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霊界通信2の8、六次元世界の実相、小桜姫のメッセージ

2020年10月08日 | 情報
小桜姫のメッセージ、今回は、先にも予告がありましたが、いよいよ、小桜姫ご自身が居られる、六次元について語られます。アセンション後の地上世界は、5次元になると言われています。6次元世界は、次元上昇後の、そのまた先ですが、傾向性という事で言えば、同じだと思います。その意味でご参考になろうかと思います。カッコ内は補注です。編集がしてあります。

(ここから)

1.六次元の愛(一)― 道元との恋

今日は、いよいよ(チャネラーの、この自動書記の)ノート・ブックも六冊目に入りましたね。小桜姫の通信も、今回は、この六冊目が完成したら終了です。

この一年間(もかかったらしい)の通信を振り返ってみると、感慨深いものがあります。しかし、八割方、書き終わって、この自動書記集が出版される事が決まった、今となっては、ご無理をお願いした事や、この通信を送るにあたって、日蓮聖人様や、浅野和三郎さんから、数多くのご指導を受けることが出来た事など、本当に小桜は果報者だと、嬉しい気持ちで一杯です。

さて、いよいよ、私の物語も、クライマックスと言われる場面に差し掛かって来たようです。これからは、地上の皆様が、一番、関心を持って居られる問題、小桜姫の、こちらでの現在の生活、という事に焦点を当てて、お話しして行きましょう。つまり、六次元神界の実相という事が、話の中心となると思います。

地上の読者の内、大部分の皆様は、そう、この小桜の物語をお読みになる大方の皆様は、他界後、如来界や菩薩界に還られる様な高級霊の方々は、数少ないことでしょう。

ですから、六次元神界を目指す事が、(霊界帰還後の)当面の目標となると思うのです。その為には、六次元神界の生活が、どの様なものか、を知っておいて損はないはずです。憧れの大学入試の受験勉強中に、その大学のキャンパス・ライフを書いた受験雑誌をひも解く、そんな、くつろいだ時間が、あってもよいと思うのです。

そこで、ここでは、六次元の生活の第一話として、「六次元の愛」ということで、お話ししたいと思います。

地上に居られる皆様は、「愛」と言えば、すぐ男女の愛を連想され、肉体のない私達、あの世の人間に、愛し合うなんて事があるのだろうか、と、素朴な疑問を、お持ちになると思うのです。そこで、今日は、小桜の体験発表――体験発表なんて言うと、なぜか顔が赤らんで来ます。小桜も、小娘みたいな所があると、きっとお笑いでしょう――をしたいと思います。

地上の皆様にとっては、衝撃的な発言でしょうが、小桜姫は、この六次元神界に来て、愛する人が、二人出来ました。そのお二人について、お話ししましょう。

最初のお一人は、有名な方です。皆様、果たして、信じてくれますかしら。

今から七百年ほど前に、日本の鎌倉時代に、ご活躍なさった方です。その人の名は、禅で有名な「道元」という方です。小桜姫は、この方を一目見ただけで、クラクラと来てしまったのです。今から、そうですね、三百年くらい前の事です。道元様は、大変りりしい、そうですね、年格好は、三十一、二歳の青年僧、といった感じで、目元の涼し気な、大変、立派な方でした。お背も、スラッと高く、わらじを穿(は)かれた、その足のかかとが、キリッとしまって、いかにも、厳しい修行に耐え抜いて来られた方、という感じでした。

こちらの六次元でも、男女の差というものはあって、女は、女としての目で男性を見、男性は、男性の目で女性を見ているのです。そして、その中に、やはり、個人的な好みの差は当然あるのですが、小桜などの目から見れば、長年の厳しい修行をされた男性の、りりしいお姿は、たまらなく素敵に思われるのです。

地上の様に、肉体的な、性的な意味合いはありませんが、道元様に一目惚れしてしまいますと、「お衣(ころも)の裾(すそ)の、塵(ちり)一つでも、お払いして差し上げたい。」という女心が、切々と込み上げて来るのです。これは、やはり、私達の世界では、道というか、法を求めて生きて居りますから、一途(いちず)に道を求めている男性の、逞しい後姿を見ますと、女というものは、どうしても心魅かれてしまうのです。

