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地球とは、本当はどういう所でしょうか、情報を集め、知っていくページです。

世界宗教への道とその意義、シュヴァンツェル(聖徳太子)のメッセージ

2019年02月02日 | 宗教
このシュヴァンツェルという方の名前は、地上ではドイツ系のものかと思われますが、この霊人の過去世のものなのか、霊界での名前なのか分かりません。ただ、この方が日本の飛鳥時代に転生された時には、聖徳太子として知られる方だったと、メッセージの中では語られています。この聖徳太子の、霊界での意外な役割が語られています。編集を加えてあります。カッコ内は補注です。


(ここから)

シュヴァンツェルと申します。

あなた方の国の名では(私は)聖徳太子と呼ばれているかも知れません。しかし、今日はシュヴァンツェルとして、天上界の神の計画に於いて、この日本の役割を果たさせるために私が長年果たして参りました使命について、皆さま方にご説明致したく参上しました。

天之御中主之神と呼ばれている大神が、先日お出になられ、天上界の計画における日本の立場、日本の使命を、明かされたと思います。

私は、この計画が天上界でなされて以来、日本担当として、この地に降りた者です。

かつて、仏陀が、ジャブドーバーのケントマティーという、この日本の地に再誕することを予言され再臨されるという計画が、そのまま滞りなく行われることを踏まえ、我々は、この日本の地を、神の国として神の計画の最終的神理の発祥の地とするために、この大和の地を整え神の磁場とする為に努力して来た者です。

日本には、当然、大和の地を預かる、この大和の地に根づいた、ローカルな、民族神と呼ばれているムー系の神々がおられます。それが日本神道と呼ばれている神々です。

私は、その方々と手を繋ぎながら、この日本という地が、今回、最終的に仏陀意識の本体が降りられる地として使命を果たせる土地として、どのようなプロセスで準備が出来るかという事のために、今日まで、計画全般の流れを用意して来ました。

日本神道の神々は日本神道の神々で、その使命を十分に自覚され、準備をなさられて参りました。しかし、私は、あなた方がおっしやる(霊界の)中央の方からの計画を降ろす為のパイプ役として、日本神道との間に入り、この日本の地を見守って来たのです。

この大和の地においては、日本神道の流れだけではなく、私の(聖徳太子として地上に出た)時にも、仏教を伝来させることで、仏教の思想をここに根づかせたのです。

元々、神道にも「和をもって旨とする」という(趣旨)の(考え方)がございましたけれども、和をもって旨として、人々の心をまとめ上げていきながら、しかも、人々の心の中に、高い神を求める求道心を根づかせるために、日本神道だけではなく、仏教、そして、キリスト教を(も)導入していくことを、私は段階的に計画して参りました。

最終的に、仏陀と言われている方が、世界中の宗教を、ローカルな所から一つにまとめ上げていく世界宗教の発祥の地となる為には、やはり、そのような数々の宗教が、この日本の地に(予め)根づいていて、その土壌に、他の宗教を学ぶ要素がなければ、決して彼に従っていく者たちが悟っていく時の精神的な土壌としては準備できないであろうと思い、数々の段階で、日本神道の後に仏教、仏教の後にキリスト教を(送り)出しながら、そして、明治維新を通して、この日本の地を、西洋文明の中で世界に向けて開放しつつ、優秀な人材を多勢送り込みながら、技術的なもの、経済的なリーダーシップをとれる先進国として世界をリード出来るような国に造り上げる、そのような計画のもとに動いて来た、その計画の最高責任者が、私なのです。

私としては、まだまだ力及ばなかったかも知れませんが、この日本の地が、神の国の灯台として世界宗教の発祥の地とならんがために(は)、今は準備が出来、十分に熟した時期であると思うのです。

まだまだ、優秀な方達がおられます。この様な小さな島国の中に、これだけの経済的な力と、これだけの優秀な人材が集まり、この様な小さな島国から、世界に対して意見を発信できるという国が、他にあったでしょうか。

かつて、イギリスとか、そういう国々が、世界を股にかけて動いた時期があります。しかし、日本という国が、次にどうなるかという今の動向を考えますと、日本が不用意な発言をすれば、中国や韓国であのような暴動が起きることを思っても、日本という位置づけが、世界から見た時に、その主義主張やその精神的なものが、どれだけ他の国に対して強い影響を与えるかということ、そのような位置にいることが、皆様方、お分かり頂けると思うのです。

そして、あなた達のような優秀な人材が、今この日本には大量に生まれ変わっているのです。高橋信次、エル・ランティと呼ばれている方、そして、仏陀と呼ばれている方が降りられるのに続き、その一派の方々、その方々を慕う方々、光の天使達が、大量にこの日本の地に、短期間の間に集中して生まれ変わって来たということがあるのです。

ですから、他の国では考えられないような水準の魂の方達が、局部的に集中して降りている。そのような国であり、そのような、今、時期にあるのが、この日本という国であるということ。その事を、あなた方は、もっともっと深く認識して頂きたい。

