私の職場はプロ集団の場なので、プロが不在の時は「聞き取り」をして、用件がスムーズに伝わるようにしている。
今日掛かってきたのは、年齢は80代の女性。
彼女の言いたいことは、こちらに依頼した用件がスムーズに進んでいるかどうかの確認だったのだが、ツルツルッと滑ってしまい
息子がいかに自分の思う通りに、素直に暮らしていないか(まさに80・50問題の当事者)
結婚するまで、お金を使ったこともないお嬢様暮らしで、デパートは外商。 タクシーはチケット。
生まれた時から水洗のお便所。結婚して初めて「ボットン便所」だったことの不満話に巻き込まれてしまった。
自分がいかに恵まれた生活を(それが彼女の当たり前基準)してきて、自分ひとり、没落と格差の結婚生活を送り、夫となった人は身体障害者だったのだと嘆いていた。
しかし、どんなことを言っても、既に夫は故人であり、子供は50過ぎのおっさんであり、母と同じように人を恨んで引きこもりの生活をしている。
この女性の話をお聞きして、この人はどうしたいのか?
また子供を「認めたことがあるんだろうか」「子供に任せたことはあるのかな?」と思った。
自分のレールから子供の行動が外れてしまうと、途端ヒステリックになり、それでも子供が自分に向かないと、言葉で伝えず第三者を使って子供に用件を伝える。
もうこれでは、こじれずにはいられない状態で、しかも自分勝手にこじれさせている。
ふと、この人はこの世に、何を残していくんだろうと思った
「恨み」か「怒り」か「不満」か
私自身、出来るだけそれを避けようとしているんだけど、
なんか、こういう人多くなった気がしてる。
今朝は「嫌われる勇気」岸見一郎著(P78/283)を精読中。
二度目となると、かなり感じ方が違う。
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