きまぐれ日記「あばよ昨日、よろしく未来」

西武ライオンズと鹿児島をメインに更新していきたいと思います。

鹿児島弁 その3

2005年10月06日 23時17分33秒 | 鹿児島ネタ
鹿児島弁ネタ、その3です。
この垂れ幕はおしましです。
鹿児島弁・・・改めてなかなか味がありますね(^^)
でも正直あまり使わない鹿児島弁もココにはありますねえ。
また地方によってビミョウに違ったりするし。
とりあえずは堪能あれ!


▲「もぞか」・・・・かわいい


▲「あしたごあんそ」・・・・明日あいましょう


▲「おんじょぼ」・・・・夫婦


▲「おてひきたのしんみゃんせ」・・・・存分に楽しんで下さい


▲「あいがとしゃげもした」・・・・ありがとうございました

ドラゴンさん・まあさん通訳お願いします(笑)

原、復活!そして堀内は・・・

2005年10月06日 00時10分29秒 | スポーツ!
なんども言いますが巨人ファンではありません。好きな選手はいますが。
で、突然の引退をした原前監督が復帰!
これは巨人ファンにとっては朗報ではないでしょうか?
思えば2002日本シリーズの西武ー巨人戦。
見事に4タテをくらったあの試合(ちなみに1990年に西武は巨人を4タテで破って「常勝」の称号を付けられ西武黄金時代があったが)。
あの時の巨人は強かった。
今度の原監督に巨人ファンは期待かな(^^)

【巨人・滝鼻オーナーと握手を交わす原次期監督】
 プロ野球・読売巨人軍は5日、堀内恒夫監督(57)の辞任と、後任として前監督の原辰徳氏(47)が3シーズンぶりに復帰することを発表した。
 滝鼻卓雄オーナー(66)とともに会見に臨んだ原氏は「ジャイアンツに対する愛情、情熱、責任の重さを背負って、最高のチームを作りたい。優勝に向かって全身全霊をかけて戦い抜く」と抱負を語った。
 滝鼻オーナーはこの日、堀内監督の辞意を受け、新監督就任を打診していた原氏に正式に就任を要請、快諾を得た。その際、「強い巨人軍の再建」や「投打のバランス良いチーム作り」など5項目を要望し、原氏も了承した。
 原氏は、野手総合コーチとヘッドコーチを歴任し、2002年に監督に就任。その年に新人監督としては史上6人目の日本一に輝いた。しかし、翌年は連覇を逃し、不振の責任を取って辞任し、球団特別顧問となっていた。
 原氏は会見で「再び監督としてジャイアンツのユニホームに袖を通すことになった。前回も責任の重さを強く感じたが、さらにその気持ちが大きくなった」と語った。
 堀内監督はこの日、「敗戦の全責任は私にある。『敗軍の将、兵を語らず』が今の私の心境」と語った。


【堀内監督が退任会見 「全責任は私にある」】
 堀内監督は、今季最終戦となる広島戦の前に、東京ドームで退任会見を開いた。ユニホームで会見に臨みたい、という本人の希望だった。練習などが控えていたため、わずか7分間で終わった。
 会見では「本日をもって、監督を退任することになりました。選手は一生懸命やってくれたが、この敗戦をかんがみますと、全責任は私にある。退任は普通のこと。『敗軍の将、兵を語らず』が今の心境」などと話した。
 指揮をとった2年間を「守りの野球をやりたかったが、投手が少し不足していたし、投手出身の私が使いこなせなかった」と振り返った。今後に向けて「けがに泣いた選手がたくさんいたが、そういう面を改善していき、本当の力を出して欲しい」。表情を変えず、淡々と話した。
 試合後は「終わりました。長い2年? そうですね。あまりいいことはなかったですから」。報道陣を振り切るようにして球場を後にした。
 清武球団代表の話 「巨人の苦しい過渡期を支えていただいて、堀内監督には感謝している。今季はフロントの補強の失敗、相次ぐ選手のけががあったが、ほとんど愚痴を言わず、黙々と戦っていただいた。今回は敗軍でしたが、将たる器の方だと思います。監督が残されたものを礎にして、再建していきたい」