この日本の土壌を、神の計画の一環の流れの中で、苦労し整えて来た私達の気持ちを思うのならば、どうか、この最後の瞬間、この日本の地より、世界に向けて、この神理を発信していくという、この松明、灯台としての国とならんが為に、どうか、皆様をお借りし、そして、本来のこの日本という国、大和という国に与えられた、最高の、その様な方々として、我々にぜひとも援助を願いたいと、心よりあなた方にお願い申し上げる次第です。

あなた方が頑張らねば、今まで明治維新をやった者たちがやったことも、全てが無になるということを、再三聴かれているはずなのです。それは、本当の事なのです。彼らがやって来たこと、それは文明開化の方向に向け、新たな理念の中で、(日本の国を)新たな先進諸国の仲間入りをさせて行くということ。(そして)日本神道も、新たな光一元の教えを海外から導入することによって、日本神道の教えを世界に打ち出して行きながら、日本という精神性の高さを、海外にもアピールし出した時期でもありました。

そのような事を考えながら、経済的なこと、そして、精神的にも、高い所には、より優秀な人材が生まれたがるということ。まして、後にメシアが生まれる時には、あなた方のような方々が、他にも生まれたいという(方々が大勢いる中で)競争率をはねのけて、今回生まれて来られたということも事実なのです。

であるならば、今の日本が、日本の本来の使命を果たさなければ、日本という国は使命を果たしたことにはなり得ません。そして、そのような高倍率の中で、使命を背負って出て来たあなた方にも、やはり、その中で立派に使命を果たしてこそ、光の天使であったということ。その事を、あなた方は気付かれ、そして、我々の世界に帰って来た時にも、胸を張り、確かにあの日本に出て行って「今回、あなた方を天上界に残してでも、我々は地上に降りて行った」という「使命を十分に果たして来ました」と、仲間の者達に報告出来るはずなのです。

出たかった者は多かった。本当に多かったのです。非常に倍率の高い中を、(出て)来ている。それなのに我々から見たら「一体、何をしているのか」と言いたい事は、たくさんあります。

しかし、やはり人間である以上、神の子と言いつつも、善悪両面を、良さも素晴らしさも全てを兼ね備えているのが神の子であり、その誘惑の中で、そして、その切磋琢磨していく知識の高みによって、あなた方はこの地上界の修行をなされて行かれるはずなのです。

今は、仏陀におかれても大変な学びをされ、今これを学ばれたという事が、いずれ大きな意昧での、あの方にも指導能力に還元される時が(将来的には必ず)来ると思うのです。

であるならば、地上に出て行く時に、「そんなに、容易い事ばかりではないよ」と「様々な誘惑や、様々な危険があるよ」と「明治維新の者達を見ても分かるであろう。まともに天寿を全うした者など、殆んどいないのだよ」と、その様な事を言いながらも、「いいや、我々はやって来る」と、私たちに誓いを立てて降りて行ったのが、あなた方(なの)です。

であるならば、どうかどうか、あなた方が(地上に出る前に霊界で)私達に対して誓った言葉を、今この地上において果たされて行かれることを私は望みます。それが、あなた方にとっても、決して悔いのある人生とはならない、ということ。真に生きたという事は、そういう事であるということ(なのです)。

きれい事だけではない。いいことだけではない。地上にいれば、肉体的な誘惑、金銭、地位、物欲的なことの誘惑に、今まで多くの者たちが惑わされ堕ちて行ったでしょう。その様を見て、あなた方がここに残っているというだけでも、本当に素晴らしいことであると私は思います。評価します。であるならば、この修行を大切にして頂きたい。

よろしいですか。
天上界で、清まり、良き環境で善意の者たちに見守られ、神の法の愛の中だけに包まれている時には、この様な修行は出来ないということ。地上に降りたればこそ、人の悪意、物欲、肉体的な誘惑に惑わされ、でも、それを乗り越えて、この地上界に神の計画を降ろしてこそ本来の修行があるということ。

酸いも甘いもかみ分け、そして行動出来た時にこそ、真に価値ある価値観が、神のご意思が何であるかという事を、法を、真に納得してあなた方が悟ったということ。そうでなければ、天上界で、いくら偉そうなことを言っていても何も分かっていなかったのと同じ事なのです。その為に人は転生して行くのです。

天上界では善意ある人ばかりです。人を裏切ったりするような者は一人もいません。お金なんて本来はないし、肉欲とか、異性に対する欲も、性欲もないのです。そのような所で「惑わされるな」と言ったって惑わすものがないのです。そこでは、人はある程度の境地に行けば清まり、善意の中で感謝し合って生きていられるのです。

しかし、地上に降りたならば、あらゆる誘惑の中で、人々はその危険の中に曝されます。そこでも、その肉体的な本能や物欲的なものに(曝されながら)も、なおかつあなた方は「神のご意思が分かっていたのか」「神の思いが分かっていたのか」「神の使者として、あなた方は何ほどの事がこの地上で出来るのか」という事を、今、あなた方は実証しようとしているのです。

