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夢☆曼荼羅

みんな、夢をもってるかい?。

これでいいのか高野山!?

2010-10-10 20:54:11 | 信仰

 コメントも少々頂いたので、先日の記事「高野山にて~ガイドは要らない!?」をもう少し補足させていただきます。

四国巡拝は普通の旅行と違い、お札所を参拝し、お経を捧げてそのお寺のご朱印を頂くことが主たる目的ですので、一人二人で歩いてお参りするならともかく、大ぜいの団員を連れてご案内するには、参加者分の納経帳やお軸にご朱印をいただきに納経所へ行ったり、宿や食事の手配等々もしなければならないので、巡拝を手がける旅行会社に依頼して、運転手はもちろんですが、通常“納経とり”と呼ばれる添乗さんに一人ついてもらって巡拝するのが一般的です。

私のところでは、東京にも営業所があり、きめ細かい相談にものってくれる「せとうちバス」という巡拝を手がけている会社にお願いしてバスをチャーターし、貸し切りバスで春・秋一週間の遍路の旅を行っています。

毎回、夫々味のある添乗さんが案内してくれて、それもお遍路の一つの楽しみでもありますが、今回うちの担当は、せとうちバスでも“カリスマ添乗員”との呼び声の高い、今年80歳を迎えた“Oさん”。運転手は昔パンチパーマでどう見てもヤンキーにしか見えんのにいつもお杖をニコニコして手渡してくれる、毎度ご指名のS運転手という最強コンビでありまして、団員みな大満足の旅が出来たと大喜びでありました。

私も歩いてのお遍路は経験していますが、何十年も四国を回ってきたOさんは、四国の全ての道を把握しておられ、また、今でも熱心にお寺にまつわる歴史や知識を勉強して、それを味のある今治弁で一生懸命お話される姿に皆が感心されていたのです。ですから添乗さんのガイドについてはなんの問題もないどころか、何度かお四国を回ったぐらいの自分の力では、今回のように細かく一々の霊場の案内など到底出来ないのが現実です。

そんなメンバーで、春・秋の二週間、苦楽を共にして88箇所のお寺を回り、その感激のもとに高野山の奥の院のお大師様のお膝の前にお礼に伺おうというときの、バスに乗り込んでくる高野山の案内のガイドについて一言申し上げたかったのです。

因みにこのブログは、普段は、主としてギャグで皆を笑わせることをめざして書いており、そもそも私自身が他人様に何か意見できるような人間でもないので、基本的に「悪口は書かない」のがポリシーですが、今回は少しだけ言いたくなってしまいました。

さて、普通、高野山のガイドは、旅行者の滞在時間に合わせて、簡単に伽藍の説明などしながら奥の院にお客さんを案内します。途中様々なお墓があるので、最近の有名人から有名な武将、更には会社や変わった形のお墓等の説明をしながら奥の院に行きます。そして御廟の前の参拝を済ませると、最近は橋を渡るとすぐ左の新しい道に誘導し、お守り売り場に案内します。前回もいやに長い間お札場にて時間を取るので、あれはどうなんだろうと添乗さんにさりげなく聞いたのですが、何も答えてくれないのでおかしいなと思っていたら、後である筋から、あれはお寺には関係なくガイドの組合で作ったものだという話を聞きました。もしそれが本当であれば、益々高野山ではガイドは要らないと私は感じたのでした。

 今回、午後遅くではありましたが、わき目も振らず御廟の前に進んで、ちゃんと皆でお勤めをすることが出来ましたし、宿坊に泊り、翌日は先ず壇上伽藍を参拝、御影堂前において、拙いながらも主催者の住職自ら皆さんに説明をさせていただき、諸堂を回ってお勤めしたのですが、皆さんから不満の声など一つも聞きませんでした。その後、霊宝館を見学し土産物屋に立ち寄ってお土産を買って高野山を後にしました。当たり前のことですが、ガイドなどいなくとも高野山のお参りは出来るのです。逆に、今回、ガイドはいないほうが思い通りのお参りが出来ることを実感いたしました。

なお、この後、根来寺に立ち寄ったのですが、たまたま歴史に詳しい栃木の従弟の住職が参加してくれていたので、根来寺までのバスの途中は、新義真言宗の歴史について、どのような変遷を辿って今の我々の新義派が形成されたのか、また根来塗りや鉄砲鍛冶の職人の話やら、如何に往時の根来が隆盛を極めていたか等々の話を聞きながらの根来参拝となり、そういった意味からもとても充実した参拝が出来たと思っています。

