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go-kudoの綱引大好き

一生懸命 楽しくわくわく

第8話 フロリダ半島ドライブの旅

2025年02月28日 | 旅行

第8話 フロリダ半島ドライブ

アメリカ最南端へ向かう



(アメリカ最南端キーウエストへの道)


フロリダ放浪編

7月22日から7月29日までの7日間。

レンタカードライブの日記です。

マイアミ空港からアメリカ最南端キーウエスト、そしてジャズの都ニューオリンズまでのレンタカードライブの旅です。

この1週間の走行距離は、 1520マイル、 (2430km)と1日平均約350km走ったことになります。 ハードだね。

フロリダは、サンシャインステートというだけあって、 気候は亜熱帯性気候で、 8月の平均気温が28度、 2月の平均気温が21度と、 1年中が夏、フルーツとリゾートの土地なのです。


「時速100キロ、視界360度」

7月22日の朝、ニューヨークを飛び立ち、 午後1時マイアミ空港に降り立ちました。

ここはもう熱い熱い。 太陽がすぐ頭の真上にあるんじゃないかと感じるほど暑いのです。

私は夏が大好きで、「旅は夏だよね!」と思っている夏大好き星人なので、「これはいいや~、 また楽しくなりそうだな~」と思ったのでした。

それでは、これから車を借りて、 キーウエストへ向かいます。

エイビス、レンタカーカウンターで手続きしてもらい、 自分の車へ案内してもらう。

クリーム色のシボレー4ドア、レンタル料1週間で109ドル、 乗り捨て料 165ドル、

保険料 78ドル、合計352ドル。

車に荷物を積み込み、 運転席に乗り込む。



(レンタカー シボレー写真)

「これからの1週間、よろしく頼むよ。 俺の相棒!」 というわけで、 ドライブ旅行は始まったのです。

先ずは、空港からキーウエストへの道、「ルート1」に乗らなくてはならない。 助手席にマップを開いて、それを見ながら走る。・・・・・・ いきなり道に迷ってしまったのでした。

走っても走っても、「ルート1」が見つからないのです。 もう1時間以上走り回っている。

アメリカでは車は右側通行で、日本とは反対なので、 「右側、右側、」と気を使いながら走るのだけれど、交差点では何気なく左側車線に入ってしまい、対向車が向かってきて、一瞬ひやりとする。 それと赤信号でも右折の場合、優先車線の邪魔にならなければ、右折進入して良いことになっている。

自分はそれを知らないで、 赤信号で、右折ウインカーを点滅させて止まっていて、後ろの車に「ブーツ!ブー!」とクラクションを鳴らされたりしたのでした。(その時は、どうして鳴らされてるのか、分からなかったけど。)

キーウエストへの道を、 人に聞くしかないな〜と思い、それにのども乾いてきたし、

道路沿いに見つけたスーパーマーケットに車を止めた。 近くを歩いていた若い人(もちろん女性)に道を聞いた。

「すぐ、 800m先の頭の上を通る道よ。 フフフ。」と教えられ安心する。

「あ~、助かった。」 と彼女に礼を言い、 スーパーで、コーラ6本パック、 フロリダ 100%オレンジジュース1リットル、氷、 クーラーボックス(発砲スチロールの箱)を買う。

このクーラーボックスは大変役に立った。 氷とジュースを入れておいて、 ドライブしながら、好きなときに冷たいジュースが飲める。 またジュースはスーパーでまとめ買いすると、大変安い。

ジーパンを半パンに履き替えた。 道も分かった。 飲み物も買った。

「さー、走るべ!」




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第9話 ガソリンスタンドで、セルフサービス - go-kudoの綱引大好き


第7話 I LOVE NEW YORK !

2025年02月27日 | 旅行

第7話 I LOVE NEWYORK !



