朝日記 150112 「HEARTの会」会報の表紙絵「天地創造」と解説
皆様おはようございます。 私が所属するNPO法人の季刊誌に採用された絵とその解説をお届けします・
徒然こと
表紙絵の解説
「天地創造」
筆者の朝日記から(2014・11・8)のメモから表紙絵の解説いたします。
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おはようございます。今朝は 雲が低く覆っています。日が短くなったので5時すぎるともう暗いですね。 東の空に赤橙色をした月をみましたが、9時ごろ空をながめてみたらもう見えませんでした。大した厚い雲でもないが、その中に隠れてしまったのでしょうか。月の光というのは雲を貫けてくるほどのエネルギーはないのかなとおもい部屋にひきあげました。
神の像を描くというのは 偶像を否定している一神教ではみずから禁を破ることになります。創世記の教えるところで神は息(風)で天地を創造するので、彼らの絵画では風で神を描写します。おもしろいのはミケランジェロの壁画には神の像があります。大変早描きで 両腕を回し、渾身のちからで天空に顔を向ける構図です。 きのうは これに挑戦してみました。 決して若くはなく、叡智がつまっていて、胸もあつく 腕もふとく 身のまわりから猛烈な風の渦がおこっているというものです。これの絵をオマージュとして表紙絵としました。 このスケッチに使った図録は、「ミケランジェロ・システィーナ礼拝堂」(日本テレビ放送網株式会社 1991)で、10号のサイズの立派な画集です。解説の方に ミケランジェロの詩が載っていたので ここに書き写してきました;
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わが人生はいまや辿りつく
荒波のなかをはかない小舟にのって
善と悪の行為の申し開きをするために
誰もが降り立つあの同じ港へ
芸術をわが偶像とも君主ともしてきた
あの情熱的な空想が
いかに大きな誤りであったかを思い知る
人が己の意に背いて望むことの過ちを
うましき恋の想いももはや虚しい
ふたつの死が近づいた今は
肉の死は何ともないが 魂の死は恐ろしい
もはや絵画も彫刻も魂を鎮めはしない
魂は十字架の上で腕をひろげ
我らを迎えるかの神の愛へと向かう
<ミケランジェロ「詩集」 1554>
徒然ことおわり
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