それは誰の為か、神の為でもない。全人類の為でもない。究極(的)に言うならば、あなた方自身の為に今の修行があると思いなさい。そうであるならば、あなた方は、自分自身の人生を、今回与えられた場所において生き抜くことです。生き切ることです。そこで、これからは、あらゆる名誉心、金銭、その様な、あらゆる執着を手放さなければなりません。それほどに高い境地に来るということ(なの)です。


よいですか。行い即ち実行、行い、イコール、悟りであります。行いをもってしか、あなた方が真に悟ったという事を証明できないということ。天上界におり、清まったところでどの様な美辞麗句を語っていたとしても、その様なものが、決してあなた方の悟りの高さを証明することにはならないのです。なぜならば(そこには)悪意を持つ者など誰もいないのだから。そして、何も建設的な事を(そこで)したわけではないのだから(という事なのです)。

この、地上の、三次元を与えられた神のご慈悲は偉大です。天上界の神のご意思を、この三次元に投影してこそ神の国ユートピアの実現であり、神が、本来、愛の表現体であるという、その表現の、その実行者としての光の天使の役割が果たせるからです。

あなた方が地上において何が出来たか。今の時を刻みながら確実に死へ向かっている旅路の中で、あなた方一人が、何を為すことが出来たか。その事だけを思い煩いなさい。それ以外の事は、全て捨てて行きなさい。

ここから先は、何を持っても、執着しても、つかんでも危険になります。どうしてもそれが、掴んで離せないというのならば、今去りなさい。自らの意志で去りなさい。そうでなければ危険なことになる。そして、この道についていくのならば、心を無にし、あらゆる掴んだものを手放しながら、神の計画の為に、ただただ無心に、ついて行きなさい。己のプライドや、欲や、異性に対する関心の様なものなどがもしあるのならば、その様なものを一度投げ捨てなさい。それ程に、あなた方の今世の使命は大きいということです。

明治維新の志士たちがつけた道の上を、あなた方は、今、歩んで生きているのです。その彼らが造った土地に、あなた方が、今、大いなる神の国を打ち立てることにより、その後の人類が、あなた方のつけた道の上を歩いて、その後に生まれて来る子供達へ、神の愛の星、立派な神の国を建国していくのです。

その事を思ったならば、今あなた方がやる努力なくしては、(地球を)愛の星にして行くこと、神の国ユートピアにするということ、そのような事はあり得ないのです。

それぐらい大事な、大事な位置に、今、この日本、大和の国が位置しているということ。その今の時期に、この第一次、第二次の計画が失敗し、第三の非常事態宣言が発令されたこの計画の中でここにいるあなた方であるのならば、他の世間の者が何を揶揄し、あなた方をなじり悪いことを言おうと放っておきなさい。彼らが神の計画について来られなかった、ただ、その悔しさの中で言っていることなど、言わせておきなさい。

あなた方が、自分が言われる事ではなくて、何を神の為に、全人類の為に、そして、己れ自身の為にやって行けたかという事を以って、次の時代を造って行くのです。

それでこそ、神の子としての、神の使者としての使命を果たして行けるのです。そうでなければ、あなた方の命は無駄になり、あなた方の転生も修行も無駄であった、ということ(になってしまうでしょう)。その事が分からなくてはなりません。

それだけの使命を持っているあなた方であるという事なのです。その事について、私も、これから指導霊として、この日本という国の使命をあなた方と共に歩んで行き、この今日の日本という国、この場所を造った事が決して間違いではなかったと、私は、その使命の総仕上げとして、あなた方に申し上げたいと思う。

私は、聖徳太子という、過去、飛鳥の時代に出たその生命体(である)だけだ、というふうに思われるかも知れません。しかし、私は、神の国の為に、世界的な宗教界、世界的な神の国の計画を練る(霊団の)、その一員です。

単に日本という国だけに留まっている、聖徳太子と呼ばれているだけの、そのような者ではないのです。ただ、神の視点から見た時に、世界中の宗教を統合する計画の指導霊団の一員として、この日本を見たときに、日本担当であるということは事実なのです。

この日本担当である時に、日本の在来の民族神と呼ばれている方々と、共に手を取り合いながら今日まで指導して来た。だから、日本神道ではないものが導入されて来たというのは、私の力でもあるし、私の意見でもあったということなのです。

本来(的には)、日本神道が、もっと日本神道として(の)教えを残して行きたいという事もあったかも知れないけれども、日本神道だけが強く、(その)教えだけで一色に染まってしまうならば、(例えば)イスラム教ならイスラム教一色であるならば、そこに、仏陀がお出になられた時、どの様な地盤が出てしまうか(お分かりでしょう)。その(様にならない)為にも、日本神道の神々には、大変申し訳ないけれども、日本神道としての色を、少し薄めて頂けるようにお願いして来たのが事実なのです。

ですから、教えが出ていないという事だけではなくて、やはり、仏教も入れなければいけない。キリスト教も入れなければいけない。あと、ほかの新興宗教、プラグマティズムという様な、そういう光明思想も取り入れて行かなければいけない。

そのような色々な雑多なものが、この日本の土壌にある中で、最終的な、統合されて行く世界宗教としての集大成の磁場として、この日本という国がその使命を果たして行ける、その様な磁場を作る為に、私はこの様な多宗教を導入して来るという立場を採りました。

