新聞発表もあったのでご存知かもしれませんが、本日付で退職します。
実は、昨年、某都道府県の教員採用試験に合格しました。
そして、家から自転車で25分のところにある小学校に無事、採用が決まりました。
都道府県内で学校が変わると「異動」ですが
都道府県を出てしまうので「異動」ではなく「退職」→「新規採用」となります。
慣れ親しんだ土地を離れるのはさみしいことですが
今後も長く教員を続けていきたい、と思っての決断です。
わたしの目下の夢は、お母さんになること。
出産、子育てのことを考えると、職場は近いにこしたことはありません。
わたしが教師になりたいと思ったのは12歳のときです。小学校を卒業する一日前。
大好きだった先生が、泣きながら「わたしは先生になって幸せです」と言ったのです。
「先生って幸せになれる仕事なんだ。よし。わたし、小学校の先生になる」
今思うと、相変わらずの単純さです。そして、単純ゆえに思い込みも激しいのです。
中学生のときも、高校生のときも、大学生のときも「先生になる」という
その夢を支えに生きてきました。
大学の授業がいちばんおもしろかったと断言するわたしは、日本では貴重な存在でしょう。
今やっていることが自分の夢に繋がっているということが実感できる授業だったからです。
大学4年生のとき、夢を誓った母校に教育実習をしに行きました。
そのときわたしは、初めて自分の夢に対して不安を抱きました。
「今まで、先生になりたいと思って生きてきたけれど、それはわたしの直感であって
もしかしたら、わたし、全然先生に向いていないのかもしれない……」
しかし、実習が始まったら、そんなことを考えている余裕なんてありませんでした。
ただただ、子どもがかわいかったのです。
子どもと一緒にいられる。日々変わる子どもたちの成長をこの目で確かに見ることができる。
それがどんなに幸せなことか、わかったのです。
「わたしはたったの一ヶ月しかこの子たちの成長を見ることができない。
しかし、担任は、少なくとも3月まで、この子たちの成長を見届けることができるんだ」
そう思ったら、現場の教師がとてもうらやましく感じられて
「わたし、教員採用試験に合格しなくちゃ」
と今まで以上に勉強に力が入りました。
あのときのわたしは、寝るとき以外はすべて、勉強していました。
移動中でも、お風呂の中でも、ご飯を食べながらでも……。
そして、その次の春、わたしが「小学校の先生になる」と決心してから10年後の春。
わたしは、今勤める小学校に、今度はほんとうの教師として帰ってきました。
初めて足を踏み入れたはずのその小学校に、「採用された」でもなく「赴任した」でもなく
「帰ってきた」のです。
楽しい毎日でした。夢のような毎日でした。
あっという間の7年間。つらいこともありました。悲しいこともありました。
しかし、それらをすべて吹き飛ばしてくれる、子どもたちのかわいい声。
まっすぐなまなざし。あたたかい言葉。その存在すべて。
「教師になってよかった」とわたしは、12歳のわたしに胸を張って言うことができます。
「あのとき、先生になると決心してくれて、ありがとう」って。
来年の春に退職を迎える同じ職場の人が、わたしにこう言いました。
「わたしね、かっこつけて言うわけじゃないのよ。ただね、この年になって思うの。
教師っていう仕事は、一生をかけてやってもいい、すばらしい仕事だって」
重い言葉だな、と思いました。37年間、教師をやってきた人の重い言葉。
わたしは7年。まだまだ青いなぁ。だけど、わたしもそんなセリフをいつか口にしてみたい。
そして、もう一つ、その人が言っていた言葉も覚えておこうと思います。
「体を大切にするのよ。教師はね、かわりがいくらでもいるのよね。
悪い意味で言っているんじゃないのよ。ただ、組織の一員だから、仕方がないの。
でもね、平野さん。妻や母親のかわりは、誰にもできないのよ。だから、体を大事にしてね。」
長くなりました。うまくまとまりませんでしたが、書きたいこと、すべて書きました。
新しい場所でも、自分らしく、がんばります。今まで、ありがとうございました。
あの場所で出会ったすべての人に、感謝します。
by みぃ~ちゃん
PS. 次の運動会は「すげーぜ」として、出場できそうです!
