志賀高原 たかまがはら温泉 白樺林の温泉露天風呂の宿

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6月5日

2014年06月05日 08時23分15秒 | Weblog
天気 嵐なのに日が射している 気温6度

風が強いです。太平洋側では大雨のようですが太平洋から遠く離れていますので
時々雨粒が飛んでくる程度です。写真でも判ると思いますがスキー場も一気に青くなりました。
やはり暖かく、通常ならシラカバが芽吹いて1週間から10日してダケカンバが芽吹くのですが
ダケカンバも一気に芽吹きました。

リフトの話が続きます。
1947年昭和22年に日本初のリフトが丸池に掛かってからずっとリフトは1人乗りと思われていましたが
1970年昭和45年に当時としては画期的な2人乗りリフトが、日本初として私共の横の西館山第2リフト
として掛けられました。2人乗りリフト発祥の地の石碑が欲しいものです。
ただ苗場スキー場にも掛かりロマンスリフトの愛称を付けたようです。
旧西武系は2人乗りリフトはロマンスリフトと呼んでいます。
3人乗りは三角関係リフト?と愛称を付けたか?知らん

それ以降、掛かけるリフトは2人乗りのペアリフトになりました。
旧志賀高原観光開発は一の瀬の開発に注いでおり高天ヶ原の第3リフトつまり今までのサマーリフトを
ペアにしたのは1977年昭和52年の事でした。ちなみに費用1億1千万円の記載がありました。
大卒初任給は9万の記載が有りました。

乗り場を一段落として現在の場所にして第1リフトと並行するようになりました。
当時とするとペアリフトの方が速度は遅いので、冬でもシングルリフトと共存できました。
仲間とリフトの上でおしゃべりをしたい人はペアリフト。1本でも多く滑りたい人はシングルリフトと
棲み分けが出来ました。

リフトの進化がペアのままだったらスキー業界も平和でした。
リフトそのものは、摩耗する部品は常に交換していますので
孫末代まで使えると言われていました。
第3リフト・サマーリフトのように支柱がゆがむ事は、ビルに例えると基礎が狂うのと同じで
想定外の出来事です。

ところが1983年昭和58年に実証実験の名目で自働循環高速リフトが認可になりそうだで
急遽9月に工事を開始しました。23年間使った第1リフトを撤去して工事を始めました。
日本初ですので実際に動かして見て安全面や問題点を検証しないと実用になりません。

12月15日よりスキースクールのイントラや小学生のスキー部の子供たちを乗せて
感想やデーターを集め一般の方の乗車は12月28日からとなりました。
その間、お客様は乗れないので見ているしかありませんでした。
皆さん口惜しがっておられました。

運転開始から20日間は秒速3メートル搬器12秒間隔で1月17日より秒速4メートル
搬器間隔8秒の記載がありました。まさしく実験です。
その時トラブルや問題が発生していれば、日本では時期尚早となったかもしれません。

そのリフトが現在の高天ヶ原クワッドリフトになります。
当初は3人乗りでしたが4人乗りのクワッドリフトに改造変更しました。
あれから31年経ってまさかサマーリフトにも使われると誰も思っていなかったと思います。

しかし高速自働循環リフトに致命的な欠陥?が有る事が判明しました。
その頃は誰もこんな時代になるとは考えませんでした。

私共もよく言葉です。奈落の底に突き落とす、鬼イヤ悪魔のセリフです。
明日に続きます。


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