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自分を黙らせろ

2012-01-08 13:29:20 | 無題
最近、
調子のいいこと言ったり、
キツい口調で言ったり、
大きく出たりして、
そのあとに落ち込むことが多い。

言う前は言いたい衝動で、
言ったあとは消えてしまいたい、死にたいほど自分がいやになる。

なんでか考えたら、
たぶん思ったリアクションを相手から得られなくて、
むしろマイナスに働いたかもと思うからだと思う(実際そうでも、そうじゃなくても)

人から思ったリアクションを得るには、冷静にしていなきゃいけないし、
普段冷静な人の方が、聞く耳を持ってもらえる。
自分が落ち込まずにすごせるときはそうだ。

だけどなんでこの衝動があるのかわからない。
“人になにかいい影響を与えたい”という欲求があるんだけど、
それができていなくて、悪循環に陥っているのではないか。

落ち込むと、誰かに共感してもらったり、なぐさめてもらいたい衝動が起きる。

自分を大きく見せたいから、そういう態度になるのだと思う。
周りを敵に囲まれたみたいに、だれも味方はいないと感じているのかもしれない。
実際、生かすも殺すも周りの人間しだいだったりする。
比喩的ないみではなくて、生活が。

会社の人のどの人のどんな発言で立ち場はおいやられ、どの発言でクビになり、周りの人のどの発言で動揺し、体調を崩し、全てが重なる時、私は死にたくなる。
それは以前体験したことで、自分が必要とされていない、無能であり、なぜこの世の中に生きているのかわからなく、そんな自分もイヤで、自分で自分を嫌い、苦痛がつづき、死ねば苦痛はなくなりおしまいにできるということが、そのときになると、死ぬのはよくないとか、痛いだろうとか、普段なら働くような思考も働かず、ノンストップで極論が出る。

かもいに掛かるハンガーや、引っ掛けられるものを見ては、あそこに首を通せば楽になれると思うのだ。しかし同時に、そこまでくると体も、重力が何倍になったのではないかというくらい動かなくなり、実行できない。それが回復してくると同時に、気分も若干落ち着いてくるので、しなずにすむというわけだ。
もし、動かせる元気があって、気分の回復がずれれば、きっとそのまま死ぬのだろう。
それでそこが自殺する人の分かれ目になるのだと思う。

だからすごく恐ろしい。死の淵を見た。
死ぬ死ぬといってしなないパターンかもしれない、やるといったらやるタイプなので、一度失敗したら本気になって用意周到に死ぬかもしれない。
自分がどの行動を取るのか、これに関しては予測がつかないから、怖い。


それで話は戻るけど、最近気分にムラがあるから、そのような症状をぶり返さないか心配だ。
それは急激にやってきて、突然コロッと代わるから心配だ。
急に落ち込み、急にこの世の終わりがやってくる。
それがよくいう冗談のような状態ならいいのだけど、冗談にならない感覚襲われるから、自分でどうしたらいいのかわからない。

今とっても、解決策、解消策を探し中だ。


だれかに電話したい衝動―でも共感してもらえなきゃより悪化するからダメだ。
だれかに慰められたい衝動―そんな人は周りにいない。
呼吸が浅くて息苦しい。
まぁいいじゃんといって、リラックスして紅茶でも飲んでのんびりする時間すらない。することをしないと週明けには立ち場は益々悪くなるからだ。―もしならないとわかっているなら…
もう悪くなりかけている。
そして今日一日なにもしないで過ごしたら、夜私は自分を殺したくなり、朝自分を殺したくなり、現実から逃れたくて布団から出ないだろう、そしてまた一日が過ぎて…
だけど今日できることも限られていて、それをしても目標の結果までできないから、既にもう死にたいというわけだ。