(ブロードウェイの劇場 cats)


その夜、ブロードウエイにミュージカルを観に行った。 「Cats」をやっているところを見つけられなかったので、偶然見つけた「コーラスライン」を観た。

ブロードウェイというのは通りの名前でその両側には何十もの大きなミュージカルホールが建ち並んでいる。

通りをはずれたところはオフブロードウエイと言われ、 明日のスターを夢見る若者が小さなホールでミュージカルを踊っているのであります。

「コーラスライン」は映画にもなり、知っている人も多いと思いますが、ミュージカルのオーディションを物語にしたものです。

字幕スーパーも無く、 当然全部英語だったので内容は70%位しか解りませんでした。

僕の周りのお客さんは、ショーの中でよく大きな声で笑っていたのでしたが、 ジョークの意味が解らない私は、 楽しい気分でみんなにあわせてニッコリするのでした。

ミュージカルを観ていて思ったことは、 出演しているダンサー達は、みんなそれぞれ個性があるということ。 10人位が横に並んで同じダンスをしてるんだけれど、きっちりとした同じ動きではないのです。 それぞれ、何か余裕が感じられて、バラバラなような感じなんだけど、 全体はそろっている。 一人一人の動きがすごい、それぞれが同じ動きの中で自分を主張表現してるんじゃないかな。

日本であれば、 「和」というのが大事にされていて、 個人の主張よりは小さくてもみんなが同じく、きちっとしてるという感じじゃないかな?

こうしてニューヨーク見物最後の一日は終わったのでした。



(ブロードウエイ劇場)

ニューヨークでの4日間、1日1日と過ごすごとにおもしろくなっていく街、 すべての文化の最先端を行く街、 すべての文明の行きつく先。

I LOVE NEWYORK !




(ニューヨークハドソン川の写真)


(トランプタワー 現アメリカ大統領トランプ氏のビルです。)

次回からは、フロリダへ飛びます。


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第6話 NYの地下鉄に乗った

2025年02月26日 | 旅行

第6話 NYの地下鉄に乗った


(地下鉄の写真)


今日は、ニューヨーク滞在最後の日です。

ここに来たときから乗ろうか、やめようかと迷っていた、あの悪名高いSubway地下鉄についに乗りました。

危険だとか、怖いとか、本で読んでたけど、せっかくここまで来たんだから、 えーい乗ってやれっ! と、なるべく安全だと思われる午前中に乗ってみました。

(胸のポケットに30ドル入れておく。 ホールドアップされた時に、 これを渡す。 金額は多すぎても少なすぎてもいけない。)

地下鉄の入り口は街角にある、 そこに入っていくといきなり「臭い!」 誰かがここでトイレ替わりにジャーとやるんだろう。 「暗い!」 こわいよ〜。 そして電車は 「汚い!」 電車の外も中もいたるところにペンキでいたずら書きされている。 なにが書かれてあるのかは分からない。

「おどおどしないで、 何気ないふりを装い、 やってきた電車に乗り込んだ。 中には数人の客がいた、さっと見回し、怖そうな人はいないな~と思って空いてるシートに腰掛け落書きを眺めていた。

ふっと、周りをみると私の近くに座っていた人たちが、 席を何気なく離れてゆく。


あれれ、もしかして怖いのは俺か? 汚い格好した謎の東洋人。 落書きを眺めながら時折意味もなく笑ったりしてる、こいつは何をするかわからんぞ!てな感じかな。



(ニューヨークの地下鉄)


そうして電車は「自由の女神」 へ行く船着き場へ着いたのでした。

この船は観光船ではなく、ステタン島という所へ行くフェリーなのでした。 料金は往復で25セントとえらく安い。

たぶん、ステタン島からマンハッタンへ通勤する人たちの生活連絡船じゃないかと思う。

まあ、これに乗れば「自由の女神」のすぐ脇を通るので、すぐ間近に見られるのです。

船の右手のすぐ近くに「自由の女神」を見上げ、 これはテレビや映画の枠から見る映像ではなく、 実際、ここ(アメリカ、ニューヨーク)に来て、同じ空気の中にいるのだな〜などとしみじみ実感した。

グオングオンと船のエンジン音を聞きながら、「自由の女神」は私にどんどん近づいてくるのであります。 後ろを振り返るとマンハッタンの巨大なビルの群が見える。

ところで、帰りにこの船で私は日本人の女の子に会ったのでした。 「あれ! あの娘、 日本人じゃないかな〜、カワイイナ〜」 その娘は船のデッキで英語の雑誌を読んでいた。 黒い髪が風になびいている。