実は、昨年、某都道府県の教員採用試験に合格しました。
そして、家から自転車で25分のところにある小学校に無事、採用が決まりました。
都道府県内で学校が変わると「異動」ですが
都道府県を出てしまうので「異動」ではなく「退職」→「新規採用」となります。
慣れ親しんだ土地を離れるのはさみしいことですが
今後も長く教員を続けていきたい、と思っての決断です。
わたしの目下の夢は、お母さんになること。
出産、子育てのことを考えると、職場は近いにこしたことはありません。
わたしが教師になりたいと思ったのは12歳のときです。小学校を卒業する一日前。
大好きだった先生が、泣きながら「わたしは先生になって幸せです」と言ったのです。
「先生って幸せになれる仕事なんだ。よし。わたし、小学校の先生になる」
今思うと、相変わらずの単純さです。そして、単純ゆえに思い込みも激しいのです。
中学生のときも、高校生のときも、大学生のときも「先生になる」という
その夢を支えに生きてきました。
大学の授業がいちばんおもしろかったと断言するわたしは、日本では貴重な存在でしょう。
今やっていることが自分の夢に繋がっているということが実感できる授業だったからです。
大学4年生のとき、夢を誓った母校に教育実習をしに行きました。
そのときわたしは、初めて自分の夢に対して不安を抱きました。
「今まで、先生になりたいと思って生きてきたけれど、それはわたしの直感であって
もしかしたら、わたし、全然先生に向いていないのかもしれない……」
しかし、実習が始まったら、そんなことを考えている余裕なんてありませんでした。
ただただ、子どもがかわいかったのです。
子どもと一緒にいられる。日々変わる子どもたちの成長をこの目で確かに見ることができる。
それがどんなに幸せなことか、わかったのです。
「わたしはたったの一ヶ月しかこの子たちの成長を見ることができない。
しかし、担任は、少なくとも3月まで、この子たちの成長を見届けることができるんだ」
そう思ったら、現場の教師がとてもうらやましく感じられて
「わたし、教員採用試験に合格しなくちゃ」
と今まで以上に勉強に力が入りました。
あのときのわたしは、寝るとき以外はすべて、勉強していました。
移動中でも、お風呂の中でも、ご飯を食べながらでも……。
そして、その次の春、わたしが「小学校の先生になる」と決心してから10年後の春。
わたしは、今勤める小学校に、今度はほんとうの教師として帰ってきました。
初めて足を踏み入れたはずのその小学校に、「採用された」でもなく「赴任した」でもなく
「帰ってきた」のです。
楽しい毎日でした。夢のような毎日でした。
あっという間の7年間。つらいこともありました。悲しいこともありました。
しかし、それらをすべて吹き飛ばしてくれる、子どもたちのかわいい声。
まっすぐなまなざし。あたたかい言葉。その存在すべて。
「教師になってよかった」とわたしは、12歳のわたしに胸を張って言うことができます。
「あのとき、先生になると決心してくれて、ありがとう」って。
来年の春に退職を迎える同じ職場の人が、わたしにこう言いました。
「わたしね、かっこつけて言うわけじゃないのよ。ただね、この年になって思うの。
教師っていう仕事は、一生をかけてやってもいい、すばらしい仕事だって」
重い言葉だな、と思いました。37年間、教師をやってきた人の重い言葉。
わたしは7年。まだまだ青いなぁ。だけど、わたしもそんなセリフをいつか口にしてみたい。
そして、もう一つ、その人が言っていた言葉も覚えておこうと思います。
「体を大切にするのよ。教師はね、かわりがいくらでもいるのよね。
悪い意味で言っているんじゃないのよ。ただ、組織の一員だから、仕方がないの。
でもね、平野さん。妻や母親のかわりは、誰にもできないのよ。だから、体を大事にしてね。」
長くなりました。うまくまとまりませんでしたが、書きたいこと、すべて書きました。
新しい場所でも、自分らしく、がんばります。今まで、ありがとうございました。
あの場所で出会ったすべての人に、感謝します。
by みぃ~ちゃん
PS. 次の運動会は「すげーぜ」として、出場できそうです!