」でもって印刷をするのが、得意な方が居るわけです。

ですから、私は、書き物をした。書き物といっても、これは、あくまでも肉の眼で分かるような形での表現ですけれども、勿論、原稿用紙の様なものは、あるわけです。それに書くわけですね。それで、一冊の書物が出来ちゃう。

そうすると、その、印刷をされる人の所へ持って行って『これ、書物にして下さい―。』と言うと『わかりました。』という形で、その方は、自分の仕事部屋へ行かれるのです。仕事部屋で、原稿用紙を積み上げられて、それを、何て云うんですかね、念ずるわけですね。――これをニ冊の本にしたい――という感じで、念を集中するわけです。

何分ぐらいでしょうか、二、三分でしょうか、二、三分ぐらい、その人が、原稿用紙を積んで、――(これが書物になりますように)と、念ずると、なぜか、机の左側には、出来上った書物が来ている、という、こんな形なんですね。

で、前にも、お話したように思いますが、私達の世界は″念″で、出来ている世界です。その、念で出来ている世界ですけれども、やはり、得意、不得意というものがあるのです。

例えば、私は、頭でものを考えて、物語りとか、そういうものを作るのが得意なんですね。ところが、そういった、本を作ったりするのは、私には出来ません。そういった能力、持っていないのです。ですから、そういったことの得意な方が、また、いらっしゃるのですね。ですから、そういった、原稿用紙を「念」でもって本に造り変える。そういった、転換、ですね、原稿用紙に書かれた文章、物語り、というものも、一つの、これは念の集積ですけれども、これを、別の、書物、というものに置き換える。これは、念の転換ですね、こういった(ことが出来る)方が(霊界には)居るんです。

けれども、彼が出来るのは、その原稿用紙の束を書物に換える、こういった仕事だけなんです。彼は、そこまでなんです。その、出来上った書物を、又、違う人の所へ持って行くわけです。又、専門家が居るんです。この方は、それを複製する専門家なんです。

よろしいですか、その方は、その、例えば、自分の仕事部屋、片方には、倉庫みたいなのがあるのですけれども、そこで、その出来上った私の本、ですね、例えば、何でもいいですよ、『紫式部、愛の生涯』という題をつけたとしましょう。

―紫式部愛の生涯―というので、私の出合った男性の中で、愛した男達の話を、書いたとしましょう。この本が、一冊、その男の所へ持って来られます。そうすると、その男は、また、一生懸命、これを、例えば、ね、あなた方(チャネラー)は書物を出されているそうですが、これを一万部造ろう、と、まあ、そんなにグループの人口、居ませんから、本当は百部ぐらいですけども、百部なら「百部、造ろう」と、こう念ずるわけですね。

そうすると、右側の方に、机の右側に、ドドド、と、百冊の本の山が出来上っちゃうわけです。山が、ね。で、出来上った本をまとめて、これを、又、出すわけですね。そうすると、また、これを配達する方がいらっしゃるわけです。また、その配達する方は、配達専門で、私達の住んでいる町の、この本が欲しい人がリスト・アップされていて、注文が来ているわけです。そこへ届けます。こういった役割分担になっているのです。

これは、私が現在いる私達の世界であって、これが総(すべ)てではないわけですね。

私は、人霊と神霊がある、と申し上げました。私達は、一応、神の世界に分類される世界に居ります。けれども、私などは、まだまだ下の方でございます。もっともっと上の方が、沢山おられます。その(上の方の)世界の事については、私は存じません。むしろ、あなた方の方がご存知のはずです。

私が語れるのは、私が住んでいる辺りの、風景、世界の事だけです。

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