四国では、連日、お天気に恵まれ素晴らしい眺めを楽しむことが出来ました~。が、‥、

よく見ると四国の松は、松食い虫でやられてほとんど茶色に変色していて壊滅状態になってしまっていました。残念なことです。

世界遺産に登録され、世界中から高野山には多くの人々が登られることと思います。まことに素晴らしいことだと思います~。が、‥、

あんな“欲の塊”みたいなモンをよくもまあ恥ずかしくもなく、いや恐れも知らず、御廟のすぐ近くにこしらえ、節操なくそこで商売ができるもんだというのが、私の率直な感想です。私にとってそれは、高野山の霊木をやがては枯れさせ、お大師様が「我れ永く山に帰らん」と仰られた高野のお山そのものを禿山にしてしまう“杉(檜)食い虫”にしか見えないのです。そして、もしそうなった時には、きっと、日本人の信仰心も見事に枯れるのではないかと危惧するのです。部外者の勝手な感想ですが、間違っていたらどなたか教えていただきたいと思います。よろしくお願いします。

※文中の「が‥、」の使い方は、うちの添乗員・Oさんの口癖を真似てみました。


どんなものでも‥

2010-09-12 01:08:53 | 信仰

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 たまの休みも、自坊の仕事に追われて一日慌ただしく過ぎて行き、寝る前にブログチェックしようとしたら、いきなり何件もコメントが寄せられていました。ビックリクリクリです。それも、何日も前の記事に対してのものあり、驚きました。どなたかわかりませんが、初めての方もいるようなので、感謝します。なので、みなさん、ぜひコメントも読んでくださいね

前日の「エリバート ザンパノ」に対しても、皆さんコメントありがとうございます。

なにせ、私の一番感動した作品なので、語りたくなっちゃうんです。

「全てのものは夜空の星のように価値がある。たとえこの道端の小石でさえも‥」(※僕の記憶では“つまらない”という形容詞はなかったと思います)と、相方のザンパノとは犬猿の仲の綱渡りの芸人に諭され、眼を輝かせたジェルソミーナ、そして一夜の宿を借りた教会では、修道女が旅芸人のジェルソミーネに、「私たちもずっと同じところにはいないの、ずっと同じところにいると、草木1本1本にまで愛着がわいて、一番大切な“神さま”を忘れてしまうから‥」というような話をしたと思います。でもザンパノは夜中に教会のもの盗もうとしちゃったりして、そんでもっての翌朝のあの車を押すシーンです。一瞬ですがそのときアップになる彼女の表情といったら、たまりません。ここで完全に私はやられてしまったのでした。僕にとっては、「道」は、遍路や仏画と同じ、心の宝物なんです。 

旅、サーカス、海、港町、田舎の風景、それにしても映し出される四季の風景全てがなぜか懐かしく感じられるのはなぜなんだろうといつも不思議に思うのです。


エリバート ザンパノ !

2010-09-09 21:27:49 | 信仰

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  8月22日のブログで、仏師・渡邉宗雲さんが制作した仏像(金剛夜叉明王)を作品の中で用いたテレビドラマを紹介したが、監督が李相日という人だった。この度、映画「悪人」の深津絵里さんが、モントリオールの映画祭で最優秀女優賞を受賞したが、いみじくもこの映画を手がけたのが李監督であったので驚いた。お恥ずかしいことですが実は「フラガール」を撮ったのも李監督だと知りませんでした。 李監督は女優を見る眼があると思います。起用する女優がみんな存在感があるものことごとく、ぼくの好みだものずるいな~李ちゃん

 しかし、思えば最近もう何年も映画を観ていない。昔はよく映画館に通ったのになぁ。もっともお金もないのでロードショウではなく、もっぱら名画座かピンク館でありました。 池袋文芸座、テアトル新宿、テアトルダイアだったかな?上野オークラなど、よく行ったなぁ~

 そんななかで、何度も何度も観たのがフェリーニの『道』だす 最近ではフィギアスケートの高橋大輔選手がこの映画のテーマソングであるニーノ・ロータの曲を使っていましたが、とにかくはまってしまって、それまで通っていた絵の予備校に行くのをやめて、毎日映画館通いしたのが懐かしいです。

 そんでもってこの映画の主演女優が、フェリーニ監督の妻でもあるジュリエッタ・マシーナであります。

 とにかく、フェリーニさんはすばらしいのでみんな観ましょうね。褌宗の推薦映画といたします。よろしく

因みに、表題の「エリバート ザンパノ!」は、ジュリエッタマシーナ扮する主人公のジェルソミーナが、大道芸人のザンパノに最初に仕込まれた口上で、「ザンパノが来たよ!」という言葉です。