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不思議活性

ちょっとした幸せを感じられたらな

小倉百人一首 60

2024-10-14 02:36:38 | 小倉百人一首
  第六十首

大江山 いく野の道の 遠ければ
まだふみも見ず 天の橋立        

 小式部内侍        
(?-1025) 和泉式部の娘。一条天皇中宮彰子に仕え、藤原教通らの寵愛を受けるが、二十代で早世。

部位 雑 出典 金葉集 

主題
母からの便りは受け取っていないという趣旨の伝達 

歌意
大江山を越えて行く生野の道のりが遠いので、まだ天の橋立へ行ったことはありませんし、ましてや母からの手紙なども見てはおりませんよ。

 母の下っている丹後の国府は、大江山を越え、生野を通ってゆく道が遠いので、まだあの名勝の天の橋立を踏んでみたこともなく、母からの文など見ていませんよ。

 教通に愛されて静門を生み。教通の異母兄頼宗や、定頼からも想いを寄せられていたが、滋井頭将の子、頼仁を生み、まもなく病没。25、26歳か。

『後拾遺集』 以下に、四首入集。


小倉百人一首 59

2024-10-10 20:08:04 | 小倉百人一首
  第五十九首

やすらはで 寝なましものを さ夜更けて
かたぶくまでの 月を見しかな              

赤染衛門            
(生没年不詳) 藤原道長の妻・倫子に仕え、その娘・一条天皇中宮彰子にも仕えた。大江匡衡の妻となり、良妻賢母の誉れ高い。

部位 恋  出典 後拾遺集 

主題
来ると約束して来なかった男への恨み言 

歌意
(あなたがおいでになる気配がなければ)ためらわずに寝てしまいましたものを。あなたをお待ちしていたばかりに西の空に沈んでいく月までも見てしまいました。

「やすらはで」は、躊躇しないで。良経の「やすらはでねなん物かは山のはにいさよふ月を花にまちつつ」など、好んで本歌取の歌がよまれた。

 長和元年(1012)夫没後は尼となる。
 歌は和泉式部と併称される。家集に『赤染衛門集』。『拾遺集』以下に93首入集。中古三十六歌仙の一。『栄華物語』本篇の作者として有力。


小倉百人一首  58

2024-10-08 23:05:34 | 小倉百人一首
  第五十八首

ありま山 ゐなの笹原 風吹けば
いでそよ人を     忘れやはする  

大弐三位            
(生没年不詳) 紫式部の娘。母に続いて中宮彰子に仕えた後、後冷泉天皇の乳母となった。

部位 恋  出典 後拾遺集 

主題
冷たい男に対して自分の変わらぬ気持を訴える心 

歌意
有馬山近くにある猪名の笹原に風が吹くとそよそよ鳴る音がする。そうですよ、(忘れるのはあなたの方であって)どうして私があなたのことを忘れることがありましょうか。

 『後拾遺集』の詞書から知られるように、足遠になっていた男が、お前の心だっていぶかしいものだといったのに対する歌。「いでそよ人を忘れやはする」という意を。美しい上三句の序をきかせて答えた恋のやりとりの場の応答の歌であるが、序をもった歌の典型として、愛誦された。

 「いで」は勧誘・決意の場合にいう副詞。「そよ」はそれよの意。さあそれですよ。

 有馬山猪名の地が、この男に関係のある土地であったかも知れぬとする説も面白いです。

『後拾遺集 』以下に、三十七首入集。



小倉百人一首 57

2024-10-07 00:08:56 | 小倉百人一首
  第五十七首

めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬまに
雲がくれにし     夜半の月影      

紫式部 
(970?-1016?) 藤原兼輔の曾孫で、大弐三位の母。結婚後数年で夫・藤原宣孝と死別し、一条天皇中宮彰子に出仕。『源氏物語』を著す。

部位 雑  出典 新古今集 

主題
あわただしく帰っていった幼友だちへの名残惜しさ 

歌意
久しぶりにめぐり逢って見たのが確かであるかどうか、見分けがつかないうちにあなたは慌ただしく帰ってしまった。雲の間に隠れてしまった月のように。

 めぐりめぐって、逢って。表面は月のことで、下に幼な友達にあったことをいう。幼な友達と久しぶりにあいながら、ついちょっとあっただけで入る月と光を争うばかりに、あわただしくその人が帰ってしまった名残り惜しさをよんだ歌。物語的な歌といえる。

