長谷川洋三 早稲田大学名誉教授による巽先生の般若心経講和の調査
長谷川洋三 早稲田大学名誉教授は、一時期、神戸の巽直道先生の所に出向かれて、巽先生の般若心経講座と大明呪による苦の解消を調査されました。
その調査内容は、長谷川先生の下記の般若心経の研究書のp.151~p.156にまとめられています。
『般若心経』の研究―これは大懴悔の経典である
著者: 長谷川 洋三
1934年、新潟県生まれ。1959年、早稲田大学大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了。早稲田大学教授を経て、早稲田大学名誉教授
単行本: 342ページ
出版社: 恒文社 (1989/01)
ISBN-10: 4770406916
ISBN-13: 978-4770406910
発売日: 1989/01
目次
第1章 『摩訶般若波羅蜜多心経』の和訳
第2章 語句の解釈
第3章 「摩訶般若波羅蜜多」の意味
第4章 空の意味
第5章 『般若心経』の意義
第6章 『般若心経』の現世利益について
第7章 仏教とは何か
p.153より抜粋
巽師は、掲諦呪をどのように訳出しておられるかというと、普遍的な意味はなく、唱える人の願いごとを臨機応変に当てはめていくことになるのである。
抜苦与楽の菩薩行を実践しておられた師は、病人には「治る、治る、すぐ治る、きっと治る、有難うございます」という訳を与えられた。
そして大学病院でも見離された難病が数多く癒された。
掲諦呪は、願い事を無分別智・深層心理に伝える「技術の言葉」である、として解釈された巽師にとって、当然のことながら、掲諦呪を反復することが最も重要な行となり、師はそれを「反復の技術」と明記しておられる。
p.154~156より抜粋
巽師の解釈は「心経」を抜苦与楽の実践行の応用として用いた特異な解釈として「心経」の研究史に記憶されるべきであろう。
師が癒された病名は、ほとんどあらゆる種類の難病に及んでいる。
それは、ちょうどイエス・キリストの奇蹟やルルドの奇蹟を髣髴させるものであった。(中略)
具体的に言えば、人間だけが心を悪用させ罣礙や恐怖に捉われることによって苦に陥っている、という点に注目され、その罣礙を取り除くことによって苦を癒すという方法をとられたのである。
難病のほとんど全ては人間だけにあることから、人間が、人間にのみ与えられている高度な心つまり大脳生理学でいわれる「新しい皮質」を悪用していることによって難病や精神苦に陥っている、と判断されたのである。
そして、その心の悪用を祈りによって除去することにより、苦も癒し得ると判断されたのであった。
そして、ひるがえって展望すれば、イエス・キリストやルルドの治病の奇蹟も患者の心を転換することにより果たされたとも言える面が多分にある。
繰り返して述べるが、巽師の治病は不可解さがつきまとったり、迷信や反現実的な世界へと暴走する危険の微塵もないものであった。
その治癒方法は、自分が病人を治癒してあげるという発想(この場合、どうしても後々まで疑いやシコリがのこり、時には憎悪や離反へと発展していく)ではなく、正しい人生観や宇宙観を得させることによって、病人自身の内側から生きる力・癒す力を蘇らせるというたぐいのものであった。
その点で、イエス・キリストやルルドの奇蹟には神秘のベールがあり、またベール故に誤解を生み易い傾向があるに比べ、少なくとも「方法」においては科学的であった。
右のことから、今後「心経」は、従来のように観念的な哲理としてのみ受け入れるだけではなく、具体的な抜苦与楽の方便として認識され活用されねばならないのではないかと思う。
いや、それこそ「心経」が説かれた目的であり原点であったのである。
(引用終わり)
早稲田大学名誉教授 長谷川先生の調査によって、巽先生の般若心経の大明呪の解釈と実行が、素晴らしい実績を上げている事実が報告されています。
仏教の専門家から見ても、巽先生の般若心経の大明呪の解釈と実行成果が高く評価されている証拠と思われますので、ご紹介しました。
アダムスキー氏は、各種の著作の中で想念の力を説いておられました。
般若心経は、想念の力を日常生活に応用するための大明呪の実行方法を教える教典です。
関心がおありでしたら、巽先生の般若心経の解説を研究されることをお勧めします。
