goo blog サービス終了のお知らせ 

報告ときどきピアノ

事実継承した時代証言者/永い目のリアルタイムでご覧を

前の記事つながりで お伝え 追記:13:38,14:19,19:11,21:17

2025-02-24 10:41:15 | 日記

本日前の記事ある遅まきコメントから--狙われてきた日本国憲法(追記 6:38,9:41)もよろしくお願いします

 

第二次世界大戦後、アメリカ合衆国は日本を一部軍事基地として占領。

 

(その後アメリカは、)核兵器など軍事力をもつ口実に、国家の警察を名乗っていました。

しかしその後、軍備を持てば、中東もアジアも間違い引き起こされる好例ばかりでした。

 

日本に武器を用いた末の生の惨状は、アメリカとしても非人間性、残酷性を問われる手痛いものであり、日本が背負った被害を多少理解したようです。(昔の映像なら、マッカーサーの着陸時と日本滞在後で完全に様子が違うことでもうかがえました。)
アメリカは 当初 限定的にした占領地を、武装、軍事基地にあてた…。

 

日本おける米軍基地は

アメリカは、「日本が再び軍攻撃を持たないか監視する」という口実に

日本は、武器を手放すことで全滅や全面占領を免れたとの受け入れで

の折衷案だったのです。

ところが日本を攻める口実にした日本の先制攻撃の被害を はるかに上回る原水爆実験と称された漁船の被害にすれば、
アメリカにいつまでもパールハーバーと言わすのはナンセンスということになってしまう。

国家の警察たるアメリカだったはずが、実験と言ってる国に意見しづらくなる・・・ついに誰も自国ですらも国家の警察だったなんて言えなくなってた

・・・軍事力でもって何一つよいことはない

という歴史結果です。

 

   日本における米軍基地は、当初から日本に矛先を向けるためのものであって、日本を守る機能はなんら持ち合わせているわけではないことは、近況でもはっきりしていることです。

 

日本との協力ができたのは、他ならぬ

大使館の 重要機能 あってのことでした。

かつての 東京六本木は 各国のセンスの良い各大使館が融合的に建造されていた、世界でも目を見張るほど美しい場所でしたが(かつて戦争で焼失した祖父の家があった我が本籍の近似点とそれだけ、現地で父から聞きました。

ご参考『こちら、書いた後で思い出してきまするに、どう考えてもあの時も白羽の矢のことでした。社会人になってからのことで、うーん、1993年くらいでしょうか。教員の代わりが父だったようで、家族の中で私だけあえて場所を指定されて門構えなど見る状態を作られたんです。直後はどの国だったか少しでいいから覚えといてなんて言われてけっこう何か国か覚えたのを 覚えてるのに、国名がぁ😭🙇ごめんなさい、記憶定着してません。また一生のうちで大使館街ともいえるその状態の時に現地に行ったのはその1回限りで、使命をもう一つわかってなかった私は、すごーい、こんな所に住みたい、お国柄がおもしろーいのテンション、たしか1件くらいは限定で中に入れてもらえ女性の方にご案内いただいたっけだけど、それがどこの国かすら😭ばかあ。でも名前にしても先日のブログ(明日香の地で)の文章にしても、覚えておこうとした具体的なこと、復唱までしていること、カケラも残っていないというのは、責任転嫁するわけではありませんが本当の話、当時から十何年かまでは覚えたことを忘れるケースがまるで くらいに無かったことを思えば、記憶からすっぽぬかれたなあであります。ずっとちゃんと覚えておける自信満々ですらあったんです。高松塚のときのように、学習で前講釈がちゃんとあってというわけでなく、遊びに来てた感覚もあったり、当然、またいつか同じ場所に来れると思っているわけで、ちょっとばかり真剣みが⁉…。そういえばでその時父母そして父はやはりいかにも(国?)な人達に説明されているようなときもあったし、その方がまた私を直接案内してくれたりだったのですが、私の気持ちはここで父の昔話を聞いておきたい だったのに、父が言葉を発するのを避けてたようなことで残念に思ったという印象しか。今から思えば、あえて言わないように指示されてたんだなと。少々坂道はありましたが、歩いていて何も苦にならないくらい移動しやすい街路、それぞれ広い庭もあり 大使館どうしは十分な間隔がありましたので、近くても隣接しているようなイメージはありませんでした。その広さをまわっただけでも10は超えたと思いますが、そう💧ここは覚えておいてと頼まれた国の大使館が3つほどあったんです。ぁぁぁ、悔悔💧、、、😿』)

昨年、同じ場所だったはずの所を回ったところ、何の面影もなかったのです😨😭 (このブログのピアノ動画に一部紹介しております。)

ライシャワー氏など、優れた人格者のアメリカ大使が メディアにに しばしば登場し、日本に理解を示してくれたことで、日本も、巨大な我慢ができたことを、形に残っておらずとも、どうか、どうか、知ってください!忘れないで下さい。

