実力を持つにあたって、母は申し分ない人だったようだ。
背も高く、親のその時代にあっては男に生まれていればと、自他ともに思っていたわけ。
それが、母が言うに、祖父が鶏頭牛尾などと判断して、県内の女子大になったと。
実際、本人曰くかなりバイトや遊んでの、首席で卒業、
けっきょく祖父が手元から離したくなかったり、
約束の入金が無いことが多かったという経済的な事情であったと推測され、
鶏頭牛腹くらいだったかも...
その母の実力が、ある程度くらい反映されていないとおかしい(?)私にあって、
母にはさまざまな場面で煮え湯を飲まされたり、赤っ恥みたいになったり、
妙な悔しさを感じることになったのは、想像に難くない。
背が高いせいで選ばれてしまう…と、大人になってからもPTAなど代表的なことからはずれることなかったり、社会貢献もきっちりでうちはうちと言いながら社会の流れには沿い、慕われるほうだった、なのにこの娘ありのそんな母も、最期は
私がわかってきた実の過去を、むしろ喜んで優しく理解してくれた。
・・・うそのうえには美化なんてできない的我儘な私の言うことを。
私にとってはこれが最高の母の武勇伝だけれど
蛇足でいろいろ ;
絵はもともと本格的な趣味。若い頃から全国的な展覧会などでも必ず賞をとるようだった。
評価対象主流の油絵よりも、水彩画のほうを好み、私の子どもの時分にはそれらもれなく特賞だった。
ただ絵画の潮流には、違うモノに注目するようなものも出てきたりと、絵を本腰にするには気勢をくじかれていた。
母のテニス歴は長いし、どの場所にあってもテニス交流をもっていた。
暑い土地でも、自分が暑い側のコートをすすんでとって現地の人に日陰の涼しめのほうを譲ったりしていたのを私も見て知っている。
試合をやれば優勝で、セレモニーなことやってるので見りゃわかるのに、「お母さんは強いのよ」と、わざわざほかのおばさんから聞かされた。
こんな母から、どうやったらこんなことになる子が・・ (ホットケーキ)
え、たいした武勇伝じゃないって?
こんなのもありまっせ。
母もずいぶん高齢になってきたなというところ・・
母と2人だけで昼食をとっていた時、
なぜか1匹の蝿が飛んで(た)・・・
それを母がお箸でひとつまみ。
・・・
キタナイって?そこじゃない。
御存知ですか? これ、宮本武蔵の逸話ですよ
それを、目の前で母が実演しちゃったんですよ
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