被写体の「死体」求めて世界の紛争地域を飛び回った前衛写真家が「覚醒剤」にはまって… 【衝撃事件の核心】
駅の雑踏の中、警視庁がマークしていた覚醒剤の密売人。その客として姿を現したのは、一部マニアの間では良く知られた男だった。滞在先のアパートに覚醒剤を隠し持っていたとする覚せい剤取締法違反容疑で警視庁に逮捕され、同罪(使用・所持)で8月14日に起訴された写真家の釣崎清隆被告(50)。釣崎被告は「死体」という特殊な被写体を撮影する前衛写真家として有名だった。遺体を求めて、世界各地の紛争地域や犯罪多発地帯に足を踏み入れ続けた釣崎被告は、なぜ覚醒剤のとりことなってしまったのか-。
■雑踏内で覚醒剤取引
7月、東京都千代田区のJR秋葉原駅。警視庁の捜査員が、多くの人々が行き交うホームで身を潜めていた。捜査員の目線の先には、雑踏に溶け込んでいる男がいた。その男に別の男が近づく。次の瞬間、2人の手元が交差した。
「シャブ(覚醒剤)だ!」。捜査員が確認したのは、まさに覚醒剤の密売人と客の接触現場だった。その後の内偵捜査で、覚醒剤を受け取った男は釣崎被告だったと判明した。
釣崎被告は、一部マニアやアンダーグラウンド界ではよく知られた存在だ。慶応大学卒業後、平成6年ごろから写真家として活動を開始。紛争地帯の中東パレスチナや、麻薬の密売組織同士の抗争が絶えない南米コロンビアなど世界各地を訪れ、紛争や抗争、交通事故などの遺体の写真を撮影し、展覧会を開くなど独自の活動を行っていた。
11年にはコロンビアのエンバーミング(遺体の衛生保存)職人に密着した映画「死化粧師オロスコ」を発表し、話題を呼んだ。
さらに25年からは、東京電力福島第1原発で作業員として働き、その経験を著書にもまとめている。
■「究極の被写体」
釣崎被告はどのような思想でこうした活動をしてきたのか-。「死化粧師オロスコ」のDVD発売を記念したウェブマガジン「webDICE」上の対談によると、遺体を「究極の被写体」と表現し、撮影について「途中でやめるわけにはいかない。死者に対しての申し訳なさのようなものがある」「世間や大人は隠したがるが、死体はいかがわしいものでも何でもない」などと発言している。
また原発作業については、別のウェブサイト上で「目的は死体撮影でなく、原子力災害の取材でもない。未曾有の国難にあって非常事態における一国民として国防の義務を果たすべく一兵卒に志願した。僕にとって1F(福島第1原発)は紛れもない戦場」などとも述べている。
こうした唯一無二ともいえる活動をしてきた釣崎被告。しかしその活動が皮肉にも、禁断の薬物への入り口ともなったようだ。
■麻薬組織取材で…
「中南米で麻薬組織を取材したときに勧められ、覚醒剤を使い始めた。使うと頭がさえる感じがした。帰国後も使っていた」。池袋署によると、釣崎被告は調べにこう供述したという。
起訴状や捜査関係者によると、釣崎被告は愛用していた編み上げブーツの内側ポケットに覚醒剤約0・2グラムを隠していた。また、覚醒剤の密売人とはインターネットを通じて知り合い、覚醒剤を購入する度に取引場所や受け渡し相手が変わっていたという。
捜査関係者は「密売人が使っていた携帯電話は複数の仲介業者を通じて入手したもので、契約者の特定ができなくなっていた。取引場所や運び屋を頻繁に変更していたのは、密売人自身に“アシ”がつかないようにするためだろう。背後に大規模な密売組織がいる可能性もあり、今後も捜査を続ける」と話している。
眉をひそめる人もいる一方で、一部からは活動が高く評価されてきた釣崎被告。しかし“芸術家”としての倫理を踏み外してしまったことで、大きな代償を背負うことになった。