ジョージのインドネシア体験記

パダン(Padang)という、インドネシア、西スマトラの地方都市での生活体験記。

No.8 大学で囲碁部をつくる(09.06.22)

2009-06-22 12:15:45 | No.0~No.10
 歌や踊りはまるでだめだし、楽器は弾けない、絵心もない。学生のときにはマラソンを走ったりしてましたが、最近はスポーツもあまりしない。と、文章にすると、何にもできないダメ人間みたいですが、まあ、事実そうだから仕方ない。
 こんな私ですが、最近の趣味は囲碁。また、じじ臭いことを、と言われそうですね。でも、琴棋書画の一つですから、立派な芸でしょう。始めたのは2006年の正月ごろから。すでに28歳でした。去年は初段のお免状を取ったと言えば、ある程度はモノになってると言えるでしょうか。今は2段近い力になってると思います。そういえば、書道も初段を取ったような記憶がありますが、小学2年か3年の時の話で、今はロクに字なんて書けません。

 少年ジャンプで『ヒカルの碁』が連載されてたのは、もう10年ほど前でしょうか。日本でも碁を打つ子供が急激に増えて、囲碁ブームが起きましたけど、残念ながら今はまた下火になってしまいました。日本ではやはり、「じじ臭い」ってイメージが根強いからでしょうか。むしろ、そういうイメージのない海外の方が囲碁が盛んになっているそうです。欧米では頭のスポーツとして広く受け入れられているようですし、タイでは『ヒカルの碁』効果で、ほとんど皆無だった囲碁人口が一気に100万人以上になったそう。日本が250万人程度だそうですから、かなりなものですね。最も盛んなのは、お隣の韓国です。900万人以上も碁打ちがいるそう。絶対数は中国の方が多いけど、母数が全然違いますからね。

 私は世間の流行り廃りとは縁遠い人間です。日本にいた時でも、テレビもほとんど見ません。人は人、自分は自分で、自分の思う通りにしていたいと思うタイプです。なので、『ヒカルの碁』がきっかけで碁を始めたのではありません。

 大学卒業直後から緑の地球ネットワーク(GEN)に参加するようになって、ずっと海外に目は向いていたんですが、自分に芸がないってのがコンプレックスでした。そのことを特に意識しだしたのは、青年海外協力隊の活動を終え、チリから帰国したIさんと知り合ってから。2003年から共にGENの世話人をさせていただいたんですけど、自分の能のなさ、芸のなさを痛感することになりました。GENでの活動もそうですけど、協力隊での体験談を聞いて、自分に同じレベルのことができるか?と考えると、できる自信はまるで持てませんでした。

 楽器など、芸の一つもできれば、海外に出て現地の人たちと親睦を深めるのに大きな力になります。そのことは、ワーキングツアーなどで実際に体験しました。で、何かしなきゃな、と思ったんですが、私は凝り性で、何かやるんだったら、中途半端にはしたくない。何かやるなら、しっかり習いたいと思ったんです。でも、楽器か何か習うには、時間もお金もない。私の場合、特に後者ですね。
 そんなある時、家族が点けっぱなしにしていたテレビで、偶然、囲碁の入門講座を見かけました。これなら、と思ったんです。最低限の礼儀はありますが、あくまで遊び。海外の人とするのに、堅苦しさもありません。お金が掛るようにも見えません。碁を打つ子供は算数や数学の成績が上がるってことも言ってました。逆も真とは言えませんが、数学の成績の良かった私なら、上達も早かろうと、妙な自信も持ったのです。蛇足ですが、この時の講師は梅沢由香里さんでした。

 インドネシアにも碁石と碁盤を持ってきました。一先ずは自分が楽しむためです。まだ自宅でネットができないので、対局はできませんが、碁の勉強には使います。
 パダンで、チェスをしてたり、マージャン牌で遊んでいる人はあちこちでよく見かけます。そういうゲームの類を売っている店を見ても、碁は置いてません。タイのような例があるので、ここでは『ヒカルの碁』も知られていないのだと思っていました。
 ところが、日本のアニメの話を生徒としてる時に訊いてみると、『ヒカルの碁』を見たことがあるって子が何人もいる。文化祭以来メールのやり取りをするようになった、ブンハッタの学生に訊いても、前にテレビでやってたことがあるって答えが返ってきた。もしかしてと思って、早速、碁盤と碁石を持って大学に行くと、みんな興味を持ってくれたよう。今は私の持っている物しかないのがネックですが、碁盤はともかく、碁石の調達ができるようになれば、広まる可能性はありそうです。