それ故に、一貫した宗教的な価値観というものが、国民の生活の中に根づかなかったかも知れない。一神教であるならば、しっかりと(それが、人々の)その生活の中に、人々の心の中に根づくものなのです。

しかし、いくつもの宗教が入って来たが為に、「私は仏教」「私はキリスト教」「私は神道」「私は無宗教」という感じで色々な宗教が入って来たから、国民の中に、信仰のもとに一括して統率される、というものが無いかも知れない。でも、それが逆に言うと宗教に対する寛容性というのを生み、他の宗教を統合して行く時に、柔軟なものの考え方が出来るのではないか、というふうにも理解したのです。

であるならば、今の地に、最終的に、エル・カンタラーと呼ばれている仏陀意識の本体が出られ、世界宗教をまとめられ、この日本の地から、世界に向けて、統一された世界宗教を発信して行くということ。そのことを日本の使命とするのならば、土壌的には、十分、用意された場所であったと、私は自負しております。

ただ、宗教の信仰生活の中に、神というものが根づき切れなかった、というきらいはあるのですけれども、やはりそれは、その個人の環境によるものもあったのではないか、というふうにも思います。

であるならば、あなた方にも、決してバリバリの信者の家などに生まれたわけではなかったとしても、あなた方が十分な信仰心と一途な気持ちを持ち、今ここにおられているということ。一点の曇りもない純粋な気持ちで、使命を果たして行きたいと思われているならば、それは、日本という磁場においても、十分あなた方の様な存在は育ったということ。そのことを思って、環境だけのせいには、して頂きたくない、というふうに思うのであります。

どのような環境でも、最終的に、それを生かすも殺すも個人の心掛け次第です。あなた方は、このような環境で、今(情報を)発信しようと思ったのならば、名もない国に生まれたのではない、この日本という国でやるからこそ、インターネットでこれから発信する場合でも、たぶん、日本という土壌を上手に利用して行くならば、(それが)武器になって行き、十分それを発信できる場所に居られるのではないかと私は思うのです。

ですから、今までのような、もう内部分裂を仲間たちとやっていた時代は終わりました。今、このような中で調和し、あなた方が持てる限りの力を出しながら、この霊言というものを取りながら編集し、これを人類の財産として、書籍として、小冊子として、CDとして、この言葉を残して頂きたい。

必ずや、本物である以上、人々は、必ず求めてやって来ます。海外からもやって来ます。本物であるという事が、その前提条件なのです。

偽物は、いくら立派な入れ物に入れて、きれいな飾りを施してみたところで、誰も欲しがりはしないのです。一時の話題はあるかもしれない。でも、本物であるならば、遠くより求めてやって来る者がいるのです。

かつて、予言され、イエス・キリストが生まれた時もそうでした。遠くの地から、イエスキリストがお生まれになったことを求めて、東洋の博士達がやって来たではありませんか。必ずや、色々な所で、霊的な事に感知する者たちが、世界中に、もう既に埋められ(配置され)ているのです。

ですから、彼らは、日本に生まれて来たくても、日本ではなく、それぞれの国に(生まれ)その国での神の言葉を(伝えておりますが)、本来は、仏陀の言葉を(日本から)自国に持って(帰り)、そこの国に、また(新たに)神の松明を灯す為に海外に生まれて行った、(そうした)光の天使たちも待っているのです。

彼らが彼らの使命を果たすのに、もう既に(だいぶ)年が経って来ております。彼らが生きているうちに、彼らが、その言葉の意味が分かるうちに、あなた方がこの霊言を発して頂きたい。

それが出来れば焦ることはない。焦ることはないけれども、そのような神の計画の名のもとに、計画の流れの中の一環として、あなた方の今の使命の場所があるという事を、その位置関係というものを、しっかり、あなた方がとらえるということ。それがとても大事な事であるかな、と思われます。

本物ならば、必ずや、人々はその価値を見い出し、集って来ることでしょう。なぜならば、彼らが、そのあなた方の霊言を読むことにより、永遠の命を授かるということ。その本来の価値を一番分かるのが、神の子である多くの人々の神性が、それを呼び求めているからです。

どんなものであるにせよ、その言葉が分かる限り、その価値が光り続ける限り、日本国内に及ばず、海外からも、その言葉を求めて、命の水を飲みにやって来る者たちが、あとを断たぬことでしょう。それを神は望んでおられます。

その、まず命の水を飲み、天上界の方針を、価値観を、しっかりと行き先を見極めたならば、人類は、その後に「さあ、あなた方は何をするか」ということを、神々により問われる時が来るのです。でも、今何が起きたのか、何が神のご計画であるのか、今、地球がどういう位置にあるのか、という事を、しっかりと神理の(中の)神の価値観と共に理解しなくては、その後に、地球中の者達に向かって「さあ、あなた方は何を為して行くのか」という問い掛けが、神の側としても出来ないのです。その為にも、しっかりと、あなた方の霊言を残して頂きたい。

