1ヶ月前は、残雪が山肌に凍りつき、
枯れ色だけの風が、白く濁った揖斐
川の流れの上を渡っていました。
「徳山しずまないでくれ」小学校の黒
板の文字が、動くもののいない谷間
に叫んでいるようでした。一本だけほ
ころび始めた桜の花に会いました。(また来るからな)ついそう言って帰
りました。
多勢の仲間と再び訪れた旧徳山村は、萌えいづる若葉の季節でした。山
々は輝くような浅緑に厚く覆われて雄大でした。私たちは二度と立つことは
ないであろう、巨大ダムの湖底となる所に降り立ちました。壊さずにダム底
に残ることになった小学校のあの黒板は、ダム近くに建つ徳山記念館に移
されるでしょうか。揖斐川は昔日のごとく流れ、人の歩いた道が捨てられた
畑の中に残っています。
遠州灘の風を受けて、悠然と舞っていた170町の大凧は
やがて、ラッパ、笛、太鼓、激練りとともに、
勇壮な切り合いに突入してゆきます。
陽が落ちると,市街に移った若衆、町衆の激しい練りが繰り広げられ
100余町の、きらびやかな彫刻の豪華な御殿屋台が引き回されます。
1年の思いをこめて、ちょうちんと、ラッパ、笛「オイショ、オイショ」の
激練りは、あちらこちらで、いつまでも続きます。
昔??・・・小さな浜松っ子連は、ロープのちんちん電車のような
輪の中に集められて,若衆連につれられて凧揚げの会場に
行きました。はっぴ の腹掛けの丼(ポケット)に、母が 上新粉を
こねて作った柏餅を1個いれてくれました。
その柏餅が 大きくて(自分がまだ小さかった・・・)重くて、
おなかの前で揺れるので、
会場に着く前に捨ててしまいました。おなかがすいてしまって、
もらった、醤油めしのおにぎりと、たくわんの
おいしかったのと、母に申し訳ないことをしたと、
今でも・・・思っています。