 結句「月影」は、『幽斎抄』に「月かな」とあり、以後の『百人一首』の諸抄に踏襲されているが、『新古今集』『紫式部集』ともに「月影」とあり、『百人一首』も、室町時代のものは、「月影」とあるのが多く、『源氏物語』の歌にも、「月影」を好んでいるし、「月かな」は「月かげ」の誤写と見てよいであろう。

 『紫式部日記』および『紫式部集』がある。『後拾遺集』以下に五十八首入集。中古三十六歌仙の一。




小倉百人一首 56

2024-10-02 00:01:26 | 小倉百人一首
  第五十六首

あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
 今ひとたびの     逢ふこともがな
  
和泉式部          (生没年不詳) 小式部内侍の母。親王や公卿らとの恋を『和泉式部日記』に記す。中古三十六歌仙の一人。

部位 恋  出典 後拾遺集 

主題
来世への思い出にもう一度逢いたいという恋心 

歌意
私の命はもうすぐ尽きてしまうでしょう。せめて、あの世への大切な思い出として、私の命が尽きる前にもう一度だけ、あなたにお逢いしたいものです。

 病気が重くなって、もはや死を覚悟していたころ、病床から恋する人に贈った歌。多感奔放な女性であったといわれる式部の歌としては、比較的におとなしい作で、そのひたむきな純情の恋心はうかがわれるものの、素朴であわれ深い歌である。
 「あらざらむ」は「この世」にかかり、死んでいなくなるであろう現世の意。

 『拾遺集』以下に二百三十八首入集。中古三十六歌仙の一。


小倉百人一首 55

2024-09-30 00:30:19 | 小倉百人一首
  第五十五首

滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
名こそ流れて     なほ聞こえけれ            
      
大納言公任      
藤原公任 (966-1041) 父は頼忠。博学で歌人・歌学者。愛娘の死を哀しんで官を辞し、出家した。中古三十六歌仙の一人。

部位 雑  出典 拾遺集 

主題
水が涸れて久しい滝の今もなお伝わる名声への賛美 

歌意
ここ大覚寺にあった滝の水の音が聞こえなくなってずいぶん長い年月が経てしまったが、その評判だけは世の中に流れ伝わり、今日でも聞こえ知られているよ。

 非常に技巧的な歌。「滝」「絶え」「ながれ」「きこえ」と縁語を並べ、「な」を頭韻に重ねてよみこなしている。当代無比の歌人と尊崇された公任ではあったが、俊成・定家のころともなれば、その評価は急速に下がってゆく。

 学識豊かな才人で、作文・和歌・管絃の三才を具備、有識故実にも詳しかった。『拾遺抄』の撰者とされ、貫之を継ぐ和歌・歌学の大家。

『拾遺集』以下に九十二首。中古三十六歌仙の一。


小倉百人一首  54

2024-09-28 00:35:11 | 小倉百人一首
  第五十四首

忘れじの 行く末までは かたければ
今日をかぎりの 命ともがな    
  
儀同三司母        
(?-996) 高階貴子。藤原道隆の妻で、伊周や定子(一条天皇中宮)らの母。儀同三司(准大臣)は伊周の官位。

部位 恋  出典 新古今集 

主題
幸福の絶頂において死んでしまいたいという女心 

歌意
いつまでも忘れはしないとおっしゃるあなたのお言葉が、将来いつまでも期待できるものとは思えませんから、今日を最後の命としたいと思います。

 この幸福の絶頂においてむしろ死んでしまいたいという悲しい女心、それは平安期の女性にとっては切実なものであっただけに、深く人々の心をとらえる。

 この作者には家集がなく、伝わる歌も非常に少ない。この歌は後鳥羽院が非常に愛誦せられたと見えて、『八代集秀逸』の勅店にも見え、『時代不同歌合』にも選び入れられているし、『新古今』恋三の巻頭歌でもあり、隠岐本でも選び残されているのである。