その中には、今まででも、神の目から見た価値観、神の目から見た、この地球における使命、神の目から見た、この日本の使命、そして、このグループを通しての今回の一大救世事業の流れと、その本来の使命が明かされて来ているはずなのです。

その使命を、深く深く心に刻むならば、この使命の為に、ただ降りて行った光の天使たちが、たくさん、まだ生きているのです。この日本中に生きているのです。その者たちも、ためらいつつ、疑いつつ、最後は、この流れの中に合流して来ることでしょう。

そしたら、その者達が、その子供達に伝えて行きながら、そして、この救世の計画が何をするべきなのかを理解し、次の世代の者たちに、「さあ、あなた方は何をするのか」という、みんなが一斉蜂起をして行った時に、あっという間に、地球中が、神の色に塗り替えられて行く時が来ます。必ずや来るはずなのです。

かつて、ドイツにもベルリンの壁というのがありました。東ドイツ、西ドイツというのが分かれていながら人々は行き来することもなく、そこを渡ると銃殺されていたという歴史があるのです。でも時期が来て、そのベルリンの壁が壊されて行ったときに、人々は、今は当たり前のように行き来をして、東ドイツ、西ドイツの人が、本来の様に民族が統一されて平和に暮らしているではないですか。

一昔前なら考えられない事でした。今は当たり前の事なのです。それと同じ事が出来るのです。

今は国境というものによって高い高い塀の様なもので人々が住み分けられ、違う者であると敵対し、憎み合い、利害関係だけで争っております。本来、神の子というものは、地球に生きている地球人類としては一つの民族なのです。「地球人」なのです。本来、国境を作ることが間違っているのです。

そのような高い垣根を取り払いなさい。そのような高い塀を、取ってしまいなさい。そのような事を、今、神々は皆んな言葉を変え、色々な個性を変えながら、あなた方に伝えているのです。

あのベルリンの壁が無くなって、今統一した民族として、ドイツの方々が仲良く暮らしている姿を思うのならば、あの、かつての悲劇は考えられないことでしょう。でも、あなた方は、十分それを、その悲劇を目の当たりにしているはずなのです。

それを思ったならば、「そんなこと、出来っこない」と「国境を無くすなんて、あり得っこない」「地球統一政府のもとで、地球の統一宗教のもとに地球が一つになり、地球ユートピアになり、愛の星として生まれ変わって行き、あなた方が地球人類として一つとなるという事など、あり得るわけがない」と、今の者たちは声高に言うことでしょう。

でも、あり得るのです。あり得る進化を、発展して行った者達だけが、宇宙文明の仲間入りをして行くことが出来る。そのような発展と進化の過程を経て、今は高い文明を誇っている星々があるのです。

そのような過程の中で、宇宙改革の歴史の中で、この地球を、そのような統一された神の星に変えて行かんが為に、我々は長い時を掛けながら、この日本から、この最終的ユートピアの達成の為に、この使命を果たさんが為に、私はこの日本という国を預かって参ったのです。

その思いを、あなた方に伝えたかった。決して、私たちが、何がなんでも、日本の国から世界をリードする国になって自己実現をしたいとか、神の国として何がなんでも一つに押し着せのように纏め上げたいという事ではなくて、それが、本来の人類の、惑星単位での進化のオーソドックスな流れの一環なのです。

その中で、地球が、そろそろ、そういう成熟した時期に来てもいいと、神こそ愛の法則である、愛の摂理そのものであるという事。その摂理の一環として、愛の中で、我々は一人ひとり生かされております。

人間だけではありません。人間だけが神の子なのではありません。自然界の動植物全ていっさい、鉱物に至るまで全てが神の子なのです。その中に、神の愛の法則が脈々と生き続けているのです。それを、お互いに愛おしみ、お互いに尊重し合い、愛し合い、感謝し合い、一緒に共に自然界と共存していく。そうすれば、自分たちの自我我欲だけで川を汚し、空を汚し、地球を様々なものの中で汚染していく様な方向に、産業などは発展しないのです。

環境は維持されていくのです。ゴミを不用意に出すこともなくなるのです。他者とも手をつなげるのです。他の国と戦争することなど、当然なくなっていくのです。

互いに赦し合い、生かし合い、手を取り合い、大調和の中で、愛の大調和の法則の中で、人々が、この地球単位という星の惑星の中で、一つに手をつないで大きな輪を作って行った時、その時、この地球は、大いなる星として、神の国、愛の星になることが実現されて行くのです。その最終的な大詰めの時であるということ。その大詰めであるからこそ難しいのです。

あなた方も、さっきから言われている四合目、五合目、六合目となり、辞退者が出てくる。ねえ、脱退者が出てくる。五合目、六合目、これから七合目に上がって行きますよ。新たな計画が発動されていけば。

その時に、最終的に外部からの嫌がらせではない、どんなに外部から様々な無理難題が来たとしても、トラブルがあっても、あなた方の心が一致して、和をもって、心と心の手が繋がれていたのなら、いかなる問題に対しても対応して行けるのです。それだけの力のある、あなた方でもあるし、それだけの柔軟性を持って行ける人たちでなければ、これからは、上にも行けないということなのです。

