風車ビルだより

今は風車のない風車ビルからの風だより

川沿いを行く

2012年06月17日 | 福井県
「高志の三川集まりて」と歌ったのは高校の校歌だった。高志、すなわち越で、この場合は越前だ。
だいたい福井県の嶺北地方を指す。本当は越前の敦賀が嶺南に入っていたりはするけれど。
三川は九頭竜川、日野川、足羽川のことだ。九頭竜川は奥越に源を発し、福井市街地の北の方を東西に流れている。
日野川は市街地の西部を南の方から北に向かって流れている。足羽川は市街地を蛇行しながらも南東から北西に向けて流れ、日野川と合流する。
日野川と九頭竜川も合流し北上して日本海にそそぐ。それぞれの川に多くの橋がかかっている。
この他に、この三川の支流である荒川とか底食(そこばみ)川とか狐川とかも流れているし、芝原用水とか城址の掘とかにも当然橋はある。

北陸道を南北に行き来しようと思うと、どうしても足羽川と九頭竜川を越えなければならない。
日野川も越えなければならないが、日野川が東西に流れるのは福井市よりはだいぶ南のほうなので、よくわからない。武生あたりですでに南北に流れていると思う。
九頭竜川を超えようと思うと3つのルートが思い浮かぶ。国道8号線を通るルート、九頭竜大橋である。次はフェニックス通りを北上するルート。3つ目は天池橋、芦原街道/嶺北縦貫道である。
一番古くからあるルートは疑いもなくフェニックス通りを北上するルートだ。この橋の南詰の地名は「舟橋」だ。古くは舟をつないで渡したことがうかがわれる。
足羽川を渡る一番古いルートは九十九橋だ。柴田勝家が半石半木で作ったという。明治時代まで半石半木だったという。石の部分の一部は福井市歴史博物館にある。

というわけで、といってもなんだか、わけもくそもないのだが、九十九橋から始める。


九十九橋北詰にある里程元標。森田と浅生津までの距離を示す


九十九橋を渡る。ギアチェン付のチャリは橋には便利。
橋半ばより下流方向

左手土手の上桜並木の中が遊歩道になっている。両側に植えられているので桜のトンネルだ。
先に見える橋は花月橋。


花月とは優美な名だ。花月という町名もある。花月橋南の町名は有楽町、昔、花街だったというが花月との関係は知らない。
花月橋を過ぎても桜のトンネルは続く。

向こうに見えるのは新明里(あかり)橋

新明里橋というが旧明里橋はない。交通量が多いためか、遊歩道を降りて信号を渡り、また堤防へ戻る

新明里橋南詰:右に見えるのは加茂河原ポンプ場

新明里橋を過ぎると桜並木はなくなるが遊歩道は続く。次は水越橋


次は大瀬橋

大瀬橋:西側より。赤いアーチに支えられたパイプは水道管だ


大瀬橋は足羽川最下流にある橋だ。このあたりに来ると堤防の外に広がる風景も郊外郊外としてきている。日野川との合流地点も近い。
ここまでは橋を一つ越すごとにすぐ次の橋が現れたが、次の橋は見えない。


日野川との合流地点:足羽川左岸より


右岸より。画像中央少し右寄り黒い直線状のものが二光橋


九十九橋南詰より足羽川左岸を走ってきた。合流地点より遊歩道は日野川右岸に伸びる。
そのまま走って日野川を二光橋で越えることも考えたが、大瀬橋まで引き返し、足羽川を渡る。そのまま堤防右岸を走る。一般道になっているが車は来ない。


明治橋。この辺りでは水がどちらに向かって流れているかわからないほど川はゆったり流れる。九頭竜川との合流も近い


明治橋は昔海へ行こうと思うと必ずと言っていいほど渡った橋だ。もっと便利な道ができ
ていつの間にか渡らなくなった。
しかし、去年の秋以降よく渡る。春からは自転車で最短距離を行く道も覚えた。



土手の道を走ると、風はそよぎ、鳥は歌い、花は揺れ、蝶は舞う。文字通りに。蛙の合唱響き、行く手に蛇横たい、蜥蜴走る。時に猫とも出会う

愛想なしの不機嫌さん、でも野良ってそんなもんだ。


でも平和で豊かで緑滴る。
内戦の予兆などどこにもない。
でも、本当だろうか?
ヒトがヒトを憎むのに、どんな理由があるのだ?
政治思想が違う?宗教が違う?民族が違う?
否、たとえどんなに愛し合った過去があろうとも、アイツが悪い、アホだ!!そう思い込みさえすれば、憎めるのだ。








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