Yassie Araiのメッセージ

ときどきの自分のエッセイを載せます

朝日記240629 橘樹住香 歴史逍遥 たふとき國寶の旅へ

2024-06-29 16:35:38 | 自分史

朝日記240629 橘樹住香 歴史逍遥 たふとき國寶の旅へ

初出し 「HEARTの会」会報 No.116, 創立30周年記念 2004年新年号 ISSN 2186-4454

 

―歴史逍遙―

             たふとき國寶の旅へ

                   会員 橘樹 住香

天心に靫彦あり

      

越後出雲崎に新妻をともなひ

靫彦は良寛の五合庵をめくる 

新妻とのほのほのとしたぬくもりの情緒をさそふ

                                                     

安田靫彦 五合庵の春 大正9年 東京國立博  物館

 安田靫彦に佐多芳郎あり

              佐多芳郎 浮舟      大佛次郎邸

 

 

住     

 

 國寶 金地螺鈿毛抜形衛府太刀 

 

 

春日大社若宮奉納古神寶

 

 春日の社は1250年の月日 火事にみまわれることなく、平安朝からご神寶の傳へられし奇跡をおもふ。木造りの若宮夲殿に幾星霜をこへ傳へられしも、ご神寶の傷みがはげしく、うぶな匠のすがたをよみがへらせてみる。

鞘は沃懸地に夜光貝の螺鈿で竹の林に雀を追ふ猫。しなやかにのびやかに 竹の葉・猫の斑点に青硝子 猫と雀の目元にも。螺鈿にはみごとな毛彫、日の夲の螺鈿の極み。すべての金物は無垢の夲金。

藤近衛府中將頼長はときに十七、三條殿崇徳帝のためこの太刀を帯び、鳥羽上皇も麗しさに息をのむ。しかし保元の変により崇徳帝は讃岐に、左大臣頼長は流れ矢に、父に助けを求むるも あはれ かどをとざされ、痛さにくるしみさまよい命がきゆ。我が世の春を極めし時、藤原王朝のともし火がきゑつつあることを誰が知ろうか。日の夲に神も佛もあるものかと、容赦なき血の気配の時代の蹄のねよ。

 



國寶            原寸  住

 

東急電鐵をなしたる五嶋慶太は、倭が國の寶物に触れんがため、古筆の神さま田中親美につく。古筆とは鎌倉までをいふ。にせ物がはびこるなか、親美は古筆をすすめ、なかでも寫経は紺地金泥経をはじめ優れてをり、すべて原夲。同じように彫刻も鎌倉まで。紙、筆、字の性質がなまの皮膚感覺で軀につく。鎌倉までの細胞を手にいれれば、にせ物に手を染めぬ。なまじっか好きな人は自分の好みに走り、好きなものとにせ物の區別がつかぬ。世閒では貫之かどうかが真贋の判断となるも、つきつめれば室町以降はできがわるく、にせ物なのか。南北朝の動亂、應仁の亂、桃山の大亂で、美の担い手をうしなひしゆゑか。五嶋慶太のすごさは親美といふ人をえらび、教えにしたがひ氣がつけば五嶋美術館のすがたとなる。

武蔵野の断層の上野毛の地は、池がふたつある回遊式日夲庭園に、茶室を二棟しつらえるみごとな借景。その地は國立東京帝大から海軍學徒出陣の田英夫の祖父 田健治郎から五嶋が受け継ぐ。田健治郎は台湾総督を勤む。

五嶋は茶人としての立ち位置に室町も手元に。

かつてのアイドルスターと語らひ歩みしとき『桃尻語訳枕草子』を書きし東大出の橋本治という面白い作家がいてね、桃尻娘の映画もつくる話を。あのー私のはじめての映画なの、そののち日活やテレビの主演女優として茶の間へ。あの大伴家持の大伴から伴大納言の伴と、鎌倉初めまでの若狭国守の堤のながれをくむと語る。

 

   


真鶴沖 前田青邨       五嶋美術館  

 

タゴールはなぜ日夲民族だけが文化をつくりえたのかと、数十年のち橋本治がラジオ深夜便でおなじ事をかたる。NHKの聞き手はよその國にも文化があるではないかと。たとへば漆を例にとればやまと朝廷のうまれる前から、一子相傳として受け継ぐ土壌があり、各領域の職人の技が分かりやすい。染織は日の夲だけにいきのこる。鎧一領で染めの絹の組紐が40メートル。津々浦々に職人がをらねばなりたたぬ。かつてはベーリング海、今は越前三方五湖の地層より、火をあつかふ土器は萬國で日の夲は最古をきそふ。

テレビのかたりは大戰前の神韻縹渺の倭が民族をあしざまに語るが、いくさでこの國を担う400万ほどの優秀な人材が亡くなり、大戰ののち、産めよふやせとわれも時代をかけぬけ、今があるも、頭腦明晰さはとり戻せず、きがつけば風船のごときちんぴらのやうな民族となり氣韻生動の氣品をうしなふ。

東條内閣に五嶋あり、倭繪の横山大觀、洋畫の中村不折が首相官邸にて、毎週大觀不折と交替で倭が國の美についての講義がなされ閣僚が學ぶ。倭國の       美のまなびやのうわさはオーストリアの人 宗達 夲阿弥光悦 ことのほか光悦にほれこみしヒットラーに傳はり、大海原をこえ船にて日の夲へ。首相官邸にて大觀のまなびやにくははる。その時にベルリンからもちきたる鎌倉時代の倭繪 嵯峨の帝の御影をおひろめされ、官邸はどよめき、ときの帝におかへしする旅をはたす。われも東博でめにす。倭國文藝の徳富蘇峰を招き、首相の草稿をなほし、内閣の要となる。そして菊池寛・谷崎潤一郎・川端康成も、倭繪の靫彦・古径・青邨・龍子ら、梅原龍三郎も。倭國藝術の中軸に内閣あり。風雲急をつぐる前のうたげのことを思ふ。

我ゆくもまたこの土地にかへり来ん 

國にむくゆる ことの足らねば

 

さらばなり苔の下にてわれ待たん

大和島根に花薫るとき

 

散る花も落つる木の実も心なき 

さそうはただに嵐のみかは

 

今ははや心にかかる雲もなし 

心豊かに西へぞ急ぐ

佐多芳郎 田村將軍     佐多邸

鈴木敬三博士に平将門の鎧は…たしか佐多君 田村麻呂があるよね

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 朝日記240628 徒然こと―「長... | トップ | 朝日記240629 橘樹住香 ―歴史... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

自分史」カテゴリの最新記事