堺の不動産屋さん

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ハツラツ

2010-08-02 | 食す営業マン ザマ様のページ

彼は1985年3月27日に誕生、2010年7月3日に生涯に幕を下ろした

怪物二世と呼ばれ、男性だけでなく女性に人気があった。彼の名はオグリキャップ。

地方の笠松競馬場から中央競馬に進出。4歳(現在の馬の年齢計算では3歳)で、

中央競馬会のトップに君臨。そのサクセスストーリーにファンも共感。

人気が爆発したのである。生まれた時は、名を「ハツラツ」といい

「怪物がいる。」と話題となった。笠松時代は12戦10勝で終わるのだが、

所有馬は手放さないのがモットーであった初代オーナーは小栗孝一氏。

中央競馬から多くのスカウトがあった怪物。しかし、小栗氏は断り続けた。

そんな中、熱心に中央進出を進めた人がいた。その人こそ二代目オーナー

佐橋五十雄氏である。「笠松の小栗で終わっていいのですか。」

小栗氏は、中央の芝が合わなかったら笠松にすぐ戻すという条件付きで

2000万円で売却をした。裏話だが笠松時代の厩舎鷲見氏は、小栗売却のため

悲願の東海ダービー制覇の可能性が断たれたことで、笠松ラストラン後の

記念撮影をボイコットしたという。しかし、鷲見氏は中央デビュー後は、

オグリのレースを欠かさず見たという。佐橋氏が、脱税で馬主資格を失うこととなり

3回目のオーナーチェンジ、近藤俊典氏に売却することとなる。後にわかったことだが、

売却額は2年で5億5000万円、さらに佐橋氏の所有する種付け権1株が近藤氏に

無償で譲渡された。この契約には、引退後佐橋氏に所有権を戻すという

条件付。実質の名義貸しと噂になった。当時は多額の費用がいるオーナーは、

3ヶ月に6レース出走。評論家の大川氏は「この過酷スケジュールでオグリは終わった」と

述べた。実際その年の有馬記念で5着と敗れたのである。オグリキャップのオーナーは

金に踊らされ、またG1級の馬では非常に珍しい主戦騎手の変更の数。ファンも魅了し

3度も馬主がかわり、グレードレースも5人の騎手が騎乗、また引退式を3っつの競馬場で

おこなった馬でもあった。彼は25歳の初夏。放牧中に骨折、そのまま亡くなった。

北海道で行われたお別れ会には多くの方が献花したという。彼は怪物から伝説となった。