長谷川洋三 早稲田大学名誉教授は、一時期、神戸の巽直道先生の所に出向かれて、巽先生の般若心経講座と大明呪による苦の解消を調査されました。
その調査内容は、長谷川先生の下記の般若心経の研究書のp.151~p.156にまとめられています。
『般若心経』の研究―これは大懴悔の経典である
著者: 長谷川 洋三
1934年、新潟県生まれ。1959年、早稲田大学大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了。早稲田大学教授を経て、早稲田大学名誉教授
単行本: 342ページ
出版社: 恒文社 (1989/01)
ISBN-10: 4770406916
ISBN-13: 978-4770406910
発売日: 1989/01
目次
第1章 『摩訶般若波羅蜜多心経』の和訳
第2章 語句の解釈
第3章 「摩訶般若波羅蜜多」の意味
第4章 空の意味
第5章 『般若心経』の意義
第6章 『般若心経』の現世利益について
第7章 仏教とは何か
p.153より抜粋
巽師は、掲諦呪をどのように訳出しておられるかというと、普遍的な意味はなく、唱える人の願いごとを臨機応変に当てはめていくことになるのである。
抜苦与楽の菩薩行を実践しておられた師は、病人には「治る、治る、すぐ治る、きっと治る、有難うございます」という訳を与えられた。
そして大学病院でも見離された難病が数多く癒された。
掲諦呪は、願い事を無分別智・深層心理に伝える「技術の言葉」である、として解釈された巽師にとって、当然のことながら、掲諦呪を反復することが最も重要な行となり、師はそれを「反復の技術」と明記しておられる。
p.154~156より抜粋
巽師の解釈は「心経」を抜苦与楽の実践行の応用として用いた特異な解釈として「心経」の研究史に記憶されるべきであろう。
師が癒された病名は、ほとんどあらゆる種類の難病に及んでいる。
それは、ちょうどイエス・キリストの奇蹟やルルドの奇蹟を髣髴させるものであった。(中略)
具体的に言えば、人間だけが心を悪用させ罣礙や恐怖に捉われることによって苦に陥っている、という点に注目され、その罣礙を取り除くことによって苦を癒すという方法をとられたのである。
難病のほとんど全ては人間だけにあることから、人間が、人間にのみ与えられている高度な心つまり大脳生理学でいわれる「新しい皮質」を悪用していることによって難病や精神苦に陥っている、と判断されたのである。
そして、その心の悪用を祈りによって除去することにより、苦も癒し得ると判断されたのであった。
そして、ひるがえって展望すれば、イエス・キリストやルルドの治病の奇蹟も患者の心を転換することにより果たされたとも言える面が多分にある。
繰り返して述べるが、巽師の治病は不可解さがつきまとったり、迷信や反現実的な世界へと暴走する危険の微塵もないものであった。
その治癒方法は、自分が病人を治癒してあげるという発想(この場合、どうしても後々まで疑いやシコリがのこり、時には憎悪や離反へと発展していく)ではなく、正しい人生観や宇宙観を得させることによって、病人自身の内側から生きる力・癒す力を蘇らせるというたぐいのものであった。
その点で、イエス・キリストやルルドの奇蹟には神秘のベールがあり、またベール故に誤解を生み易い傾向があるに比べ、少なくとも「方法」においては科学的であった。
右のことから、今後「心経」は、従来のように観念的な哲理としてのみ受け入れるだけではなく、具体的な抜苦与楽の方便として認識され活用されねばならないのではないかと思う。
いや、それこそ「心経」が説かれた目的であり原点であったのである。
(引用終わり)
早稲田大学名誉教授 長谷川先生の調査によって、巽先生の般若心経の大明呪の解釈と実行が、素晴らしい実績を上げている事実が報告されています。
仏教の専門家から見ても、巽先生の般若心経の大明呪の解釈と実行成果が高く評価されている証拠と思われますので、ご紹介しました。
アダムスキー氏は、各種の著作の中で想念の力を説いておられました。
般若心経は、想念の力を日常生活に応用するための大明呪の実行方法を教える教典です。
関心がおありでしたら、巽先生の般若心経の解説を研究されることをお勧めします。