また、あのような立派な世界空間があったことで、世界各国の親交や情報交換や、そのバランスが保たれたこと、当時 各国お国の代表は、とても素晴らしい文化人で優しい人格者だったことも。

 

 

追記 ⁕  私の証言について、裏情報をとろうとなされても、人物のことはまるで違うように言われていたり、時期を違えてあったりと、とにかく証拠改ざんが必ずあるはずです。私の場合は身に染みつくようにして経験していたことからのお話ですので、リアルタイムでご存じない方は こちらがちゃんと現実根拠をもって申していることを、どうかブレなくお受け取り願います。

むしろ、お調べになったりの後情報記録は、顔写真すら仕入れないようにしてください。せっかくの証言が無駄になってしまいますので。

もう少しほしい情報やご質問でも、あるいはリアルタイムで思い当たりの方は同意事項でも、コメントくださいますと幸いです。

なお、のっけから随時 改ざんが入っているもよう、気づき次第訂正しておりますが、もし読み進むのが困難とお感じの場合は、いったん飛ばしてお読みになるくらいがよいかもしれません。私もけっきょく原文が再現できなくなるくらいの発生あって、記事開くたび💦💦💦…しております。

ほんとに申し訳ありません

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある遅まきコメントから--狙われてきた日本国憲法(追記 6:38,9:41)

2025-02-24 06:51:12 | 日記

いつも楽しいブログに、コメントしましたが、時刻が遅くなってしまったので、こちらに私のコメントの写しを。

過去のわがブログでも、これと同じ事を申していますが。

 

たぶん 日本国憲法は、

民から搾取しようとする側

戦争させたがっている側は

悪(傀儡政府、被催眠術者を含む)で、同じ

と、結論づいていたんでしょう。


ちなみに(戦争)特需 というのは、あくまで

他国が 戦争していている場合のことです。

 

自由な貿易ができるほうが、それだけ疲弊することなく発展するから、

戦争のあるなしだけで相対的に大きな差ができることに加え、

 

当国で戦争していることで 内部供給に手がまわらずなど  当国内経済に 滞り(とどこおり)が出る ので

近隣国に供給を求めてくるから、

近隣国には 売り先(需要)が  一時的に 増える

という単純なこと。

 

将来のため、効率の良い貿易や生産のことを考えたほうが、どの国にとってもよいのに。

 

戦争を認めるなぞ、

人類の巨大な愚行(愚の骨頂では足らない)ですが、

国や 国の産業にとったって、何一つよいことはありません。


ついには洗脳いきわたってて、他国に戦争させようと考える極悪人間ができてこないとも言えませんが。

ちなみに、当初からアメリカなど他国が日本に軍備を期待することなどは別になく、悪側がメディア上に(催眠術による首相言わせと その変質問題化させての固執報道で)作った幻惑事に、悪側がお金と軍備を結び付けさせようとする発端がありました。

偏り報道で あたかもそう(軍取引でも?と)思っていることに意味があるかのように見せかけ、これを日本はそれまでまるで(軍備)求められてきたがごとくに 相手国をも逆に洗脳することになり、お金を軍備にあてることを互いに求められているかがごとく他山の石 埋め込みにより実体化せんばかりに、悪が 重層 重複で 扇動、洗脳してきていた現在です。

どうもそのいやな予感は当たってきてしまいました。

催眠術一つに、どれだけ悪側の意図がもりこまれては固執しているかの顕著な一例が、過去(中曽根氏在任中)にも あります。

このことですり替えられた もう一つ大きなことがありました。

記事を次に分けます 前の記事つながりで お伝え 追記:13:,14:,19:,21:

 

自国が戦争に首を突っ込んで、人命的なことだけでなく

経済や文化に支障がでない国はありません。出まくってます

 

北朝鮮のおよそ一都市以外は とんでもない飢餓や惨劇だったそうです。

周囲も戦争に首突っ込むようなことなので、相対的にそれほどひどく見えないのでしょう。

 

でもこれ、日本にも言えます。

口封じのまま、消された町村が、わが親戚の村だけでない可能性は十分にあります。

つい昭和のある時期までは日本を代表する企業でも、平成に入ると聞かれぬ間に廃墟になっていましたし、中小企業はもっと激しいのです。

私には、知る限り 悪側による犯罪介入や〇人があるからにしか見えませんでした。

 

現在、昔とは 変わり果てた場所を見るに、

昔の人のぬくもりからできていた すばらしい良さを残さず、

じっしつ 屍(しかばね)の上に 屍で築いてのし上がったような場所を

見るに堪えないのは、もう、私だけなのでしょうか?

どんなに不遇にする相手でも、お葬式だけは一致協力惜しまなかった かつての最低限あった日本の思いやりの心を、求めてもよいでしょうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする