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朝日記240629 橘樹住香 ―歴史逍遙―うるはしきえそらこと

2024-06-29 17:23:38 | 自分史

朝日記240629 橘樹住香 ―歴史逍遙―うるはしきえそらこと

 

―歴史逍遙―

うるはしきえそらこと

会員 橘樹 住香

 

 松岡映丘に吉村忠夫あり

 燈籠のおとど 昭和11年 吉村忠夫 

東京國立近代美術館

 

平重盛は京東山 四十八閒の 社殿を建立 一閒ことの瑠璃燈籠 うるはしき こんじきの 螺鈿の柱 鳥のさへつりや 虫の音 華麗なる 平安朝のおもむきを たたよはす



吉村忠夫 朝勤 昭和12年 

福岡市美術館

 

藤御堂関白道長の鴨川のほとりの みことな法成寺と ひはたふきのやねは となりの紫式部の山水へ ひろこるやかたへとつらなり つれつれ なかめくらす法成寺の宴のなこり香を 源氏のものかたりにつつる

右正面に道長 女房裝束のみえかくれし むらさきの式部らも 平安朝の荘厳さをみことによみかへらす

着想と構想 みえないものを よみかへらせ おもむきの あはれさの感性を そなへしかたそ 天才か

むらさきの ゆかりはしらず 寺おほきみちゆきかへし 少年の日々     秀樹

 

吉村忠夫       住香庵

 

昭和15年 まぼろしの軆育と藝術の東京オリンピアードにて 総大將は近衛文麿 文藝 繪 彫刻 音樂 建築にをける

祭典の藝術監督には吉村忠夫になるも

欧米から日の夲への 世界一周ほとの船旅は まほろしの旅となり 藝術の祭典は消ゆ 世界大戰へのひたねとなる こはさをおもふ 

 

四海樂土波靜   住

さつきまつ濱村 松岡映丘 昭和3年 第9回帝展 吉村忠夫と松岡映丘一門より

 

吉村忠夫 昭和3年

 

清少納言らのかくはしき わか世の春のころの鎧は いまにつたはらぬも 女房裝束にまさる 鎧の美そ華ひらく

國寶源為朝所用とつたふ小桜縅鎧をもとに平安朝の鎧を復元 この鎧は東京の爆撃にてうしなひ この本は未来への遺産となりていかむ  

   

平安朝の網代垣の松岡映丘邸にて 

水干姿の忠夫 大正8年

源將軍頼朝は大姫の日向薬師祈願に社殿前で新しき水干(すいかん)に着かゆとあり  後鳥羽上皇は流鏑馬にて水干とある 武者は直垂(ひたたれ)をこのむやうになる

  白拍子靜は ますらをの水干に腰刀 張り袴

新築の松岡映丘邸も 東京の爆撃にて 多くの名作も 平安朝の復元鎧や裝束も燒け

 

大正の 華のみやこ東京の おもかけと靜謐さをしのふ

 

京桂川から霧にみえかくれする小倉山

 

吉村忠夫 大正11年「清吟緑觴」

 

瀬戸内にうかぶ國寶の嶋 伊予の國 大三嶋 大日夲総鎮守 大山祇のやしろ

 

 昭和16年11月8日帝國海軍壁畫館制作にあたり 倭繪の繪師 大三嶋に参着 立姿左から四人め吉村忠夫 座り姿左端守屋多々志 右の社殿の楠は日本最古 大三嶋に 平重盛 源義仲 源義経ともとも伊予の守 そして源將軍頼朝も鎧を納む 鎧の國寶の八割をいまにつたふ

  

ときの帝のこころの

ささへとなる

 

松岡映丘 昭和3年 

富岳茶園之圖

 

白い浜辺の松原に

波がよせたりかえしたり

 

あまの羽衣もひらひらと

天女のまいのうつくしさ

 

いつかかすみにつつまれて

そらにほんのり富士の山

 

 

平成8年10月

福岡県立美術館

吉村忠夫と松岡映丘一門貴重なる特別展

 
   

 






 

 


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