ですから、そんな事を気にすることはない。常に、魔の誘い、挫折の種は、己心の魔にあります。それを、もう十分学んでおられるでしょう。

高橋信次が、エル・ランティ、高橋信次が、命をかけ、生涯をもって説かれた基本的なこと。それは、八正道の教え、反省行と共に、己心の魔に対する警告でもありました。己心の魔が、いかに危険なものであり、今の地上に神の計画を実行してゆく者として、いかにあなた方が学んでいなければいけないかという、一番最重要なことを、高橋信次、エル・ランティは、あなた方に、法として教え、残して行かれたのです。

単に、悪霊とか、魔に対する好奇心や稚拙なものだけだったと思われるかも知れないけれども「さあ、光の天使たちよ、この地上に実行するならば魔の手が来る。その時に一番大事なことは己心の魔であるのだよ」と。「外部から来る者ではない。己心の魔にこそ勝たなければ、地上ユートピアは建設できないのであるぞ」と。その大事な大事な教えと戒めというものを、高橋信次、エル・ランティは残されたのです。

その学びがあればこそ、某団体もあり、その団体を通し、あなた方の今日があったのではないのでしょうか。高橋信次の教えを抜きにして、今日のあなた方も、今の精神界、宗教界の教えもなかったように思うのです。

魔というのは、外から来るのではない。波長同通という理論の中で、自らの中に欲を引き込んだ時にこそ同通し、自らが魔にやられて堕ちて行くのであるということ。最初から清まって、100%純粋な者など誰もいないのです。その時に、魔の誘いに、欲に負けるかどうか、それだけが分かれ道なのです。だからこそ、仲間がいるのです。

何度も何度も、この者(チャネラー)が繰り返し言っているように、だからこそ、仲間というのが必要なのだ、という事です。どんな無理難題が来たとしても、トラブルが来たとしても、いかなる時にも、自分達が謙虚なる気持ちで、己心の魔に気を付けて、皆んなで心をオープンにして「皆んなで乗り越えて行こうね」という前向きな姿勢があるならば、どんな問題でもクリアしていく。どんな問題でも乗り越えていける。それが、神の使徒であるあなた達の実力であるのです。

ですから、つまらぬことに怯えず、つまらぬ事に猜疑心を持たず、自信を失わず、自信を持ちつつ、そして最後、人を責めるのではなく、この巫女に魔が入ったとか何だとか「外部に魔が、魔が」と言うのではなくて、「魔が」と言いたい時には、まず自分の心を反省し、己心の魔が入っていないか、という事を常に点検して行ったならば、必ずや大団円、大調和の道があり得るということ。それをもって、日本の地が、和をもって旨とする、という「和合」というものがあるのです。

和というのは、本来が、安易な意味で人々と妥協し調和するという様な、そんな安易なものではないのです。和という、本来は、神の摂理そのものを言います。愛の中で全てが和合し、大団円の中で、愛のもとに纏まっていく。それがあってこそ、神の摂理が宇宙に広がり、宇宙というものを構成しているのです。

和というものがなくては、神の愛は巡って行きません。循環して行かないのです。神の愛が循環し、血液のように流れて行ったとき、そこには大調和という、和というものが実現されていく。その様な地球が、その見本として、まず、この大和の地、日本の地が、和をもって旨とし、神の愛の血液が教えの中に巡ることによって人々の心に根づき、そのことによって、神の愛の表現者として、先駆者として和合していく姿を地球の人々に見せたいという、その意志のもとに、この日本というものを計画し、その使命として(役割を)果たそうとして来たのです。

ですから、和というものを、非常に安易に考えておられる方が多いかも知れない。自分の中に不満たらたらで、相手に対する悪意があろうとも「和をもって旨としなきゃね」という、安易な妥協の産物であるというふうに、もし理解されているならば、それは大いに間違いであるという事を、私は今回、申し上げておきます。

自分に正直に生きるということ。不平、不満があるならば正直にぶつけ合うということ。その中でお互いに歩み寄り理解し合って行くことが大切であるということ(なのです)。決して欺瞞の中には和はないのです。お互いに正直にぶつけ合って行った中で、本当に、自らが神の子であるという本来の使命に戻って行き(お互いを)理解出来たのなら、最後に出てくるのは「和」しかないのです。

神の愛のもとに、一途にお役に立ちたいということで、お互いに尊敬し合い、尊重し合い共に手を取り合って、この計画の為に少しでも出来る事をやって行きたい。そのように思う時に、大調和以外の何ものもこの地上には表されないということ。それは、組織単位においても同じ事だと私は思います。

ですから、この活動を無事にやっていくためにも、どうか皆様方、本音でぶつかり、そしてお互いに心の中の事をぶつけ合いながら、共に仲間として成長し合って行く、この使命の実行者として、互いに尊重し合って、努力し合っていく。具現化し合って行くという、その事を、どうか胸に秘めながら、己心の魔というものに踊らされることなく、この使命を実行して頂きたいと思うのです。