無口で、シャイな私は、 すぐ声をかけたのでした。

「日本のかたですか?」

「ええ」

「こんにちは、一人で旅をしてるんですか?」

「はい、私、ニューヨークは3回目なんです。 ダンスのレッスンに来てるんです。」

「へえ~」

「ミュージカルは観ましたか?」

「エート、 まだです。」

「CATSはおもしろいですよ。観たらいいと思いますよ。」

こんな調子で、日本語、 しかも秋田弁でない標準語で会話したのでした。

そうこうしているうちに船はマンハッタンへ帰ってきたのであります。 



(連絡船からの景色)


船から下りて

「それじゃ、 元気で、 サヨナラ。」 とその娘は、街の雑踏へ消えていったのでした。

その後ろ姿を見送りながら、 私は、 「イイナー、エライ!」と一人感動していたのでした。

「あの娘は一人で自分のしたいことのために生きているんだな〜、」

「夢を追いかけているんだな~」と思ったのでした。

そういえば、彼女の名前聞かなかったな〜





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第5話 NYのライブハウスに行った

2025年02月25日 | 旅行
第5話 NYのライブハウスに行った。



(ライブハウス ボトムライン)


その後、タワーレコードという所に行って、 友達に音楽カセットを買った。 (CDじゃなくカセットというところが古いね〜) ここは5階の建物すべてが、レコード、カセット売場になってる所です。 レコードはLP版で1,500円位でした。

夕方。 (といっても午後10時頃) 今度は、ライブハウスに行きましたよん。

Bottom Line (どん底)という所です。 ブルーススプリングスティーンがここからBIGになっていったいう有名なライブハウスだそうです。

この日は、ステップス・ア・ヘットというジャズグループが出演してました。

かなり有名なグループだそうですが、 ジャズのことをよく知らない私は、ノリのいい音を聞いて、 客の熱気を感じ、すげーなー、 イイナーと、 バドワイザーを飲みながら、のりまくって、ニューヨークの夜はふけていくのでありました。



(エンパイアステートビルからの眺望)


ここで、今までで、 私がニューヨークについて感じたこと。

・ニューヨーク・マンハッタンには老人がいない。

(ここは、熱気にあふれた街で、老人は住めないんじゃないかと思う。

年老いた人は、どこかゆったりした別の所へ行くのかなぁ。)

女性は皆、 同じような香りがする。

なにか、 香水のような、 クスリのような清潔で、クールな香り。)

太った人は、とてつもなく太い。

(日本のデブちゃんが、恥ずかしくて隠れてしまうくらい太い人は太い。

それでいて、平気な顔して、 ハダカで街を歩いてる。)

・赤信号を待ってる人はいない。

(赤信号でも、 車がこなければ、 どんどん交差点を渡っていく。

「自分の身は、 自分が守る。」 という考えなのか、信号をおとなしく

まってる人は、ほとんどいないのです。





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第4話 NYで色々考えてみた

2025年02月25日 | 旅行

第4話 ニューヨークで色々考えてみた



(ワシントンスクエアにて)


7月20日 晴れ

昨日、ぐるっと一回りした中から、 見たいところを周ろうということで、 路線バスに乗り、 1ドル払いのバッテリーパークへ行った。

公園で遠くに見える自由の女神を見ていると、近くのベンチで真っ黒なサングラスを掛けた、ちょうどプロレスのブッチャーのような黒人さんがトランペットを吹きはじめた。

何か簡単なメロディで、 短いフレーズを何回も繰り返しているのだった。

自分も傍のベンチに横になってそれを聞いていた。 そうしていると、周りにはたくさんの人が行き来してるんだけど、何か、「一人ぼっちだな~、 さびしいな〜」という気分になってきたのでした。


トランペットの人、きっと、寂しいんだろうな。


マンハッタンの南端、バッテリーパークから、今度は30分ほど歩いて、途中、ドラックストアでマルボロとオレンジジュースを買い、ワシントンスクエアへ向かった。 今日は日曜日という訳で、ここには若い奴がたくさんいた。