小桜が思いますのに、女というものは、やはり、一人で道を求めるには弱過ぎる存在のようです。女というものは、やはり、誰か手本が欲しい、出来れば、やはり、男性の手引きが欲しいもののようです。道を愛する気持ちが、いつかしら、素晴らしい男性の後を追いたい、という気持ちに変わって行くのです。女は、愚かな存在ですから、神様は、こうした女心をも、哀れと思われてか、許して下さるようです。

いずれにせよ、私は、道元という方に、心ゆさぶられました。六次元神界で、道元様が説法される所には、どこなりと、ついて回った時もあります。

道元様は、詩人であり、哲学者であり、宗教家である前に、孤高の人でありました。小桜は、道元様が、二時間にわたる説法の後、浜辺で、松の木陰に腰かけて、寂しそうに海を眺めて居られたお姿が、目に焼きついて離れません。その時に道元様と交わした会話を、小桜は、今も忘れません。

小桜「お独りで、いつも、お寂しそうですわね。道を求めるというのは、それほど、お辛く、お厳しい事なのですか。」

道元「私は、あの海の様な存在だ。海は、一人にして一人でない。一つにして一つでない。一つの海の中には、無数の生命を宿している。」

小桜「しかし、その無数の生命の中には、小桜姫という名の鯛(たい)は、泳いでおりまするのでしょうか。」

道元「泳いでは居るかも知れぬ。しかし、この道元には、何が鯛で、何が平目かの区別は、分り申さぬ。どの様な魚であろうとも、魚は魚、一匹は全てであり、全てが一匹である。」

小桜「あなた様は、仏に仕える身でありながら、女も、仏の生命(いのち)の顕(あらわ)れである、という事を、ご存じないのでしょうか。」

道元「本来、性なし、男女なし。あるのは、ただ是(これ)、神の子、人間。」

小桜「しかし、神仏が、鯛や平目をお創りになったのは、鯛は鯛としての幸せを、平目は平目としての幸せを追求せよ、という事であって、魚として幸せならよい、という様な、そんな突き放したお考えでは、なかった筈(はず)。」

道元「鯛や平目があると思うのは、心の迷い。本来無。本来空。真理に形なし。真理に執(とらわ)れなし。」

小桜「女心(おんなごころ)も分らずして、何の真理でございますか。」

道元「我が心は、木石(ぼくせき)に同じ。我は感ぜず。我は動ぜず。」

小桜「…………。」

これ以上書くのは、小桜にとって、不利でございますから、道元様とのお話は、これまでと致します。

道元様は、やはり、お心を、お開きになる事なく、その後、数十年して、菩薩界へと昇ってお行きになり、小桜は、その後、二百年以上、道元様とは、お逢いして居りません。今後とも、しっかりと修行して、七次元の菩薩界で、道元様にお逢いしたいものです。菩薩界は、愛と慈悲の世界ですから、道元様も、小桜姫に、つれなくされる事は、きっと、ないことと思います。

ああ、今日は、何と、つまらない話を、しましたこと。でも、明日も、二番目の恋の話を、致しますから、お愉(たの)しみに。神界も、堅苦しい事ばかりではない、という事を、お話ししているだけですから、どうか、深読(ふかよ)み、なされません様にお願い致します。


2.六次元の愛(二)― 日蓮との恋

さて、今日は、昨日の話の続きで、六次元の愛、その(二)を、お話し致します。

私は、道元様の様な、知的で、厳しく、男らしい方にも、大層、心を魅かれましたが、反面、大変つれない、そのお心には、少々失望もし、どなたか、この小桜の孤独を慰めて下さる方はいらっしゃらないかと、心秘かに、思って居りました。こう言うと、地上に生活される皆様は、私には、生前に、夫が居りましたから、その夫と愛し合えばよいではないか、と、おっしゃることと思います。

けれども、地上の皆様、こちらの世界というものは、また、様々の世界に分かれて居りまして、住む人の、心の有り様に合わせた、段階になって居ります。その為、たとえ生前夫婦であったとしても、親子兄弟であったとしても、その一生の間に形作った、心の広さ、大きさによって、往(ゆ)く世界が、違っているのです。

