鉄塔を人が建てるとすれば、環境のすべてに配慮し人の目にはつかない場所に設置します。これも非常に非常に高い所での人の危険な作業、またネジも非常に特別で、より精密正確でないといけないそうで、さらにとんでもない力作業でしょう。また、人里遠いところに資材を運び入れて確認作業とともに進めたりで、建設には 着工からだけで かなりの期間を要します。(たしか2年とかの単位)
いくら人目につかない山奥とはいえ、そのようにしてしっかりと建てられた鉄塔は、デザイン安定感に優れ、立派な建造物として親しみを覚えます。
あ、申し遅れましたが、これも見聞ごとなのでした。世紀末頃かな⁇
日本は、たいてい何でも最高水準の規格で統一されていますが、その後、同じ形の鉄塔を見たことがありません!
かたや
どこにでも、見かける鉄塔は、否が応でも視界の気になるところに入ってしまう。突如現れたり、距離変に密集したり。(悪の通信関与に無関係かどうか知らないけど)
電信柱や電線も照明も、本来、熟練の人のとても危険な作業で設置されたり管理したりしていました。
電柱の 構造安全に統一した正確な 電柱の太さ高さ、電線の 厳密に計算された張りを持たせる長さで、通行や見た目に支障なく設置してありました。こういった公共設置物は計画性をもっているので、美観地区のように埋め込まなくても、当初は さほど気にならなかったのですが、悪の変容が起こりだすと、突如 次々と見た目や移動を 遮ってきました。
直線だった道が狭くジグザグになるのと合わせての誤魔化しか、一定だった電信柱の長さや太さや素材にバラツキが出てきます。
とうぜん電線の長さは管理と一致せず、それらをごまかすためであろう倒木で電柱ごと倒していたり(近所の方がその様子の写真を撮ったら直後から長い期間消えていたらしい)、さらに何も作業がない間に、おそらく不必要な黒く太くめだつケーブルがだぶだぶに発生したり😰
悪は巨大強盗を、日常の景観までグロテスクにおきかえて、生活や心身により危害を重ねてくる残忍さ。
音もなくヤるわけですが、もし音に表現したら、つんざかれる耳がいくつあっても足らないでしょう。
ニュースになるところももちろん大変なのだけど、それはほんのわからされる一部。
ニュースになるから忘れないのではなく、日頃から常に何事にもまじめに向き合い忘れなければ、巨大深刻な実態がわかることなのだけど。
一例では交通事故など 問題対処には、実態すべてがわかっていなきゃ絶対、間違うから、かつての人間社会では ちゃんと気付ける人が重宝されたのに、
実行犯にして黒幕の 悪 の支配の現世ともなると、逆に 気付いたり思いやったり対処しようとする人間を変人扱いして強烈に排除してくるようになるんだからなあ。。。
心と身体への、悪からの虐殺・・・あとをたたないです。
ところで
かなりの広さを誇ったN県の距離、一昔前に比べ三分の一くらいになったようです。
古くから暮らしていたような方々は、消えてしまってきています。(残酷すぎて、言葉にするのは控えます。)
残された様子からは、けっきょく逆のことくらいしかわかりません。
そんな強烈な傷みを思いやるどころか、しかばねの上にのっかって追い打ちをかけるような言動は、絶対にもう つつしんでもらいたい ‼
そういう状態の方の 本当はの、突き刺すような極悪非道の表情は、
空虚を覆うようにした表面からは見えてこないのでしょう。
音もしない強奪受けと同じに。。。
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