『拾遺集』以下に五首入集。


小倉百人一首 53

2024-09-26 00:55:00 | 小倉百人一首
  第五十三首

嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くるまは
いかに久しき     ものとかは知る            

右大将道綱母    
(937?-995) 藤原兼家の妻で、道綱の母。『蜻蛉日記』に不遇な結婚生活を綴る。中古三十六歌仙の一人

部立 恋 出典 拾遺集 

主題
ひとり寝の長くつらい夜の嘆きを相手に訴える心 

歌意
あなたが来ないのを嘆きながら、一人寝る夜が明けるまでの間がどんなにか長いものであるかをあなたはご存じでしょうか。いいえ、おわかりではないでしょうねえ。

 一子道綱が生まれてまもなく、町の小路の女に通いはじめた兼家に激昂した作者が、二、三日して訪れ、門をたたく兼家に対して迎え入れることを拒んだ翌朝、ことさらに「うつろひたる菊」にさして、送ったというのである。
 『蜻蛉日記』は、兼家との苦難の結婚生活の嘆きを書きつづった自叙伝ふうの日記で、女流日記文学の白眉です。

 『拾遺集』以下に三十七首入集。中古三十六歌仙の一。



小倉百人一首 52

2024-09-20 03:52:15 | 小倉百人一首
  第五十二首

明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
なほうらめしき 朝ぼらけかな              
     
藤原道信朝臣    
(972-994) 太政大臣為光の子で、藤原兼家の養子となる。二十三歳で早世。中古三十六歌仙の一人。

部位 恋  出典 後拾遺集 

主題
また逢えると知りながらも別れて帰る夜明けのつらさ 

歌意
夜が明けるとまた日が暮れ、いずれ再びあなたと逢えるとは分かっていても、やはりこの別れを促す夜明けは恨めしいことだ。

 これも後朝の歌。しかも若い貴公子の真情のあふれた歌である。たんたんとよみながらも、恋の未練をもっともあわれ深く核心をついて的確に表現している。

 藤原為光の子。母は伊尹の女。藤原兼家の養子となったが、その没後、道兼に引き取られた。「いみじき和歌の上手」といわれていたが、二十三歳で早逝した。ために世人に深く惜しまれたことが『大鏡』などに見える。

 『拾遺集 』以下に四十九首入集。中古三十六歌仙の一。



小倉百人一首 51

2024-09-18 00:01:00 | 小倉百人一首
  第五十一首

かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな もゆる思ひを    

藤原実方朝臣   
(?-998) 貞信公の曾孫。光源氏のモデルとする説も。陸奥守として任地で没す。中古三十六歌仙の一人。

部位 恋  出典 後拾遺集 

主題
胸にあまる切ない恋心を相手に訴えようとする心 

歌意
こんなに恋い慕っているということだけでもあなたに伝えたいのですが、伝えられない。あなたは知らないでしょう。伊吹山のさしも草のように燃え上がる私の思いを。

 技巧的な歌が多いこの時代の歌の中でも特に目立っていて、この技巧の多い
よみぶりを認めるかどうかでその評価が大きく変わる。

 こんなふうだとだけでも。「だに」は副助詞。「えやは言ふ」(いうことができようか、できない)に、地名の尹吹きをかける。

 定時の子。叔父済時の養子となる。円融・花山両院の寵を受け、当時の宮廷に華やいでいたが、行成と争って陸奥守に左遷され、任地で没。
 家集に数種の『実方集』があり、実方の歌が没後もまもなく人々の間によまれ、集められていったことを示す。

 『拾遺集』以下に六十四首。『新古今』に十二首。