3人でギターを弾いてビートルズを歌ってる奴、 スケートボードで、 逆立ちしたりしてアクロバットをしている少年たち、自分の書いた絵を並べて売っている大学生、ドラム缶をくりぬいた太鼓を叩いてレゲェを歌ってるレゲェボーイズ、耳に安全ピンを刺して、髪をピンと真上に逆立てて、真っ黒なジャンパーを着たパンクの集団、そのすぐ脇で分厚い本を読んでる眼鏡の人。

そして、いました 「日本人」、みんなグループで、カメラ片手にデイバックを背負ってらっしゃる。

そういう自分も、しっかりカメラを持って、バックを背負っていた。



(バックを背負って)


ここではみんなが勝手に楽しんでいるんだ。 流行なんて無くて、 それぞれが好きなこと好きなようにやってるん

だな。おしゃれな人、原色の派手なシャツ着てる人、 ハダカのお兄さん、「ニューヨーク」には「これがニューヨークです。」というような見本が無いんだと思った。

よく「アメリカで大流行!」なんてコマーシャルを日本で見るけど、ここではみんなが同じようなことをするとか、同じような服を着るなんて事はしないんだと思う。

遊びでも大切なのは、 「今、 何が流行っているか」ではなくて、「今、 自分は何がしたいのか。」なんだな。

ワシントンスクエアで3時間くらい過ごしたのだった。



(ワシントンスクエアの様子)
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第3話 NYグレイラインバスに乗った。

2025年02月24日 | 旅行

ニューヨーク編 グレイラインバスに乗った


7月19日 晴れ



(写真:ニューヨークタイムズスクエア)

日本からニューヨークまでの長い長いハードな1日を過ごして、はじめてみる異国の朝。

昨日からの雨も上がり、 陽が差し込む気分のいい朝でした。 ホテル6階の自分の部屋から街を見下ろす。

・「うん、ここはニューヨークだ。」

(7月18日から22日の5日間、 ニューヨークに居ました。)

ホテルから出て、 街の中心地タイムズスクエアに立った。 昨夜の恐怖感はうそのように無かった。

夏の日差し、車の騒音、人の行き交う活気、 整備された街並み、高いビル、 大きな看板、 (コカ・コーラ SONY AIWA CANON、 )、 「ここは、 東京の銀座だな、」と思った。

遅い朝食(ハンバーガー2個とコーラ)を取り、ガイド集をかき集めに、 観光案内所へ行き、 色々なパンフレットをもらった。

美術館、公園、 ミュージカル、 JAZZ、ライブハウス、ディスコ、映画、 プロレス、 等々、 この街は楽しみにあふれている。

今日は、この町の地理と名所の場所を覚えようと思い、 グレイラインバス (観光バス)の 「The Grand Tour18ドル」 に乗った。

このバスは、マンハッタン島を北 (ハーレム)から南 (バッテリーパーク) まで、4時間で一回りするという、幕の内弁当のように、 「なんでもあります、 でもちょっとだけよ。」というすごい内容のツアーだった。

ヨーロッパ方面から来たらしいにぎやかな家族連れ、 アメリカ他州からのお兄さんお姉さん、 南アメリカ大陸からの情熱の人々、そして日本から来た田舎者1名を乗せたバスは出発した。

ハーレムの古びた教会、 ハーレムの街でたむろするアル中の人々、 ジョンレノンが射殺されたアパート、セントラルパーク、メトロポリタン美術館、 世界の高級品店の並ぶ五番街、 ミュージカル劇場と映画館がずらりと連なるブロードウェイ、国連本部、 エンパイヤーステートビル、ワシントンスクエア、 若者の街グリニッジビレッジ、チャイナタウン、世界の金庫と呼ばれるウォール街、 バッテリーパーク、 そしてそこから見えるStutue of Liberty (自由の女神)と、 「ホ~」 とか 「へ~」 とか 「ウォ~」とか言いながら一通り周ったのでした。

さまざまな顔を持つ街ニューヨーク、 崩れて人気の無いビルディング、 銀色に光る高層ビル、 街角でうつろな目をして紙袋に隠した安ウイスキーを飲んでいる奴、 書類の入った四角いバックを持ち背筋を伸ばして早足に通り過ぎる背広の黒人。

