緋牡丹博徒シリーズ、「二代目襲名」、の舞台設定は、エネルギー改革に揺れる今とよく似ています。
時は明治、船から丘蒸気(鉄道)に、交通の主流が取って代わられる時代、九州では鉄道が引かれると自分たちの生活が失われると、鉄道工事は赤不動の親方率いる川人足たちの激しい妨害を受けていた。さらにこの鉄道工事とその後の莫大な利権を横取りするべく荒木田組という悪党が策略をめぐらす中、主人公であるお竜さんは渡世の義理から、一家をかけてこの大事業をやり遂げ、矢野組の二代目を襲名する。‥‥
鈴木則文脚本の素晴らしさは、何よりお竜さんが、鉄道が引かれることにより失ってしまう川人足たちの生活の糧を確保することに腐心し、また、その真摯な熱意に赤不動の親方が心動かされるという場面でありましょう。
時は変わり、生活すべてが変わっていかざるを得ない中、それでも親方、つまりリーダーは、常に次の世代の者たちのために最善の道を選び、自らはその犠牲となっても、心通わせた同士に夢を託してこの世の勤めを終える。
赤不動の親方のような生き様こそが、一昔前までの日本人の美徳とされる生き方だったのではないでしょうか?「美しい」という言葉はこうしたときにこそ使われるものと褌は思います。
さて、一方、今のこの国の現実を鑑みるに、ご覧の図のように、いつの間にか今の日本は、社会の隅々まで、原発村のマフィアによって牛耳られているのが分ります。これは決してフィクションではありません。まさに現実であります。これは全く美しくありません。醜悪そのものです。
金が支配するこの義理も人情もない娑婆に、今こそお竜さんが必要なのです。しかし、流石にこんな巨悪は鈴木則文氏も想像もしなかったのではないでしょうか。緋牡丹博徒が活躍した時代と違うのは、まさに国家そのものがこの東電に侵されているからとも思えます。
しかし、やらねばなりません、「出でよ!、平成の藤純子」
というわけで、褌は原発村に敢然と立ち向かうお竜さんを銀幕に期待します。
先ず、出だしは、東日本を大震災が襲ったあの日、東電・勝俣会長が大手メディアのOBを引き連れて、中国への接待旅行に行っていた(※これは事実)、その接待場所にチャイナ姿で現れるお竜さんから始まるシナリオは如何でしょうか。
