ずっと、釈迦には説法ごとで申し訳ありません。
人間のありようを正しく導く方向に関わるものには
すべて
改ざんや、多くの人の記憶違い事 がついてしまった
それを、
どうやら、体感と理解の両方で お分かりになる方も少いようです。
私の文章が正しく残っているとして、
共感で喜びあえる人がめったにいないとすれば、
見たい人、見れるべき人が、見れていないということだし、
はっきりと真剣に受けとめられない人が相当数いるとすれば、
何もかも報われず
絶望に向かうしかないわけだし
😢悲しい気持ちでいっぱいです。
現在、
悪の都合で失くされたり変えられた記録物 探してもしょうがないし、
その根本を考えずに、悪の仕向けに倣って似たような事をくりかえしていこうものなら、大間違いになるしかない・・・
直に会える可能性がある人の記録物が唯一の、、、
でしたが、もう難しそうです。
悪によってさしだされた逃げない、逃げれない人を非難・排除するのではなく、
どういう事がちゃんとしている事か、
悪いことを悪いとできない事を、はずさず見極めねば
本当にありがたかったことはまたズタズタになるばかり。
NO という対象は、人間等ひとくくりではなく、具体的に悪くしたこと。
改竄と同じ目的を持つ なりすまし的な人は一時的に排除する必要が、
場合によって出てくるけれど、
これを人一般に当てはめたら とんでもないこと。
善悪の判断は家庭や視聴覚など教育に由来するところが大きいながらも、
相手が自分と同じ人である
というのが、考える基準ではないでしょうか。
なりすまし員や酷い催眠術にかかる人は、つかまえておきようもなければ、説得される気もない。
いつ改ざん物の投入があったか、自分の覚えとは違う予測してもらえないことにくるので、よほど繰り返し煮え湯を飲まされなければ、まず同じ改ざんごととして特定できません。
催眠術にかかったかどうかを自分で判断する必要があるとすれば、継続的に人をないがしろにせずに、判断できているかにかかってくるのだと思います。
そういえば、
この、連続、継続的に自分自身で判断 というのは学校で習ったことでした。
* * *
指摘してきた改竄(原子移動的なもの)や催眠術(脳操作)は、
隠されてきた特殊方法で完全犯罪が可能とされた主要技術をいいます。
被害者側の立場で、真実を求めるたゆまぬ責任によって 実態と情報を見極め、
証明したものです。
現在、防御法は無いと考えるしかありませんが、今後は
対処を根本的に誤らないよう、社会的認知が急がれます。
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