小桜の、生前の夫は、今、五次元霊界に於いて、やはり、武士の意識が抜け切らず、役人の様な仕事をして居りますが、たとえ、かつて夫婦であったとしても、今、心の中で念う事、考える事が、全く違ってしまった二人ですから、余程の事でもない限り、会うような事はありません。ただ、風の便りで、夫が、どの様な事をしている、とか、逆に、向こうには、小桜は修行を積んで偉くなったらしい、とかいう事が、伝わります。かつての夫としても、会っても、神仏の事しか話さない小桜と、交わす会話も、いまさら何もなく、また、私が、神様の仲間入りをした為、煙たがって居るようです。

という事で、六次元で、恋をしようと思いましたなら、やはり、自分と心を一つにしている方、同じ、神仏への道を目指している方を選ぶのが一番ですし、自分の向上にもなります。先方は迷惑かも知れませんが、女性としては、志(こころざし)を一緒にしている男性が近くに居て、修行に励める、というのは、たまらない幸せです。

地上の夫婦か何かの様に、いまさら、ボーナスを貰える訳でなし、彼から指輪をプレゼントして貰える訳でもありませんが、ただ、相手の心の中に自分の存在がある、という事は、何にも代え難い、素敵な事だと思えるのです。

さて、随分と気を揉ませて申し訳ございません。二人目に、小桜が好きになった方は、日蓮聖人様でございます。

ああ、やはり、とおっしゃる方と、ええ、意外だな、とおっしゃる方の、二通りの反応があると思います。

勿論、日蓮聖人様は、大変、ご霊格の高い方ですので、小桜姫達の住んでいる六次元神界には、いらっしゃいません。小桜が、初めて、日蓮聖人様にお逢い致しましたのは、およそ、五十年ほど前の事でございましたでしょうか。

その頃、ちょうど、前回の「小桜姫物語」をご編集下さった、浅野和三郎さんが、小桜達のいる六次元神界に、帰天して来られたのです。六次元神界でも、浅野氏にご縁のある方々がお集まりになり、総勢四、五十名で「浅野和三郎氏、帰天祝賀パーティー」が、催されたのです。その際、浅野さんは、帰天第一回目の報告演説という事で「地上界における心霊思想の普及とその進展」という演題で、約一時間のスピーチをなされました。

この時、来賓(らいひん)として招かれたのが、くだんの、日蓮聖人様だったのでございます。ご高名は、かねてより伺って居りましたが、そのお姿に接したのは、全く、初めてでありました。本当の光の天使というのは、こういうものなのだな、と、小桜が、心底思った程、日蓮聖人様は、光り輝いて居られました。その時、集まった方々の噂話として、小桜姫が伺った話では、日蓮聖人様は、本来、八次元如来界の大指導霊なのですが、日本における仏教思想の普及の為に、敢えて光の量を落とされて、七次元の菩薩界の方を装って、鎌倉時代に、法華経の行者日蓮という名で、ご活躍されたのだそうです。

小桜に、本当にこの方が偉いと思われるのは、その謙虚さです。現在でも、人々の噂話として六次元神界に伝わっている話では、日蓮聖人様は、八次元如来界の上段階ぐらいのご霊格をお持ちなのにも関わらず、「自分は菩薩として、光の大指導霊の、縁の下の力持ちとして働きたい。」とおっしゃっているのだそうです。

日蓮聖人様は、今から七百年前に帰天されてから、生前、念仏宗や禅宗、天台宗を批判し過ぎて、同時代の仲間であった光の天使達を傷付けたのを悔やまれ、かなり反省行に打ち込まれたそうです。

今、こちらの世界では、生前の日蓮様の真意は皆の者に理解され、日蓮様が「念仏では救われない、禅では悟れない、天台宗の学問教義を、知で学んだだけでは救われない、釈迦の本心を最も伝える、法華経の教えを、よく理解して、心と行ないを正して行く事、こそが、本当の仏教のあり方である。」と教えられた内容は、やはり、鎌倉時代の仏教では最高峰であった、という評価が定着しています。

