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パワースポット探索~滋賀方面 山津照神社(やまつてるじんじゃ)~

2021-03-03 12:00:00 | パワースポットと癒しの旅

2021年2月27日参拝。

満月(スノームーン)の日

 

一見、何の変哲もない感じがするのですが…

どうして、どうして!なかなか意味深い神社で

古墳の出土もあり、天皇にまつわる古社だというのがよくわかります。

今回、一緒に参拝したメンバーはそれぞれに日本武尊と少なからず縁を感じているようなので

尚更違った感動があったようです。

創建

奈良時代息長氏祖神を祀って創建されたといわれますが、創祀年代不詳です。

ご祭神

国常立尊(くにのとこたちのみこと)。

鎌倉中期に後鳥羽天皇が宝剣を奉納したと伝えられています。

『延喜式神名帳』に記載されている式内社である。

越前国の帆山神社の分霊と伝わる。仁寿元年(851年)正六位、

貞観8年(866年)正四位下の神階を賜ったという記録が残る。

明治14年(1881年)郷社、大正10年(1921年)に県社に列格した。

広々とした空間は、気持ちをゆったり、のんびりとさせてくれます。

拝殿の裏側の本殿も直接お参りできますし、見ることも出来ます。

横手にこんもりと盛り上がった所があり、そこが古墳あとのようです。

この古墳は明治15年に発見されたもので、旧坂田郡の豪族である神功皇后の父「息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)」のお墓であるといわれています。

周囲は竹やぶで覆われ、しっかりと守られているような感じします。

 

拝殿の裏手にも回れます。

左手奥に「春日社」と「北野社」が鎮座しています。

上記の境内の絵と実際の風景に結構違いがあるので返ってわかりずらい(笑)

本殿の横に特に素晴らしい気の流れがあるようですが(写真の人物が立っている場所)

ニノには全く感じられません💦

いつもの事ですが(笑)

【写真】なぜかどれも靄がかかったように写っているので一番マシなモノを掲載(^_^;)

横手からも本殿を眺めることが出来ます。

とにかく素晴らしい空気とエネルギーを沢山感じてください。

理屈なんていりません。

たくさん気持ちがいいと思ったら、癒しのエネルギーがあなたに流れてきた証拠です。

 

【境内社】青木神社(氏子さんの神社?)

本当は、ここに写真を上げるだけにしよと思ったのですが、

あまりにも、あまりにも・・・だったので、べっこに記事をあげました。

 パワースポット探索~滋賀方面 青木神社(山津照神社境内社)~


若宮八幡神社


(上記石碑を文字におこしたのですが、所々読みにくい箇所があり、間違っている可能性もあり)
山津照神社は、古社にしていにしへこの地に勢力を有した息長真人家の祖先を祭りし神なり。

かかる名神の鎮座地にこの古墳あるは尋常貴人の墳墓にてはあらざるべし。

土地の伝説に神功皇后の父君「息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)」の墳墓という。

明治15年8月社殿移築に際し参道拡張工事中、忍然発見し古墳中より発掘された出土品は、古陶器鈎馬具水晶等多数の遺物あり。

山津照神社古墳出土品(滋賀県のホームページ)

今回はご紹介しませんが出土品や古墳の詳細が知りたい方はぜひご覧ください。

参道拡張工事で発見された前方後円墳の山津照神社古墳は、息長氏一族で神功皇后(じんぐうこうごう)の父、息長宿禰王(おきながすくねおう)の墳墓といわれ、横穴式石室から鏡・埴輪・金銅製具・馬具・刀など多くの副葬品が発掘され、それらは貴重な文化財として宝物庫に納められています。 また、5月5日の祭礼には「武家奴振り」が行なわれています。

青木館

式内社山津照神社の別当職だった青木氏の城。

「善性寺」のある小尾根が本郭で、その南には通称「御殿」と呼ばれる一画がある。

青木氏の実態は定かではないが、関東武者青木氏の流れをひくもので、

「佐々木南北諸士帳」には「青木庄能登瀬住 佐々木浅井随氏青木筑後守」の名をみることができる。

 

あちらこちらに菊の紋があります。

古墳が神功皇后の父親だとされているなら、当然か・・・とも思いますが。

 

ちょっとお勉強のヒント

そんなバカな!!と歴史好き、神様好きの人は思うかもしれませんが
似たような名前や読み方があって、頭の中がゴチャゴチャしてしまう方はいませんか?
・・・ということで、知ってて当たり前だけど意外に忘れていること・・・というのをあげてみました。
頭の中で整理しながら読んでみてね。


神功皇后(じんぐうこうごう)
日本書紀では「気長足姫」(おきながたらしひめ)、
古事記では「息長帯比売」(おきながたらしひめ)と記されています。
仲哀天皇の没後、懐妊のまま朝鮮半島に遠征し、帰国後に応神天皇を出産したといわれています。

皇后というくらいだから天皇の奥さんのはず。
では神功皇后の夫は?
記紀に伝えられる仲哀天皇です。

もう少しだけ詳しく朝鮮半島の遠征について述べると
仲哀天皇が熊襲を討つため九州に赴き筑紫の橿日宮(→香椎宮)で急死すると,
同行の神功皇后は妊娠中にもかかわらず,武内宿禰とはかり新羅に遠征,
新羅降伏後筑紫に帰ってホンダワケノミコト(応神天皇)を産んだという。
この遠征の結果,百済と高句麗も日本に帰服した。

皇后は大和に戻ってほかの王らを討ち,応神天皇を皇太子に立てて,
約 70年間皇太子の摂政としてみずから政治をとったといわれる。
また『日本書紀』は皇后を暗に『魏志倭人伝』にみえる女王卑弥呼に擬している
。陵墓は奈良県奈良市の狭城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのへのみささぎ)。

神功皇后の子供は?
応神天皇(おうじんてんのう)です。。
弓矢の神様とされていて八幡宮のご祭神です。
『日本書紀』での名は誉田天皇(ほむたわけのみこと)。
この天皇こそが実在した可能性が高いと一般的には言われています。

神功皇后の両親について
父は開化天皇の玄孫(やしゃご/孫の孫の意),母は新羅から但馬に来住したというアメノヒボコ(天之日矛)の玄孫タカヌカヒメでいわゆる三韓征伐物語の中心人物。

山津照神社とのかかわりは?
ここの古墳は、神功皇后の父「息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)」のお墓であるといわれています。
開化天皇の玄孫(やしゃご)

 

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