がんばれ福島原発!

福島第二原発の建設から福島第一原発のメンテナンスをしていた経験から、現在苦境にある福島第一原発の現況を分析し、応援します

水素爆発直後を東電社員ら証言・・・河北新聞より

2012年03月21日 | 原発
東京電力福島第1原発事故のさなか、現場の東電社員や協力企業の作業員は、相次ぐ水素爆発や被ばくの恐怖と闘いながら

過酷な収束作業を続けた。連鎖的な危機に陥った原発で何が起きていたのか。中央制御室など原発中枢にいた社員、作業員ら

への取材で、当時の様子が浮かび上がった。


余震が収まった次の瞬間、爆発音とともに押しつぶされるような風圧が1号機中央制御室を襲った。

昨年3月12日午後3時36分のことだ。

「全員マスクを着けろ」。当直長の大声が制御室内に響いた。不眠不休の作業の疲れから全員が息苦しい全面マスクを外し、

放射線量の高い1号機側を避け、2号機側の床に座り込んでいた。横たわっていた人もいた。

「人は大丈夫か。何があった」。免震重要棟会議室にある緊急対策本部から有線電話が入る。当直員十数人も何が起きたのか分からない。

天井は崩れ、風圧で開いた扉がゆがみ、動かなくなった。線量は毎時100ミリシーベルトを超えた。

当直員が1号機原子炉建屋の水素爆発を知るには、さらに数十分を要した。

「集合写真を撮ろう」

自分の持ち場で黙々と収束作業を続ける当直員たちの中で、1人が声を上げたが、誰もが「疲れて動けなかった」言いだした本人が

カメラを手に一人一人の姿を撮影し終えると、間もなく、「中央制御室に2人を残し、免震棟に集まれ」と指示があった。

「非常扉から外に出て状況を確認しろ」

14日午前11時1分、3号機原子炉建屋が水素爆発。対策本部の幹部が3号機中央制御室に指示すると、同じ会議室内で

作業員が大声を上げた。

「そんなことできるわけないだろう」

3号機周辺の放射線量は毎時数百ミリシーベルト。外で作業をしていた東電や協力企業の社員、自衛隊員11人は飛び散った

がれきなどに当たって負傷した。

免震棟にいた協力企業の作業員は「生きた心地がしなかった」と振り返る。

16日未明には、自衛隊ヘリが原子炉に水を投下する冷却作戦が浮上。「投下目標」を照らす決死隊が募られた。

「現場に行ってくれる人間30人が必要だ。前に出てくれ」。会議室の円卓に陣取る幹部20人以外ほぼ全員ということだ。

放射線量の高さから未明の散水作戦は延期されたが、危険な作業では志願者募集が繰り返された。

社員や作業員が集まる免震棟では、傷病者が相次いだ。意識を失い起き上がれなくなった東電社員が、第1原発内の医務室に運ばれた。

「怖い、怖い」と言って震え続けていた人は、精神疾患が疑われ、福島第2原発の医務室に搬送された。

作業員の1人は「原発は1カ所に一つだけにすべきだ。複数の原発が一度に非常事態に陥ると、膨大な作業に要員が追いつかず、

個々の作業員の被ばくも深刻になる」と指摘する。


電源喪失し、建屋内は真っ暗な中で、普段は全く放射線量が急上昇するという究極の環境を考えただけで身震いがします。

放射線という見えない敵には、立ち向かう術は無く自己犠牲という究極の選択を問われた現場・・・

本当に頭の下がる思いです。

事故から1年が経っても、燃料の状態が確認できていない・・・・・制御出来ないままに「事故収束宣言」

そして、原発の再稼動へと動く政府。。

作業員の最後の言葉が確信をついている・・・


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