GMの館

日帰り温泉・ウオーキングとドライブ・ラーメン好きです!! 


我が新潟市のシンボル萬代橋

ウォーキング:鳥屋野潟一周

2020-03-08 13:29:00 | ウオーキング
今朝のウォーキングは何年振りだろうか鳥屋野潟一周をする

曇り空、今日は雨は降らないなぁ〜☁️

自宅から時計🕰と反対回りで約14kmで〜す

【コース 14km】
自宅🏘 ⇒ 鳥屋野潟一周・約10km(弁天橋→鳥屋野体育館→県立図書館→鳥屋野潟公園・女池地区→鳥屋野潟公園・鐘木地区→デンカビックスワン) ⇒ 自宅🏘

自宅から約2kmウォークすると弁天橋です、ここから鳥屋野潟一周のスタート
奥は弁天様のお堂と手前の弁天橋の碑です。

弁天橋のあゆみです👀 ちょっと勉強📖

弁天橋より鳥屋野潟の全景

鳥屋野潟 やすらぎの水環境の看板です👀


桜は蕾、鳥屋野潟とデンカビックスワンスタジアム🏟

スイセンと鳥屋野潟・デンカビックスワンスタジアム🏟

鳥屋野潟公園・女池地区のパンジー🌼です。


デンカビックスワンスタジアム🏟・Heard off ECOスタジアムと新潟鳥屋野潟

上沼橋から全景を見る鳥屋野潟とデンカビックスワンスタジアム🏟

鳥屋野潟公園・鐘木地区の花です🌸


清五郎地区の伝承をちょっと勉強📖

『清五郎地区の伝承』 清五郎地区 一本松保存会 財団法人 亀田郷地域センターより抜粋しています。
 この集落は、寛永十七年(一六四〇)に、八人の農民により拓かれた。新発田に移封された領主 溝口氏の新田開発に夢を託し、加賀の国大聖寺三谷村細坪を後にした八人は、村の鎮守春日大明神を奉じて舟に乗り、この地に到り開墾を始めた。しばらくして仲間のひとり清五郎が病に倒れた。薬を富山まで求め親身に看病したが、ついに帰らぬ人となる。皆は夢半ばにして世を去った友を偲び、彼が愛したこの地を『清五郎』と呼ぶことにした。
 開墾の苦労は想像を超えていた。鳥屋野潟の水も幾度となく押し寄せる。それでも先人達は助け合い、人力で堤防を築き『清五郎』を守り抜いた。石碑の建つ場所は、その堤防の名残である。石碑の隣の松は、清五郎川 川口の目印に植えられ『一本松』と呼ばれた。芦が囲う潟を霧が覆えば、船は方向を失う。かすかに見えるこの松を頼りに、救われた人は多い。舟人が家路を急ぐ頃、佐渡の端に沈む夕日は水面に映えて、満目の水郷は武陵桃源の趣を見せていた。この情景は明治の漢詩に、鳥屋野潟八景の一つ『清里の夕照』と謳われた。
 我々は、この地を見守り続けた堤防と『一本松』を保存し、先人の努力を称えると共に、助け合いの精神が、いつまでも受け継がれることを願い、歴史の一端を石碑に記した。

 平成十九年五月
 清五郎地区 一本松保存会
 財団法人 亀田郷地域センター
http://www.kchiikicenter.jp/intro/segoro.html

新潟は「新しい潟」と書かれた字のごとく、沼地だった。
そこに腰まで水につかりながら田を作り、開墾して出来たのが「新潟」である。
その開拓者の一人が清五郎である。
今の新潟市中央区清五郎地区を開墾して志半ばで病に倒れ、亡くなった。
その清五郎にちなんで、彼が耕していた場所を「清五郎」と呼ぶようになった。
鳥屋野潟の堤防に植えられた一本松の隣に、地元の「一本松保存会」が建立した石碑が「清五郎の碑」である。
その碑に新潟開墾の歴史と共に、清五郎の地名の由来が記されているとのこと。


【万歩計によるウォーク(散歩)データー】
歩数     :17,734歩
消費カロリー :681.2Kcal
脂肪燃焼量  :97.3g
歩行距離   :14.18Km
歩行時間   :142分
平均歩行速度 :5.96Km/h

【万歩計による今日の13:00現在トータルデーター】
歩数     :19,772歩
消費カロリー :733.6Kcal
脂肪燃焼量  :109.0g
歩行距離   :15.81Km
歩行時間   :161分
平均歩行速度 :5.78Km/h


最新の画像もっと見る

コメントを投稿