これらの物、人、すべて「ニューヨーク」なんだな~と思った。

街の1ブロック 1ブロックみんなそれぞれの顔、方向性を持っていて、昼と夜の顔も違っていた。

人間も善しにつけ悪しにつけ、それぞれの生き方をしているのだと思った。 ふと、 「自由」 という言葉が浮かんで消えた。

バスツアーが終わり、 夕食 (チーズバーガー2個、コーラ)を買いホテルへ帰った。

シャワーを浴びて、時計を見ると、 もう夜の9時だった。 しかし、 空はまだ明るいのだった。




(写真:バッテリーパークから見える自由の女神)
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第2話 ロサンゼルスからNYへ

2025年02月21日 | 旅行

その2  ニューヨーク到着編

さて、どうしたものか? 自分の乗る飛行機は、 もうニューヨークへ飛んで行ってしまった。

このまま日本へ帰ってしばらく東京見物でもしてようか?

ロスから計画と逆周りで、ニューヨークまで行こうか? ロサンゼルスのどこまでも青い空を見上げながら、自分なりに対応策を考えたのでした。

とりあえず、空港のカウンターに相談することにして、係の、かつては痩せていて美人だったろう?オチャンに訳を話しました。

するとラッキーなことに、コンピュータを何度も叩きながら3時のシカゴ行きに乗って乗り換えで、ニューヨークに行く手続きをしてくれたのでした。

「サンキュー、 ビューティフルレディ!」

「OK、 でも、 あなたのおかげで私の昼食時間が無くなったわ。」

手続きに時間がかかり、 もう午後1時をとっくに過ぎていたのでした。

でも、これで一安心、私は機中の人となって自分だけは機内食を食べながらニューヨークへ向かったのでした。

飛行機から眺める夜のニューヨーク摩天楼、いいだろうな、 しかし、雲に隠れて見えなかった。

J・Fケネディ国際空港に降り立つとここはもう、 憧れのニューヨーク。

でも、今の時間は真夜中の午前0時30分、おまけに雨が降っている。

ガランとして、暗く静かな空港内、 そして、 何か重たい空気と薬のような冷たい匂い。

飛行機から降りた人たちは、それぞれ早足にどこかへ消えて行く。

「おっかね~」 気を紛らすために、歌を口ずさんだ。 ♪♪ ~ 雨のニューヨークシティ~ ♪♪

ビリージョエルの曲のつもり。)

すると、体の大きなストライプの背広を着た黒人さんが話しかけてきたのです。

「HEY! ヤングマン、 どこに行くんだい?」

「マンハッタンのワシントンホテル」

「そうか、俺が連れてってやるよ、 一緒に来な!」

親切な人だな~と思いながら車のところへついて行くと、そこには、真っ黒のロングリムジンカーがあった。 やばいかな〜と車の中を覗き込むと、中には、ミニバーカウンターと、 テレビが、 そして、驚いたことにプロレスラーのような大男が一人乗っているのでした。

「まずい! NO サンキュウ。」

私は、こう言うと、すぐに重いバックを持って走って逃げ出したのです。

(アメリカに来てからは、走ってばかりいるな~。)

ようやく、通りかかった本当のタクシー(イエローキャブ)をつかまえてホテルへ向かったのでした。

「おっかねがったな〜」と思いながら、 車の窓から雨のニューヨークの街を見ていると、「今、本当にアメリカに来てるんだなー」と実感した。

運転手が「アメリカにようこそ。」と言ってタバコを一本くれた、うれしかったナー。

ホテルに到着すると、 午前1時30分。

「やれやれ、やっと安心できるな~」と思いながら、チェックインカウンターへ 「日本から予約しました。 部屋は有りますか?」と聞くと、 「オーバーブック!」と眠そうな声。

「WHAT?」

「部屋は無い、12時を過ぎたから予約は取り消しだ。」

「GOT IT (解った)」

ガクンと肩を落として、思いバックをまた担いで、 トボトボ、 空いてるホテルを探して街を歩くのでした。

まあ、運のいいことに、近くに空いてるホテルを見つけ、すこし料金が高いと思ったけど、そこに泊まることにした。(1泊44ドル)