しかし、日蓮様は、今でも、お仲間達を批判された罪を、深く心に感じておられ、七次元と八次元の中間の梵天界にあって、如来と菩薩との間の、法の中継役を買って出て居られます。また、〇〇さん(チャネラー)らが、地上で活動され始めるに当たっても、ご自分が、最も激務である、直接の指導役、調整役を買って出られたのです。

この方は、本来は、如来の法を説ける方なのです。その方が、敢えて身をやつして、菩薩に徹(てっ)して、あなた方の、個人的な悩みや相談事を受けて居られるのです。つまらない日常の悩み事にも、お答えして居られるのです。小桜は、時折、この方の菩薩行を見ていて、涙が止めどもなく流れて行くのを禁じ得ません。

地上の皆様は、日蓮聖人の霊言のご本を、お読みになって居られる筈です。あの中で、日蓮様が、どれほど根気強く、どれほど配慮深く、どれほど優しく、諭(さと)して居られるかを読むと、涙が流れない訳はありません。

ああ、この方は、本当は、法然様や、親鸞様や、道元様や、空海様に、お比べ申し上げても、遥かに偉い方なのですよ。そうした偉い方が、菩薩の如く、懇々(こんこん)と諭して居られる、その慈愛に満ちたお姿を拝んで居りますと、小桜の両眼は、涙で溢れて来ます。ああ、この方は、小桜姫以上に謙虚に、お仕事をして居られるのだ。大会社の社長さんが、自ら、平気で、新人社員の如くコピーを取っていらっしゃる、そんなお姿には、只々、頭が下がります。

こういう訳で、小桜が、六次元神界で、二人目に好きになりました男性は、日蓮聖人様です。日蓮様は、大変、精力的にご活躍して居られ、六次元神界には、週に二度ほど、必ずお見えになり、諸天善神達に、法をお説きになります。会場の隅の方で、小桜が、小さくなってご法話を聞いて居りますと、お帰りになる際に、必ず、小桜の所にお立ち寄りになり、肩に、そっと手をお掛けになって「頑張りなさい。」と、お声を掛けて下さいます。この優しさは、たまりません。

日蓮聖人様は、限りなく知性的で、限りなくエネルギッシュで、悪や不正に対しては、男らしく敢然と立ち向かわれ、その実、女性や子供には、とてもお優しいのです。小桜が、この霊界通信を送っていて、内容に行き詰まると、いつもヒントを与えて下さるのも、日蓮聖人様です。

日蓮様は、お年格好は、三十七、八歳、やはり、お坊様らしく、金色の袈裟を着て居られますが、眉は太く、長く、目は精悍(せいかん)で、耳は、大きな福耳をしておられ、唇は薄くキリッとしまり、ご意志の強さを表わして居られます。肩幅は広く、骨太で、ガッチリした感じ。手も大きくてらっしゃるのですが、その指先は繊細で、女性的な優しさも感じさせます。お背は、そう、169センチメートル位でしょうか。小桜が、157センチメートル位ですから、並ぶと、まずまず位のカップルになってしまいます。ああ、小桜の顔は赤らんでしまいます。

しかし、日蓮様への愛は、勿論、男女の愛ではありません。どちらかと言うと師弟愛に近い愛でしょう。でも、お逢いするたび、何か、小桜を、よい方向へ感化される、このお方は、やはり、何度も何度も逢いたいという気持ちを、小桜に起こさせます。これが恋でなくて何でしょうか。小桜には、残念ながら、日蓮様に差し上げる物は何もありません。ささやかながら、お慕い申し上げ、ご尊敬申し上げるだけです。

どうやら、小桜の、六次元の恋は、いつも片想いばっかりのようです。


3.六次元の一日

さて、ここまでは、私事も公開させて頂き、六次元でも「愛」はあるのだ、という事を、皆さんにお伝え致しました。

地上に居られる皆様が、やがて還って来られる世界に、恋も愛もある事をお知りになったら、きっと夢と希望をお持ちになる事が出来る、と思ったのです。私達の住んでいる世界は、百鬼夜行(ひゃっきやこう)の、薄気味悪い世界ではありません。それはそれは明るい世界です。しかも、非常に公平な世の中になっています。自分の心が進歩すれば進歩する程、段々に、偉い人に会えるのですから、こんな素晴らしい世界はありません。また、人に危害を加える様な人は、そういう人ばかりで、また、集まって居ますから、私達は、毎日、安心です。

