先日
佐高信のエッセー集を読んだ。
その中で彼は何度も
司馬遼太郎をこき下ろし、
城山三郎を絶賛していた。
僕は最近歴史物が嫌いだった。
過去の史実に直接関わって経験していない人が、
勝手にそれを解釈し美化し,
ただそこでそれが起きただけの事を物語化してしまう。
そしてその極解された美しい物語は
さもそれが唯一無二の真実であるかのように人々の心に刻みこまれる。
それが嫌だったし
僕自身も読めば必ずその本の影響は少なからず受けてしまうので
良いバイブレ-ションを僕に与えてくれる本とそうでない本を
区別し意識しながら読んできた。
前出の
司馬遼太郎はやはりあくまで歴史「小説」家で美しい物語を書く人なのだ
しかし
城山三郎の史実への寄り添い方は全く違った。
大原孫三郎という人に、実際に触れた事がある人、あるモノ、ある本に、
愛情を持って丁寧に丁寧に寄り添って、過度に物語化することなく、
引用文と事実を大事にしながら、
大原孫三郎という希代の実業家の像を、
編み出している。
この歴史への寄り添い方、ステキ。
城山三郎の本これからもちょっと読み込もう。
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話は変わって大原孫三郎という人について。
この人は耳学問に徹底し、それがすごく器用にできた人。
僕は今まで耳学問の人をあまり尊敬できなかったのですが、
耳学問した上で、本当に自分でそれを咀嚼し、
本質を掴める人というのはいるのですねぇ。
そして、耳学問をするには一旦自分を空にして、
その人の話+人格をまるごと受け止めて、
それから咀嚼する必要があるのですなぁ。
そこに僕は一番感銘を受けちゃいました。