活動日誌

ホンネ、冗談入り。なんか書きたいときに更新してるみたいだ

THE 戸田

2005-11-01 21:01:51 | その他
 先週の金曜の夜から日曜まで、マラソン大会を手伝いにわざわざ静岡の戸田に行った。なんと驚くべきことにノーギャラであった。まさにボランティア活動であったが、すげーつまらないものだった。今回の場合、青年海外協力隊のように自主的に活動に参加するのではなく、強制的に運動会に所属している部員が数名駆り出される仕組みであり、僕らバドミントン部の一年は運悪く手伝いの担当になってしまった。金曜日、部活を半分だけでて、その後僕らは本郷まで行き、そこからマイクロバスで戸田へ行った。その日、僕らは部活をしたにもかかわらず風呂に入ることを許されず、そのまま着いてすぐに床に就くことになった。泊まるところは、戸田寮という明らかに昭和の属性をもった、整備されていない場所であった。僕は汚い寮に幻滅しながらも、再生紙のようなシーツと枕カバーを渡された後部屋に赴いた。そこは、あたかも2年ぐらい掃除せずに放置されていた牢獄のようだった。畳の上には埃が生き生きと生息し、閉め切った部屋のにおいがした。まあとりあえず我慢してふすまから布団と毛布をだして、しいて寝ようとしたら、なんかざらざらする感覚をおぼえた。なんと毛布がなんらかの砂のような粉を吹いていた。初日でしょっぱなからイラついてしまったがもうその日はあきらめてなにもかも忘れて寝た。次の日は、スタッフの責任者たる学生から指示を受けて研修室と風呂の掃除をした。まあ途中に息抜きで研修室にあった卓球とビリヤードで遊んだ。ビリヤードは同輩5人でやったが、ベトナムの同輩が、惜しいショットをしたときに地球人とは思えない「アオォー!!」「ッムンニ!!!」という奇声を発した。正直キモかったが、内に秘めた彼の生態を新たに知ることができたいい機会でもあった。その日はそれしか仕事がなく、すぐに1日がたった。次の日の日曜、大会が行われ、僕は同輩たちとともに交通誘導の仕事を任された。まあこれはある一定の間隔でマラソンコース上にたつスタッフみたいなものであるが、実際は何にもせずに大自然の中3時間ぐらいつっ立っているだけの任務である。同輩のS君はクマバチに襲われそうになったらしい。一方僕はというと、別にそんなスペクタクルは無かったが、僕の立っていた地点はなぜか高圧電流が流れる導線が近くにある危険地帯だったので、そこからちょっと離れたところで僕は任務を遂行した。しかし、ただ「徐行お願いします」という看板を持ってつっ立っているだけで、周りには人が一人も歩いておらず、さらに車が左へ右へと無情に通り過ぎているだけだった。まるで駅の前でほとんどの人が見向きもしない葬式の案内看板を持っている人みたいな気分になった。僕はなんとか3時間立ち続け、任務を終えた。わが同輩のKはこの任務が終わった後の同じバスの中で「鬱鬱鬱鬱」と言い続けていたので、僕はキレそうになった。その後僕はストレスをためながらも寮に戻り、昼ごはんの後には責任者から放送でスタッフ全員に召集がかかり、研修室に赴いたが、ベトナムの同輩は僕についてくる途中に「ボクハ、コナクテモイイデスカ?」という阿呆な質問をしてきたので、「だめだだめだ、行くにきまってんだろ!!」と言って無理矢理連れて行った。普段仕事やってねえくせに積極的にサボろうとするところが許せなかった。まあその後はちゃんと仕事をし、無事にすべての仕事が終わり、無事に戸田から本郷に戻ることができた。終わってみると、結構疲れがたまっていたのでさっさと帰ってレポートやって寝た。ベトナムの同輩も疲れた様子であった。この次の日は普通に学校があり、普通に部活があったので、僕はテンション低いながらもちゃんと学校に行き、ちゃんと部活にでた。ベトナムの同輩は恐らく部活には来ないだろうとふんでいたが、本当にその通りになった。この同輩は前の日記でも書いたように、よく部活を休む。まあ恐らく今回も「土、日のボランティア活動で体がまだだるいからだ!火曜に情報処理の再試があるから明日の部活は行くには行かない!お休み」とかいう理由づけだろう。僕はこのベトナムの同輩を半年以上世話してきたので、やつの生態は誰よりも把握しており、だいたいやつが休むタイミングがわかる。とは言っても、僕はやつの保護者ではないからね。誤解しないように。