インドの時代、お釈迦様は、生老病死の四苦に加えて、愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、五陰盛苦(ごおんじょうく)の、四つを加えて、八苦と言われました。これが、いわゆる四苦八苦です。

生老病死は、地上の皆様もご存じなので、残りの四苦について簡単に説明させて頂きますと、愛別離苦とは、愛する人と生き別れる苦しみ、怨憎会苦とは、恨み、憎んでいる人と会う苦しみ、求不得苦とは、欲しい物が手に入らない苦しみ、五陰盛苦は、五陰が盛んな苦しみ、つまり、肉体的に、欲望が次から次から出て来る苦しみです。こう言うと、ハタと、膝頭(ひざがしら)を打つ方も、いらっしゃるでしょう。お釈迦様は、本当に、人間の苦しみをよく知って居られるものです。

でも、本当に、お釈迦様の悟りの偉いと思われる所は、十分、あの世、つまり、私達の世界を知った上で、地上の苦しみをお説きになっている、からです。私達、六次元神界では、愛する人と生き別かれる、という事はありません。愛する人とは、思えば即座に会えます。勿論、あまり偉過ぎる人に簡単に会う事は出来ませんが、祈りをしておれば、いつかは、お会い出来る機会があります。こちらの世界では「祈り」とは手紙を出す事と同じであり、電話を掛ける事と同じ行為だからです。

また、私達の世界では、嫌な人と会う事はありません。大抵、そういう人は、意識の段階が低いので、下の世界に居る為、会う事はないのです。また、欲しい物が手に入らない苦しみもありません。欲しい物は何だって手に入ります。心に思った事が、すぐ現われて来る世界だからです。その上、肉体煩悩に苦しめられる事もないので、毎日が、清々しい気持ちで生きて行けます。

こういう、いい話ばかり聞かされると、地上は、本当に不浄な場所の様な、気になられると思いますが、そこから脱出する事ばかりを、考えてはいけません。泥の中でも光っている、真珠の様でなければ、宝石ばかりの世界に、入って行けないのですから。

さて、ここからも、六次元神界の説明を、続けることにしましょう。地上の皆様は、私達が、毎日、一体、何をやっているのか。また、そもそも、一日というものが、あるのかどうか、疑問で一杯だろうと思います。そこで、ここからは「六次元の一日」という題で、お話致します。

六次元の一日と言っても、勿論、人それぞれなので、小桜姫にとっての一日というものを語りましょう。

小桜のいる世界では、昼と夜がありません。考えてみれば、いつも昼です。

そして、皆さんご想像の通り、時計というものが、ありません。時計がなければ、人と会う時、約束に困るじゃないか、とおっしゃる方も居るでしょうが、地上と違って、私達の世界は、意識の世界ですから、会おうとすれば、即座に会えるのです。

約束というものが、あるとすれば、今、何かに心が集中しているので、もうちょっとしたら会いましょう、と、小桜が、或る人に思念を送ったら、その「もうちょっと」というのが、以心伝心で、相手にも的確に分かるのです。

そういう訳で、いつも昼間で、時計もないのですが、なぜか、一日の感覚というものはあるのです。やはり、昼間は昼間なのですが、朝方の様な感じ、真昼の様な感じ、夕方の感じはあります。

では、どうして一日を計るのか、と質問されそうですが、一日の計り方は、その人次第なのです。少々難しくなりますが、地上の人にとっては、一日が二十四時間と、誰にとっても決まっていますが、こういう時間の事を「相対時間」と言います。ところが、私達の世界では、時間は、その人自身の感覚が決めるのです。これを「絶対時間」と言います。

