2
中央パネルより。

中央パネルでは、悪魔たちが宴を繰り広げるなか、ひとり聖アントニウスが顔を背け、右手を挙げています。
アントニウスの目の前には、尼僧がおり、尼僧に向かって左から女性が器を差し出しています。その左手には、黒人の巫女でしょうか。ヒキガエルを乗せた器を持っています。そして、ヒキガエルは両前脚で卵を持ち上げています。豚の顔を持つ黒服の異形の女性の頭上には小さなフクロウ(異端の寓意)を乗せています。
脚の不自由な男性は聖体拝領を受けようとしているということでしょうか。
右側には黒ミサをあげている眼鏡のずり落ちそうな、狼の顔を持った僧侶がいます。頭には僧帽をつけ、よくみれば服は裂けており、腐乱した内蔵がはみだしています。


塔の中に入ると、聖人は十字架のキリストの方向を指さしながら世界を見つめていますが、絵画世界の誰もが聖人の指さす方向を見ていないのです・・・・。

上空では船の形をした鳥などが飛行していたり、遠景には炎に包まれた村が描かれていたり、画面左手前では、大きな赤い果実を破って中から抜け出している者達がいたり、悪魔の化身たちがあちこちにいます・・・・。
たとえば、緑の布をまとったしゃれこうべは「天上のハーブ」を汚し、その上方、枯木と化した樫の間の女は拷問の車をひいてアントニウスに近づこうとしています。

まったく、この騒々しい饗宴ですが、ボスは二つの自画像を画面に描いています。それは、左パネルの聖者を介抱する者の顔と、中央パネルのグリル(頭と足だけで出来ている人物)です。
私は思います。ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』には、天国から地獄までの人間模様が描かれていましたが、この『聖アントニウスの誘惑』は、アントニウスと悪魔との闘いの場面が描かれ、克服すべき世界であるということなのでしょうか。
聖アントニウスは、3世紀半ばに、エジプトの裕福な家に産まれながら20歳のときに家財を棄て隠修生活に入り、荒野や洞窟での禁欲的な修行の際、悪魔の激しい幻影に襲われながら、それに打ち克ったのです。