Yassie Araiのメッセージ

ときどきの自分のエッセイを載せます

朝日記160914 築地移転問題についておもうこと

2016-09-14 11:27:48 | 政治

朝日記160914 築地移転問題についておもうこと

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みなさん、おはようございます。

 (箱根 稽古場風景)

徒然こと 1(鋭さと包括性について、アダム・スミス語る)

図書館からアダムスミスの道徳感情論を借りてきてとりあえず読んでいます。ふと、以下ことところに 目がとまったので引用しておきます。

「われわれが見逃していた多くのものに注意をはらいそれらをそれらの諸対象のさまざまな事情すべてに適合させるように見えるばあいは、われわれは是認するだけでなく、それらのなみなみなく予想をこえている鋭るどさと包括性に驚嘆し、驚愕するのであり、そしてかれは、きわめて高度の感嘆と喝采にあたいすると思われるものである。」 アダム・スミス水田 洋訳「徳感情論」上 52頁 第一部第二篇第三章

 (箱根・葦湯近辺)

徒然こと 2(築地移転先での土盛りと「空洞」問題について)

築地移転移転問題が政治問題になっています。契約やルール通りにやっているか、それに疑念があるときに、監査の目その切り口としては、形式的整合性から入る以外に多分ないとおもいます。

コンクリートの方が外部からの異物の侵入遮断性がよいのではないか、という友人N氏のご指摘に 刺激をうけました。

 埋め立てたあとに空洞スペースをつくるか、事前につくるかの問題に帰すると思います。 当然の結果として 後者に落ち着くと想像します。 その選択が特別に独創とまではいえませんが、これ自体は 「包括性とするどさ」を感じます。

 問題は、権限と承認のルールがどうであったかであろうと思います。 この点をわれわれの前にクリアにすべきとおもいます。グレーの部分であったのではないかと想像しています。

 豊洲の地下汚染物質の除去や遮断問題で、いま話題の「専門委員会」と「技術委員会」の権限と責任の規定、およびこれら委員会と東京都との同種の規定が、如何になっているかが基本であるとおもいます。

 私の家の居間は、TVのチャンネル権が家内が握っており、テレビ朝日をよく見させられます。 このTV曲のワイドショウ的な番組が、目下 築地問題です。

 報道取材で 上の「空洞」問題の決定プロセスを追っています。 2008年に「専門委員会」(公開)そしてそのあとバトンタッチのかたちで「技術委員会」(非公開)があったといいます。「専門委員会」で「空洞」のはなしがなく、「技術委員会」で話題がでた、計画上の制約からペンディングの状態であったらしいこと。 「技術委員会」のメンバーは四名を抽出して、聞き込みでは、「わからない」という返事であったこと。東京都への調査では、部局での担当を調査中という返事であったとのことでした。

毎回、TVのこういう番組は、ただただ絶対安全という建てまえで、不確定な要素、未知な要素をどのように 計画の中で 論理的に処理していくかの発想が皆無で、科学的な懸案、それを技術的に解決する筋道などに関しては 彼らの関心と思考は空っぽであることを知ります。 自分たちがわからないのは、わからせない側がわるいという態度に、辟易とするのが、正直な心情です。 

 そのなかのひとりが、ふと「これはもしかしたら、挑戦があったのかもしれない、その筋でも関心がある」と番組のおわりに、みずからの立ち位置を振らせているのがわずかなすくいかなとおもいました。

 これらは都議会で新知事からあきらかにされていくことでしょうから、責任ある報告は、当面は、この辺までが限界かもしれません。

 

徒然こと 3 「限定合理性(Bounded rationality)」と近未来への「可知性(Intelligibility)」について

 このところ、哲学問題として、Social Morality(社会的道徳性)に関心を持っています。

その折に、行動派経済学者のR.セーラー(Richard Thayler)に目をとめています。

Herbert Saimon以来、人間は、完全合理のもとで行動する完全経済人間(homo economicus)ではなく、知的に不確定なところは、思い入れによる行動で補完して、限定合理性としてとらえ、意思決定している。当然 誤謬、バイアスがあり、ミクロ経済のなかで 自己回帰型システム(Feed back Control System)として軌道修正を目指すというものと理解しました。 その思い込みの種類が5つほど挙げています。 ①生活らの延長線の感覚から(Anchoring)、②とりあえず世間でつかわれている関心から(Availability heuristic)、③データの恣意的な解釈から(Representativeness heuristic)、④現在の生活水準から(Status quo bias)、そして、⑤専門家の見解の尊重から(Herd mentality)

 こういう問題が、たとえば 社会科学でのSocial Institution 理論(社会制度論)のagent思考がどこまで 挑戦の「射程」を伸ばせるか個人的な関心があります。 これらから、人間の近未来にたいする合理的行動への可知性を保証してくれるかの共通命題へとなりますが、楽観か悲観かわかれるところです。

 文頭にあげた、アダム・スミスの道徳感情論からの視点からのこの問題への回帰は、遠くなってしまいましたが、上の自己回帰システムに乗せるべく、知恵と体力をそそぎんでいる人たち(とくに技術企画者)たちへの評価にも思いをいたすことが大切と感じています。

 

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なお、限定合理性については、Wikkipedaの「boundes rationality」の項を参照しました。

まだ読んでいませんが;日経2016/9/11で以下の書評がありましたのであげておきます。

リチャード・セイラー著 行動経済学の逆襲 早川書房 2016

原題 Misbehaiving

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1 コメント

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哲人青木一三氏から (Yassie Arai 友人からのメッセージ)
2016-09-14 22:58:05
荒井さん、

「完全経済人間(homo economicus)仮定は間違いで、人は知的に不確定なところは、思い入れによる行動で補完して、意思決定している」はもう常識ですね。

私も真実を調べることもしますが、時間がかかる。そして思い入れによる行動にはしる。これは時間の経済です。しかしそのまま突っ走ると時々矛盾がでてきてマズイ!と軌道修正するわけです。

私は温暖化防止のために二酸化炭素排出規制をするなんて、禁酒法とおなじで必ず失敗すると考えています。そんな金があるなら今すぐ、土手のかさ上げや鉄橋の付け替えなどの適応策に使うべきだ。などと言っていました。

同じロジックで、私は私が勝手に予測した自分の余命を10年として、目下家の外装の補修とお化粧をしているのですが(零細業者に発注して失敗)、いま台湾をおそっている台風14号をみて驚愕。890ヘクト・パスカルとか。これでは、このような今家の補修とお化粧直しでは温暖化への適応策には不十分とさとりました。

と言って、いまさら建て替えも出来ない。不要なものを整理して家の中を台風が吹き荒れてもすぐ掃除できるような準備するしかないかとあきらめました。いずれにせよ二酸化炭素排出規制なんて何の役にもたちません。こまったものです。

青木一三
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