ようやく部屋に入って、バックを降ろし、ドアに付いてるカギを二重に閉めて、私は、 「フーッ!」と深いため息をついたのだった。 時間は、午前2時30分。

後で聞いた話によるとさっきのリムジンカーはやっぱりかなり危険だったらしい。

運がよくてタクシーの2倍くらいの料金を取られるか、運が悪けりゃ、身包みはがされて、ハドソン川に浮かぶことになるらしい。

この先、私はどうなるんだべ~、でも、ワクワクして楽しみだな、死なないように、カー杯、いろいろなものを見ようっと!」

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第3話 NYグレイラインバスに乗った。 - go-kudoの綱引大好き


第1話 1985年 23歳だった もう40年前かぁ

2025年02月20日 | 旅行

今年は2025年 今から40年前に、23歳だった私が、アメリカを旅した時に書いた日記を公開します。

今の時代は、海外旅行なんて誰でも気楽に行ける時代ですが、この頃は割と珍しい事だった気がするなぁ

40年前に若者だった僕が、その頃何を思っていたか、何を感じていたか、ちょっとの間、お付き合いくださいね。

 その1  アメリカへ行きたい

˙起案書 上司殿

「アメリカ旅行のための休暇願いについて」

会社に勤めさせていただいてから6年間の歳月が流れました。

私事ではありますが、 今回、 私の子供のころからの 「夢」でありましたアメリカ旅行を計画いたしました。

「世界の中の日本」、 「国際人」 という言葉をよく聞きますが、今の私にはそれがどういうことなのか分からなく、この旅行で、パックツアーによる受け身の「見物」ではなく、自分一人で主体的に行動する 「旅」で、 生のアメリカを見て来たいと思います。

・世界、外国、日本とは何なのか。

・日本人とは何なのか。

・自分とは何なのか。

これらのことを私は今回の一人旅で見て、考えて、実感して来たいと思います。

旅行の日程については別紙のとおりです。 どうか私のわがままを理解していただきまして、この休暇をご許可下さいますようお願いいたします。

期間 7月18日から8月9日まで23日間

若い感性を持つ今、海外でさまざま経験することは、 必ず将来、自分の人生に大きく役立つものと確信します。

友達の盛大な見送りを受けながら、 大館発の寝台急行「津軽」で7月17日夜出発。

翌18日昼 成田空港からいよいよ「国外の人」となるのです。出国手続きが終わり、 免税店でセブンスターを10個買い、飛行機に乗るまでの間ロビーでこれからの旅を考えるのでした。

英語は通じるのだろうか、学生時代の私は英語のテストでは、いつも赤点君でした。)

車の運転は大丈夫だろうか。 (アメリカは日本と違い車は右側を走る。)

泊まるホテルは見つかるだろうか。(初日のニューヨークの他は予約などしてない。)

「まあ、なんとかなるさ!」 持ち前のほとんど後先を考えない性格を生かして、私は、飛行機に乗り込みました。

  (約10時間 機中にて睡眠)

アメリカ時間 午前11時、飛行機はロサンゼルスに着いたのであります。

透きとおるような青い空 さわやかに暑い太陽!

「来たな~!」私は感激してしまいました。この時すでに大きなミスがあったのでした。

ロスから乗り換えでニューヨークへの飛行機の出発時刻は12時15分、 入国審査が終わったのが12時、「さあ、乗り換えだ。」と近くの係員にニューヨーク行きの GATEナンバーを聞くと、そこは今居る所から1Kmも離れた所にあるのでした。

「シュッワッチ!」 さぁ、 走るはしる、 大きなバックを抱えた一人の東洋人が、 ロスの空港を駆け抜けて行くのであります。 陽気なアメリカ人が、ガンバレと応援してくれます。

そうして、GATEに着いた時、12時20分。 私の乗る飛行機は、私を置いてニューヨークへ発ってしまっていたのでした。

中学生の頃、夢中で読んだ「自転車野郎世界を行く」僕もいつか世界位を見たいと思っていました

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第2話 ロサンゼルスからNYへ - go-kudoの綱引大好き