六次元に限る事だけではないので、四次元以降の世界の時間、という事で、広くお話ししますと、例えば、地獄界に堕ちた人で、肉体が事故死したり、病死したり、戦場で倒れたりした人は、自分が死んだ事に気付くまで、全く同じ状態が続きます。つまり、死の苦しみが、五十年も百年も続く事も、あるのです。

しかし、彼にとっては、百年も、一日の様なものです。ですから、こういう人は、まるで浦島太郎みたいですね。「自分は殺されて痛いんだ、と思っていたが、アレ、気が付いてみると、少しも痛くないや。」と思った時には百年も経(た)っていた、なんて事があるのです。

私にしても、そうで、昔、洞穴の中で、ただ、祈ってばかりいた時には、何だか分からないままに、地上時間の、五十年、百年は、アッという間に過ぎ去りました。

ところが、今、お手伝いという事で、毎日、霊界通信を送っていますと、どうやら、私の生活時間も、一日二十四時間になって来たようです。その日の霊界通信を一時間ぐらい送って、こちらに還って来て、内容について反省したり、色んな方に相談したりして、また、翌日の通信の内容の事を色々考えたり、また、地上の翌日になって、呼ばれて自動書記で書いたり、しているのです。ですから、今、私の時間は、あなた方の時間と、とてもよく似て来ています。

ただ、便利なのか不便なのか知りませんが、私達は、睡眠をとる必要が全くないので、眠ったりはしません。ですから、私を、昼間呼ぼうが、真夜中に呼ぼうが、私が、寝呆け眼(まなこ)で出て来て、今、眠いので、また、この次にして下さい、なんて言う事は、決してありません。

ただ、私達の世界でも、何か事件があって、そのショックで寝込む――まあ、人と会わない位の意味ですが――事は、たまにあります。例えば、この小桜姫の霊界通信が出版されても、全く売れ行きが悪くて、返本の山となり、出版社の社長さんが、薄くなった頭を抱え込んだりすると、小桜姫も、こちらで、精神的ショックの為に、冬布団を頭から被って寝込んでしまう事はあります。その時には、面会謝絶という貼紙を家の玄関に出して、誰とも会いません。

出版の話になりましたので、脱線ついでにお話致しますと、今、地上で、日蓮聖人の霊言とか、天照大神の霊言、坂本龍馬の霊言、などが、続々出されておりますが、面白い事に、こういった本が地上で出されると、天上界の、私達の世界へも届くのです。書物というのは、一つの、念の集合体ですので、書物が完成した時点で、天上界でも同じ物が現われます。ですから、この小桜姫の霊界通信が、地上で発表されると、全く同じ物が、六次元神界でも出廻り、多くの関心を持っている人――地上での神理の流布に関心を持っている霊人――に読まれます。ただし、こちらでは無料で手に入りますが。

地上の皆様がご想像される通り、出版後は、六次元での読者からも様々な質問が寄せられ「小桜姫の講演会」なども、やらなければいけないと思います。

もう一つだけ、エピソードをご披露しておきますと、坂本龍馬の霊言の本で、龍馬さんが、自分の本は一千万部売れて当然だ、と宣言されたので、その売れ行きを、天上界の霊人は注目しています。龍馬さんは、自信満々なのですが、その内容に、かなり過激な事が書いてあるので、菩薩界の宗教家から、かなり非難が出ており、龍馬さんは龍馬さんで「俺の意見が正論であることは、読者が証明するだろう。」と息巻いているそうです。

まあ、小桜も、今後、色々な方から「お前の考え方では、地上人を混乱させる。」などと、ご意見を頂戴するのでしょうが、こちらの世界では、怨憎会苦はありませんから、そういった方とは、今後、交際しないまでのことです。


4.六次元の学習

ここでは、さっそく本題に入ります。題して「六次元の学習」です。

こう言うと、地上で、勉強が嫌いで嫌いで困っている方は、六次元でも勉強があるのか、と、顔をしかめられることと思います。その通り、勉強があるのです。地上では、受験勉強があって、いやいや家庭教師についたり、塾に通ったりしている子供が多いようですが、こちらには、今の所、塾や予備校の様なものはありません。