もし、この日本の使命が果たされねば、この世界のユートピア計画は挫折したことになるというのは、そこなのです。

もっと言うならば、この日本におけるこの場に集まっている者達が、その使命を放棄したならば、最終的にはこの地球の最終ユートピア計画は潰れてしまうという、その位の位置にあなた方がいるということ。

あなた方にとっては、胸塞がり、荷が重いと思われるかも知れない。そのような場所に、あなた方を追い詰めたなら、私は大変申し訳ない事だと思う。本来ならば、仏陀やエル・ランティや、仏陀の名のもとに、多くの者達で責任分担をしながら、一大精神文化の革命を起こす為に計画されたものでもあるのです。

こんなに少数の者たちに全てを背負わせながらやらせるという事を考えると、本当に返すがえす申し訳ないと、私達、天上界の者達も思っているのです。でも、今、あなた方に頑張って頂かなければ、その後、引き継ぐ為に多々出て行った者たちの使命も果たされないということ。そのことを思って、あなた方にお願いをするしかないということ。そして、それが出来るような方々が今ここに居られるという事で、私は、お願いに来たのです。

これからのあなた方の計画(の実行時において)、この地球上で、あらゆる組織、文化、教育、経済、そして、天変地異も含めて、この地球の、大浄化の、大変革の時が来ます。非常に多くの者達が亡くなる事もあるでしょう。

そして、地獄界を通して、この地球にたくさん溜めてしまった悪想念、邪気というものが振り払われて、その浄化の過程の中で多くの不幸が起きて来るという事もあるでしょう。

でも、それは一つの事象の流れとして起きるべきものが起きるのである、というふうに、あなた方全ての責任ではないという事は、既に数年前に霊言で申し上げているはずです。

その時は、何を言われるか全然分からなかった(であろう)と思うけれども、これから、世界的な大いなる変革の時の中で、その変革をするのは、あなた方ではない(のです)。変革をするのは、命がけで、坂本竜馬たちや、勝海舟や西郷さん達のような、ああいう人達が、ミカエルのような者達が、命を張りながら、若い命を散らしながら頑張って行くのです。

そういう時期が来ます。彼らは、その使命のもとに、命掛けで降りて行っているのです。そういう意味で言うと、ある意味、あなた方の方が、守られた時代に生きているのかも知れない。そう思って、彼らの背負わなくてはならない運命の過酷さを思うのならば、どうか、あなた方の出来る事で最善を尽くし、この使命を果たされん事を、心よりお願い致したいと思うのであります。

この様な状況に持って来た事の責任は、我々とて、非常に深く思っております。もう少し経ったならば、全てを反省の中で、何が間違っていたのかという事を、大きな学びとする為の反省をしたいと、共に思っております。

しかし、今は、この難局を乗り越えて、最終的な、最後に残されたチャンスの中で、この地球計画を達成して行く為に、何としてでも出来る限りの事をしたい、というのが、今、天上界の指導霊達、皆んなの悲願です。

その思いを、この気持ちを、どうか皆様方、一人ひとりの心の中に思い置き、お待ち帰りになって、そして、これからのこの動きの中で、どうか、あなた方の力と成れんことを、心より願っております。

今まで、あまり私の存在が、皆様方の意識の中になかったかも知れませんが、世界計画における日本担当の者として今の明治維新を計画し、今日の仏陀再誕の地を用意した者達の責任者として、これからも、ここに、私も指導霊として加わっておりますので、これからも益々お呼び頂れば、私も出来る限りのアドバイスをさせて頂きたいと思っております。

今までは、日蓮聖人がお出ましになっておられましたけれども、やはり、この大きな計画の最終的な責任者として、エル・ランティとか、ミカエルとか、日蓮聖人という方がおられました。

ただ、この日本の地限定という事に関しまして、受け皿を用意するため頑張って参ったのが私ですので、私なりに皆様方にアドバイス出来る事があると思います。

明治維新の者達が、その志の高さ、その情熱で無私になるという事を、あなた方に教えて行かれたと思います。まさにその様な気持ちがなければ、この難局を乗り越えられないでしょう。

ですから、決して無駄に、偶然に、あなた方の興味本位で、明治維新の企画が持たれたのではない、という事も申し上げておきましょう。彼らから今、学ぶ事を以って次の計画に進まれるのです。無私なる思い、「己の命など、いつでもくれてやる」という、その気概の中で、彼らは未来の日本を夢見てその命を散らしたのです。

その意気込みがあなた方になければ、この難局における魔との戦いというものには決して勝てないでしょう。それ位、魔の力が強くなっているという事も事実なのです。

ですから、戦闘系の巫女という者を、ここに連れて来ているというのも、そうなのです。この様な者が立って来るということは、それだけ魔が強い、その様なことも十分、磁場的に考え得るという事で、このような第三の計画が、密かに封印されていた、ということも事実なのです。

であるならば、最悪な状態の磁場の中で、いかに、(失われたものを)取り戻し、本来の計画に戻して行くことが出来るか。次の時代の者達に繋いで行くことが出来るか。それを以って、あなた方のご使命もしっかり分かって来ると思うのです。

他の外野の者たちなど、時間の流れが経てば、彼らの思った事などというのは本人の修行以外の何物にも残らないということ。そういう風に思われたならば、今、多くの人類の為に、神々の計画の為にやれる、あなた方の人生であるという事を喜んで頂きたい。

そして、その使命の中で、最大燃焼をされて行くという事が、あなた方の、今世の最高の生きがいであり、生きた価値、証しであったという風に、胸を張って天上界に帰って来られるということ。そのことを思って、どうか、あなた方は、この使命を果たされんことを祈ります。

有限な命の中で、我々の世界から見たら線香花火のような命の中で、肉体を持って、我々の世界から地上に出て行っているあなた方なのです。いつまでも居られる人生ではないのです。使命を果たすのは一時のこと。それを精一杯果たしたのなら、心おきなく、帰っていらっしゃい。また次の者達が、その法灯を継ぐことでしょう。

本物さえ残して頂ければ、本物の光を求めて、また本物の光の神の子達が、その法を継承する為にやって参ります。そうやって法灯というのは継がれていくものなのです。

高橋信次、エル・ランティが本物を残して下さったから、仏陀が本物の初期の法を残して下さったから、あなた方が集まって来てくれたのではないのでしょうか。本物が、そこに存在しなかったら、あなた方が集まることもなかったのではないでしょうか。

だから、仏陀に対しても、高橋信次、エル・ランティに対しても、心から感謝致しましょう。これだけの偉大な法を、今、この地球に、この地上の日本という場所に、立て続けに降ろして下された、その神理の高みを以ってこそ、あなた方が、この学びをし、今のような水準にまで上がれた、ということが事実なのです。

他の国の方々は、このような救世主と呼ばれている、根源の本体の方のお言葉を聴くなどというチャンスには恵まれておりません。どんなに素晴らしい資質があったとしても、あのような言葉を学び、あのような事を心の糧としなければ、あなた方のような認識レベルには、今世、到達していられないのです。

でも、今あなた方は、その生きて来たという人生の証しをもって、今この様な認識の中でこの様な我々の言葉を本当に理解が出来て、使命を悟ることが出来る。その素晴らしさは、あなた方という魂を培って来られた、高橋信次、エル・ランティの言葉であり、仏陀の言葉であったという風に思っても間違いはないと思います。

そうでなければ、一般の、そこら辺に歩いている人達をつかまえて、私の言葉を、今伝えてご覧なさい。おかしなことを言う霊であると思われるかもしれない。でも、あなた方はそうやって涙を流しながら理解して下さる。それが認識力というものなのです。それだけ魂が、今世そこまで水準が上がって来ているという事なのです。

であるならば、その水準の高さをもって水準の高い使命を果たして行きなさい。決して、決して神は、分不相応なものを要求はしていないのです。出来るあなた方が集まっているグループであるからこそ、そして、今この方が、愛のパイプを降ろして下さるこの磁場であるからこそ、この様な使命が、あなた方に降りるということ。

それを以ってでなければ、神の計画をこの地上に降ろそうなどという、第三の計画の発動などということは、しないのです。ですから、あなた方は、自分の人生に、自分の魂に、自信を持って、精一杯やられることを私は望みます。

日々成長していきましょう。成長し、進化発展して行き続けることが、神の法則でもあります。常に常に、神ですら、大いなる進化発展を遂げておられるのです。であるならば、我々も、大いに、自らの人生の中で、新たなる学びと新たなる教えの中で、新たな実行というものを、行動を通して我々の魂を磨き成長させて行きましょう。

かく言う私でも、最初思っていました事と、次々と違う事態が起きて来る中で、精一杯、今まで頑張って参りましたけれども、今回のこの日本に起きた顛末を見まして、大いなる大いなる学びをさせて頂きました。そして、まだまだ、自分の認識がまだまだであったなという反省を、深い反省を以って、今あなた方に語っているのです。

もっと私が分かっていたらどうだったのであろうかと思うけれども、やはり、実際に地上に映してみなければ、行動の中でやってみなくては分からない事が多いのです。実行部隊というのはそういうものなのです。きれい事は通用しないのです。

であるならば、神の誠を以って命を張った明治維新の志士達のように、あなた方も、神の誠を以って命を掛け、この最後の地球の難局に臨んで頂きたいと、心よりお願い申し上げるのです。

では、今日は、これにて失礼させて頂きます。
また、私などの力が要りましたら、日蓮聖人だけではなく、私もお呼び頂ければ、具体的な方針を、なんなりともご相談に乗らせて頂きたいと思いますので。今日、これでチャンネルが判られたと思いますので、どうかお呼び下さい。

「シュヴァンツェル」というふうに一言呼んで頂ければ、私は参ります。「聖徳太子」というふうに言って呼んでも、どうも、この方のチャンネルにはない様なので「シュヴァンツェル」と一言、言って頂ければ、この方には一瞬にして通じるチャンネルがございますので、そのようにお呼びください。

私が、日本担当として、このグループの担当の指導霊の一人として、これからも、あなた方の力に、相談役になって行きたいと、そのように願っておりますので、私を、またお呼び頂けることをお願いして、今日は、これにて失礼させて頂きます。

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