しかし、学校の様なものは、六次元神界には、ちゃんと有ります。六次元神界という所は、勉強家の集まりなのです。一番、多いのが学者で、次に芸術家、医者、技術者が、たくさん居ます。地上生活時代に、何かの専門家、大家であって、心が唯物思想に染まってない、精神的なものを求める、清らかな人は、大抵、この六次元神界に居て、それぞれの専門家集団で、研究していることが多いのです。

私が、こちらで会った、有名人を挙げてみますと、医師パスツール、音楽家―滝廉太郎、文豪―森鴎外、詩人―堀口大学、歌人―与謝野晶子、斎藤茂吉、画家―緒形光琳(こうりん)、政治家―尾崎行雄、小説家―紫式部、泉鏡花、志賀直哉、評論家―小林秀雄、俳人―蕪村(ぶそん)、一茶、などがいます。こういう人々を見ていると、六次元神界に来る人々は、大変、勉強家が多い事に気付かれると思います。現在では、小桜の知らない大学教授とか、研究者、高級官僚も居ります。こういう勉強家の群れを見ると、地上で、多少、学校の成績が良い位では、六次元には来られないのが、良く分かります。

宗教家では、教祖になっている人は、大抵、菩薩以上の人が多く、神界に居る人は、学問的に仏教やキリスト教を勉強した宗教家、或いは、こちらの世界に来て、神仏の道を求めて修行中である、小桜の様な人間が大部分です。

神様が創られた、九次元から三次元までの世界の中では、この六次元が、一番、学習という事に重点を置いており、ここで十分に学び終えた人が、七次元の菩薩界で、人扶(たす)けに励んでいるのです。神様は、自らが学んでいないのに、他人を導くことは出来ない、という事を、非常に厳しいルールと、しておられ、六次元の人は、一般的に、人々を導く事は許されておらず、自分の専門の領域で、地上の人々や、あの世の、(より)下の世界の人々を指導することになっています。ですから、地上で、(活動する)研究者や小説家、画家、詩人などに、インスピレーションを送っているのは、大抵、この六次元神界の人々です。

しかし、この六次元神界にも、裏側の部分は有って、そこでは、仙人や天狗が、修行に励んでいます。こういった人々は、超能力信仰に入って、慈悲や愛を知らず、思想的に危険なので、一般の神界人とは会えないように、隔離されています。今日、地上で、スプーン曲げや、催眠術、奇術、念写、占星術、姓名判断、滝行などの荒行、ヨガの行者、漢方薬、鍼灸師、空中浮揚、拳法、心霊治療、等々には、大抵、この六次元神界の、裏側、仙人界、天狗界の人々が、指導に当たっているか、本人が、直接、地上に生まれてやっています。

心霊治療は、人々の病気を治すのだから、慈悲や愛は、あるのではないか、と言う方も、いらっしゃるでしょうが、仙人界の人々が、地上に降りて「教祖」と呼ばれたいが為に、やっている場合も多いのです。勿論、釈迦やキリストを始めとする上級天使達も、病人の治療は、やっておりますが、それは、神理の実証の為に、やっただけで、やはり、(本来の目的として、そこには)法、教えがあります。ですから、教えのない、現在、流行っている心霊治療は、ほぼ、仙人界の人の活動と見て、間違いありません。

こういう人は、自分を、釈迦、キリストの生まれ変わりの様に錯覚して、地上時代を生き、還って来ると、あにはからんや、天狗界や仙人界で、滝行や崖(がけ)登り、木登りの修行をさせられて、こんな筈はない、と怒ったりする事が、ままあります。

天狗界や仙人界から、菩薩や如来が出る事は、ありません。ただし、大天狗の仲間には、かつて菩薩であった者が、地上に降りて、自分の超能力を過信して、超能力信仰に陥って、本来の世界に還って来れなくなった者も居ります。

この天狗界・仙人界と、私達の、今、居る、表側の神界との間に、竜宮界があり、この中での指導役が、竜神、と呼ばれています。竜神は、天狗、仙人でもなくて、人間でもなく、天地自然の、霊力を、コントロールする為に創られた、特殊な役柄です。一代の風雲児の様な英雄は、たまたま、地上に旋風をもたらす為に生まれた竜神である事が、よくあります。

かつて、光の大指導霊であった、スサノオの命(みこと)も、高天原、高級神霊界より、天照大神に追放され、現在は、竜宮界で、竜神の大親分的存在と、なっています。竜神は、霊力が強い事が特徴で、時には、菩薩、如来以上の奇蹟を起こす事もあります。小桜も、かつて、この竜宮界で一時期修行をした事もありますが、やはり、本物の仏教者や、神道家に、魅かれる事が多く、今は遠ざかっております。

六次元神界の人口構成比は、小桜が居る、光の天使系列の表側神界人口が、約七割、竜宮界二割、天狗・仙人界一割、となっているそうです。

ですから、これから書くのは、主として、表側神界の学習です。

表側神界の指導役は、諸天善神、と言われる光の天使達です。日本神道では、国津神(くにつかみ)と言われる系統が、これに近いです。

諸天善神も、幾つかに、担当が分かれておりまして、①法の補助者、②法の護衛者、③法の支援者、④法の専門者の、四つに大別されます。

①の、法の補助者というのは、如来や菩薩が地上で法を説く時に、その内容について助けたり、或いは、こちらで、幽界人、霊界人などを教えたりします。②の、法の護衛者は、地上に出た光の天使達を、悪魔の勢力から守る役割、つまり、不動明王達が、そうです。或いは、如来や菩薩が、ときたま、地獄浄化の為に、説法に降りて行く時に、彼らを、地獄霊から守る役目をします。③の、法の支援者は、地上に降りた光の天使達を、物質的・経済的に支援する為、大黒天的役割です。④の、法の専門者は、科学や芸術や、哲学など、専門分化してしまった神理を、その枠の中で、指導する役割です。

小桜姫が、今、属しているのは、①の法の補助者グループで、まあ、言わば、六次元神界では、エリート・コース、菩薩界に上る為に修行している、仏教家、神道家、クリスチャンなどが勉強している所です。

もちろん、学校という程ではありませんが、約百名位が定員の集会所が、幾つかあり、それぞれの集会所で、校長さん、教頭さん、講師にあたる光の天使が居ます。小桜達は、その心性に合わせて、仏教的な集会所とか、神道的な集会所とか、クリスチャン的集会所に行きます。小桜が、今、こちらで取っているコースは、仏教―七割、キリスト教―二割、神道―一割になっています。

ここでは、例えば、仏教の学校では、教科としては、①地獄論、②布教論、③神理伝道の歴史、④誓願論、⑤自力論、⑥運命論、⑦神国構造論、⑧説法技術論、⑨対機説法論、⑩地上学習論、などのコースがあります。

キリスト教の学校では、祈りのコースや、キリスト教の歴史があるのは当然です。以上の様な教科でも、必修科目と選択科目があるのは、地上と同じですが、こういった学科学習と併行して、演習の授業があり、各人、五次元霊界や四次元幽界へ行って、説法の実地訓練を、やらなければなりません。それ以外に、必ず、地上界の人間を守護・指導する役割を、負わされることになります。

ですから、小桜姫の立場で言えば、各教科を優秀な成績でマスターして、説法の実地訓練にパスし、地上界の守護・指導にも合格して、地獄霊の導き方などもマスターしたら、菩薩界に昇っていけることになっています。

実際には私も、六次元では、先生役の方で回ることが多く、この小桜姫物語が地上の人々を救う為の大きな力となり、そして、日蓮さんの様な、主任教授の推薦があれば、あるいは、新天地の七次元菩薩界に行けるかも知れません。菩薩界に上がって、多くの素晴らしい人々に会い、地上や地獄の、数多くの迷える人々を教うのが、小桜姫の現在の夢です。

これは、あなた方が、地上で、しっかり頑張って、大学者になったり、大経営者になったりして、多くの人々を指導したい、という気持ちに、似ているかも知れません。

人間が人間を指導する、という相互の切磋琢磨(せっさたくま)は、永遠に終わることがなく、なるほど、神様というのは、素晴らしい世界を創ったものだな、と、感心している今日この頃です。

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